|
○訪問日 平成25年5月4日
お次は、言わずと知れた津軽藩の居城、弘前城跡です。 場所はこちらになります。 詳しい地図で見る 訪城したのは、折しも桜祭りの日。 ものすごい人出を想定したので、朝4時に家を出発、城に着くのに4時間かかりました。 城周辺は、普段は駐車できるのですが、祭り期間中は、なかなか停められないため、近くの河川敷の臨時駐車場からのスタートです。 (集英社刊『写真紀行 日本の城 1 東三道』より引用)
まずは、北の曲輪から参ります。 堀端は、満開とはいきませんが、桜がきれいです。あいにくの小雨ですが。 北の曲輪の入口にある北の門。通称、亀甲(かめのこ)門です。 大光寺城からの移築と伝えられています 築城当初は、こちらが大手門だったようです。 亀甲門を抜けて、三の丸へ。 三の丸の入口、賀田門跡。枡形がちゃんと残っています。 それにしても、露店のすごい事(サーカスの露店なんて初めて見ました)。 祭の大きさがわかります。 賀田門跡を抜けると、 内北曲輪にある子の櫓が見えます。 ここで、一旦城を出て、三の丸の東門へ向かいます。 続きはまた後ほど。 https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html (にほんブログ村〜歴史ブログ〜史跡〜神社仏閣) ↑よろしければクリックお願いします。 |
全体表示
[ リスト | 詳細 ]
|
○訪問日 平成25年4月29日
続いては、大船渡市の碁石海岸の南にある熊野神社です。 こちらは、陸前高田市から碁石海岸に向かう時、偶然発見しました。 謂われについてはよくわかりません。 ただ、古い文化財が比較的残っているようです。 社殿も、良い造りです。 この神社で有名なのは、 この「大船渡の三面椿」。 大船渡市は太平洋沿岸部におけるヤブツバキの北限として知られ、「椿の里」と呼ばれています。 樹齢約1400年。最も古い椿として知られています。 かつては社殿の東西南の三面に植えられた事から「三面椿」と呼ばれたそうですが、現在は東側の椿のみが残っているそうです。 今は度重なる台風による損壊により、往時の半分ほどの樹形だそうです。 境内から海を眺めます。 かつて、神社の前にも家があったのでしょうか。 場所はこちらになります。 詳しい地図で見る https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html (にほんブログ村〜歴史ブログ〜史跡・神社仏閣) ↑よろしければクリックお願いします。 |
|
○訪問日 平成25年4月29日
普門寺を後にして、次に訪れたのは、言わずと知れた奇跡の一本松。 かつて「高田松原」と呼ばれる景勝地でしたが、東日本大震災に伴う津波により、1本を残し全て流されてしまいました。 東北を最初に訪れた今年の3月末。その時はまだ訪ねられるような状態ではありませんでしたが、GWが近付くに連れ、駐車場なども整備され、私が訪問した時は駐車場が車でいっぱい、誘導員まで居ました。 駐車場に降りて最初に見られるのが、この浄化センター。 この建物を見ると、津波の破壊力の凄さが見て取れます。 ひたすらだだっ広いところを歩いていくと、 一本松にたどり着きます。 確か後ろの建物はユースホステル。そのまんまです。 周囲はこんな感じ。前がどんな景色だったのか、さっぱりわかりません。 かろうじて、松の根元がいくつもあるので、ここが松原だった事がわかるぐらいです。 一本松から、市街地を眺めます。 場所はこちらになります。 詳しい地図で見る https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html (にほんブログ村〜歴史ブログ〜史跡・神社仏閣) ↑よろしければクリックお願いします。 |
|
参道を抜けると、
本堂がありました。明治10年(1877)の再建。 ホント、見事な彫刻。 本堂の裏に行くと、 大仏というには小振りですが、青銅製の大仏です。 享保3年(1718)建立。 大仏の隣には、 興味深い建物が。 庭から見ると大きな建物に見えますが、ミニチュアのような感じ。 文化6年(1809)建立の、県内唯一の三重塔との事。 ここも見事な彫刻の一言。 軒裏にこういった彫刻を施すのは、初めて見ました。 震災の影響なのでしょうか、初層とそれより上層が微妙にゆがんでいるような気がします。 本堂横の桜。 https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html (にほんブログ村〜歴史ブログ〜史跡・神社仏閣) ↑よろしければクリックお願いします。 |






