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いよいよ、内部の池です。
「舞鶴が池」と呼ばれています。 東西、南北共に約90mの正方形。 平安時代の『作庭記』という書物の作法通りに作られていると言われています。 池の北側に御堂があります。 元々、大阿弥陀堂が建っていた所に、享保年間、新たな御堂が建てられたとか。 それが、今ある御堂だそうです。 こちらは小阿弥陀堂跡。 こちらは、伝普賢堂跡。 池を埋め立てて建てられた事が判明しています。 https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html (にほんブログ村〜歴史ブログ〜史跡・神社仏閣) ↑よろしければクリックお願いします。 |
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○平成26年7月2日
こちらへは、毛越寺本堂で行われた会議終了後に参詣しました。 観自在王院は、藤原基衡の妻が建立したという寺院。浄土庭園がほぼ完全に残っているとされています。 この浄土庭園と大小の阿弥陀堂で構成されていたようで、華麗な造りだったようですが、観自在王院自体は天正元年(1573)の戦火で焼失しました。 何といっても、世界遺産の登録されている史跡です。 場所はこちらになります。 詳しい地図で見る それでは、参りましょう。 場所は、毛越寺のすぐ隣です。 建物が無いせいもあるのでしょうか、とてつもなく広く感じます。 こちらは南門の跡。 門の両端には、築地塀あるいは土塁が巡っていたと考えられます。 南門をくぐると、大きな池が見えます。 ここで、寺の西、毛越寺との境界に向かいます。 その間に柱がポツポツと。 ここは『吾妻鏡』にも記された、車宿という、牛車を格納する建物の跡。 桁行10間、梁間2間の細長い建物で、牛車が10両格納できたようです。 このように、玉石が敷き詰められていたようです。 さらに、こちらの面は明確に土塁であった事が判明しています。 当時は、寺内が見渡せないぐらいの高さであったようです。 車宿の先にあるのが西門跡です。 南門と違い四脚門で、親柱は掘立柱なのに対し、前後4本の袖柱は礎石立ちとの事。 さらに、柱の状況から、門と土塁の間に潜り戸があったようです。 場所や遺構の状況から、日常よく使われた門のようです。 続きはまた後ほど。 https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html (にほんブログ村〜歴史ブログ〜史跡・神社仏閣) ↑よろしければクリックお願いします。 |
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○訪問日 平成25年6月30日
さてお次は、岩手県ではけっこう有名な熊野神社です。 この名称ではピンと来ませんが、「(成島)毘沙門堂」や「泣き相撲やってる神社」といえば、誰でも知っているのではないでしょうか。 ちょうど、そろそろ泣き相撲の時期ですので。 花巻市内の旧東和町と言えば、何といってもこの泣き相撲の神社と、近代美術家の萬鉄五郎が有名でしょう(萬氏の絵は、岩手県立美術館や、岡山県倉敷市の大原美術館などあちこちにあります)。 この神社、創建は坂上田村麻呂。 ザックリ言えば蝦夷を征服した人ですが、東北の社寺は、なぜか田村麻呂による創建が多いんですよね。同じ花巻市の胡四王神社もですし。 他にもけっこういっぱいあったような。 熊野信仰と毘沙門信仰が結びついている、不思議な神社です。 場所はこちらになります。 詳しい地図で見る それでは、お参りしましょう。 なっが〜い参道! でも大丈夫。すぐ近くまで車道が来てます。 (暑いので、参道は当然パスしました) 神社の入口。 神社とお寺が両論併記のようになっています。 まずは熊野神社の方へ。 季節柄、夏越の行事中でした。 熊野神社社殿です。 熊野三山の三神を祀っているため、「三熊野神社」と言うそうです。 ちなみに熊野三神は、伊弉冉尊(いざなみのみこと)・事解男之命(ことさかおのみこと)・速玉男之命(はやたまおのみこと)だそうです。 建築年代はよくわかりませんが、けっこう古い建築様式という事で、県文化財に指定されているようです。 こちらが、あの泣き相撲の会場です。 泣き相撲、正しくは「熊野神社十二番角力式」という神事です。 私が昨年東北にいた頃には、ゴールデンウィーク中にやっていた記憶がありますが、正式には9月に行われる特殊神事とか。 起源は、ここでも坂上田村麻呂。 方策をもたらすという占いのための相撲がエスカレートして流血沙汰になったため、宝永3年(1706)から、神社氏子の長男で数え2歳になる子供による泣き相撲に変わったとか。 岩手ご当地マンガで私の愛読書『ハヤチネ!』でも取り扱っていた岩手を代表する行事です。 さて、お次は毘沙門堂へ。 毘沙門堂もけっこうな古さです。建築は室町時代とか。 内部には、以前は約5mの兜抜毘沙門天像(国重要文化財)が納められていましたが、今はこういった寄進物があるのみ。 ちなみに兜抜毘沙門天像は、毘沙門堂の上の収蔵庫で見る事ができます(平安時代初期の仏像もあります)。 もし花巻市に行く事があれば、ぜひ。見られて損はないと思います。 https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html (にほんブログ村〜歴史ブログ〜史跡・神社仏閣) ↑よろしければクリックお願いします。 |
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さて、この母屋の裏には、
何か大きな建物が。 大工小屋です。江戸時代末期の建築。 整備されていないのが惜しい。 続いては、 稲荷社。社殿は嘉永2年(1849)建立。 稲荷社から母屋を眺めます。 母屋の横に立つ土蔵と石蔵。明治時代後半〜大正時代の建物。 母屋から遠野盆地を眺めます。 私が行った頃は、ちょうど公有化された直後。 今後、市の方で大々的な改修工事を行うとの事です。 https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html (にほんブログ村〜歴史ブログ〜史跡・神社仏閣) ↑よろしければクリックお願いします。 |
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○訪問日 平成25年6月30日
さて、お次は遠野市にある千葉家住宅。江戸時代のこの辺りの代表的な、住居と馬屋がL字形に連結した「曲がり家」の代表的な建物として知られています。 特に、江戸時代後期に作られたこの千葉家住宅は群を抜いて大きく、25名と馬20頭が暮らしていたと言います。 てっきり人がまだ住んでるものだと思いきや、私がちょうど訪問した頃に遠野市の所有になっていたようです(その割には、いかにも住人らしきおばあちゃんがウロウロしていたような・・・)。 ま、これだけ大きいと、相続や今後の維持管理問題が大きくなるでしょうから。 それで、これから老朽化した部分などの修復が始まるようです。 場所はこちらになります。 遠野市街地の西側、遠野街道沿いにあります。 詳しい地図で見る それでは、参りましょう。 駐車場からの眺め。まるで要塞です。 駐車場もちゃんと整備されています(自販機からトイレから、けっこう整備されています)。 正門かと思いきや、大河ドラマ「花の乱」のセットだとか。 実際は、この向かいに江戸時代後期の建物があるのですが、ゴミ捨て場状態になっているので、写真は控えます。 今後きれいになるでしょうから。 門を抜けて坂を上がると、 建物の横に出ます。 手前の建物は、明治45年(1912)に建てられた土蔵。 馬屋部分には向こう側に抜ける廊下があります。 居住部分です。 それにしてもでかい! 内部です。一部ではありますが公開されています。 なお、映画『遠野物語』の撮影時の写真もありました。 外から馬屋部分を眺めます。 続きはまた後ほど。 https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html (にほんブログ村〜歴史ブログ〜史跡・神社仏閣) ↑よろしければクリックお願いします。 |






