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○訪問日 平成25年6月23日
さて、お次は、山形市内の名刹に向かいます。 この萬松寺は、今から1300年前、藤原鎌足の曾孫にあたる藤原豊充が、朝廷の命によりこの地に赴任した時、娘の阿古耶姫が作った庵が始まりと言われています。 その後、行基や円仁が整備し、最後は岩手の正法寺三世の清厳良浄が曹洞宗として寺院を整備したとの事です。 場所はこちらになります。山形県庁のすぐ傍です。 詳しい地図で見る では、参りましょう。 やっぱり、東北の寺院は良い雰囲気の所ばかりです。 けっこうな街中にあります。 参道を進んでいくと、 これが見たかったんです。 伝承によると、山形城の基礎を作った斯波兼頼が延文年間(1356〜1361)に建てたとされる山形城の二の丸南門との事。 (霞城公園パンフより引用)
最上義光が山形城を改築した際に、萬松寺に山門として寄進したとの事。 つまり、相当古い門ですね。 だいぶ改築されているとは思うのですが。 てか、バランスが悪くて倒壊しそう・・・。 当初は、この門が目的でしたが、 どっこい、佛殿もなかなかのもの。 佛殿は、宝暦年間(1751〜1764)の建築。 佛殿としては、東北で唯一の建物のようです。 早朝に参詣した甲斐がありました。 やっぱり、東北の寺院は見応えがあります。 https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html (にほんブログ村〜歴史ブログ〜史跡・神社仏閣) ↑よろしければクリックお願いします。 |
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(現地パンフより引用)
(1989『探訪ブックス 日本の城1 東北の城』小学館、より引用)
続いて参りましょう。 続いては西門です。 こちらは車乗り入れ禁止なので、本来の通路の狭さが残っています。 いずれはもう少しきれいになるのでしょう。 目一杯車道になっているので、残念ながら枡形は取り払われています。 いずれは、ここも復元されるのでしょう。 ちなみに、山形城に車で行く時は、こちらから入って城内の駐車場に停めるのが良いでしょう(現時点では)。 それでは、今度は、市街地に残っている遺構を見に行きましょう。 (現地パンフより引用)
三の丸の土塁が市街地の数カ所に残っています。 山形駅から真っ直ぐ歩いて徒歩数分。 いきなりこんな大きな土塁に遭遇です。 城外から見たらこんな感じ。 空堀もちゃんと残っています。 横の建物を見ると、規模の大きさがわかります。 ここは、歌懸稲荷神社の裏手。 元々山形城内にあり、最上家の信仰篤い神社でしたが、最上家改易後に入封した鳥居家により現在の城外に移転されたとの事。 山形城本体は以上でお終いです。 次は、もう少し城の痕跡を見に行きます。 https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html (にほんブログ村〜歴史ブログ〜史跡・神社仏閣) ↑よろしければクリックお願いします。 |
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(現地パンフから引用)
(1989『探訪ブックス日本の城1 東北の城』小学館、より引用)
ここで、ちょっと寄り道。 山形城跡は、上の地図のように、色々な施設があります。 山形県立博物館(城の中なので、他の地方の県立博物館に較べるとやや狭いような)では、ちょうど国宝「縄文の女神」展をやってました。 そして、その横には、山形市郷土館があります。 本来は、「旧済生館本館」と呼ばれる建物。 初代県令の三島通庸の命により、明治11年(1878)に完成した、山形県立病院の建物です。同年、三条実美により「済生館」と名付けられました。 (現地パンフより引用)
元々は七日町という場所にありましたが、昭和42年に現在の場所に移りました。明治時代初期の傑作建築物との事です。 では、城の続きを。 続いては、南大手門へ。 こちらは、武道館がある関係で、車が通れるようになっています。 車が通れる割には、枡形もちゃんと残っています。 石垣の割栗石まで見られます。 続いて西門へ向かいますが、 途中、本丸の発掘調査・復元現場が。 これはたぶん、本丸の西側の隅かと。 先ほどの本丸大手門の高麗門や旧済生館本館が少し見えます。 この盛り土は、復元した土塁のようです。 続きはまた後ほど。 https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html (にほんブログ村〜歴史ブログ〜史跡・神社仏閣) ↑よろしければクリックお願いします。 |
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(現地パンフより引用)
(1989『探訪ブックス日本の城1 東北の城』小学館、より引用)
続いて参りましょう。 二の丸東大手門の前には、 あの最上義光像が。 天翔る感じが何とも。 あちこちから見るのですが、お顔ははっきりと見えないようになってるみたいです。 最上義光像を背にすると、 現在復元中の本丸が見えます。 今のところ出来上がっているのは、本丸大手門周辺のみ。ゆくゆくは野球場も移転して、江戸時代の山形城がよみがえるのでしょう。 それにしても、完全に埋まってたのを、よくぞここまで復元したものです。 ちなみに本丸は、昨年6月時点で現在立入禁止でした。 工事はまだかかるのかも知れません。 続きはまた後ほど。 https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html (にほんブログ村〜歴史ブログ〜史跡・神社仏閣) ↑よろしければクリックお願いします。 |
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○訪問日 平成25年6月23日
すいません。更新する間なしです。 さてお次は、山形県の県都にある山形城跡です。 居合の試合を翌日に控えていたので、今回はあっさり訪城です。 築城は延文元年(1356)。羽州探題として山形に入った最上家の祖先、斯波兼頼との事。 現在ある城郭は、あの「最上義光(原田芳雄さんの怪演が大好きでした)」が原型を造り、石垣は、最上家改易の後に入封した鳥井忠政の大改修によるもののようです。 別名は「霞城(かじょう)」。長谷堂城の合戦の際、城が霞で隠れた事に因んでいるそうです。 場所はこちら、山形駅のもろ近くです。ていうか、線路が真横! では、参りましょう。 まずは、縄張りです。 (1989『探訪ブックス 東北の城』小学館、より引用)
(現地パンフより引用)
三の丸は現在の所、市街地の所々に残っています。 二の丸・本丸が現在の霞城公園なので、戦前に本丸が埋められた後、運動公園のようになっています。 当然、本丸の痕跡は何も残っていませんが、現在、江戸時代の姿に戻すべく発掘調査&復元工事が進められ、一部は往時の姿に戻っています。 あと十年ほどしたら、江戸時代の姿に完全に戻るのではないでしょうか。 では、参りましょう。 城内の駐車場に車を停めて、やっぱりこちらから入らないと。 二の丸の東大手門です。平成3年に復元されました。 中学生の頃見た歴史の本に載ってた写真では、確か山形城跡は何となく寂れた城跡のイメージがありましたが、ずいぶんきれいになっています。 東大手門の左側。 右側。 石垣は門の部分のみで、後は鬱蒼とした森。 さ、中に入りましょう。 大きな枡形。「ザ・近世城郭」って感じ。 城内に入りました。 内部はやっぱり土塁でした。 櫓門は資料館になっています。無料です。 中はこんな感じ。当たり前ですが木造です。屋根の小屋組なんかも見られるようになっています。 櫓門から先ほどの入口を眺めます。 橋の向こうの森にあるのが最上義光歴史館。 私が行った時は、ちょうど赤羽刀の展示をやってました。月山系の刀をじっくり堪能できました。 続きはまた後ほど。 https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html (にほんブログ村〜歴史ブログ〜史跡・神社仏閣) ↑よろしければクリックお願いします。 |






