旅庵日記

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古社寺巡礼

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○訪問日 平成25年4月29日

さて、引き続き三陸沿岸部の古刹巡りです。

次は、陸前高田市の普門寺。
曹洞宗で、花巻市にある大興寺の末寺です。
京都の生まれで、臨済宗の栄西の弟子である記外を、当地の郡司である安倍定俊が仁治2年(1241)に招いて寺を創建したのが始まりとされています。
その後、永正元年(1504)、中興の祖とされる如幻により曹洞宗に改宗しました。
大興寺の末寺となったのは江戸時代、気仙郡を統括する寺院となりました。

場所はこちらになります。



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それでは、参りましょう。




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寺院入口から市街地方面を眺めます。
かすかに海が見えます。





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海の近くなのに、けっこう鬱蒼としています。




冠木門をくぐって歩いていくと、



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門に着きます。






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この門、「代門」と呼ばれ、享保10年(1725)に建立されました。







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門内には、200年以上の歴史を持つ仁王像が。






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それにしても、門ですら見事な彫刻です。気仙大工に魅了されつつあります。







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代門を抜け、本堂に向かいます。


続きはまた後ほど。

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○訪問日 平成25年4月29日

さて、休日を利用して三陸沿岸部の古寺巡りです。

まず最初は、大船渡市の長安寺。
浄土真宗大谷派で東本願寺の末寺。
草創は平安時代末期、気仙郡司の正善坊が比叡山で学んだ後、この地に堂宇を建立したようです。
元々は天台宗でしたが、明徳2年(1391)、二十一世の正光坊により浄土真宗に改められました。
弘治2年(1556)火災に遭い堂宇や宝物など全て焼失しました。
その後江戸時代から明治時代にかけて現在の姿になったとの事です。


場所はこちらになります。



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それでは、参りましょう。


寺院の駐車場に車を停め、正面に廻るとまず見えるのが、




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これだけで圧倒されます。




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この山門は、寛政8年(1798)竣工。
壮麗さは東北随一と言われています。




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総ケヤキ造りですが、当時ケヤキはご禁制の材木であった事から、藩主の伊達家から中止命令が出たため、「未完成の門」と言われているそうです。




山門をくぐると、




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本堂や鼓楼などがあります。これらは、明治16年(1883)の建築。




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桃山建築を模したとの事。





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本堂も、彫刻の見事な事。この辺りには、こういった作事に長けた「気仙大工」という集団が居たようです。







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東北の桜のピークは4月末。
花にも趣はあります。






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寺院から沿岸部を眺めます。彼方の山につながっている橋は三陸自動車道。
その向こう側は、津波でほぼ跡形もありません。


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○訪問日 平成25年4月27日

さて今回は、花巻市にある胡四王神社です。
宮沢賢治記念館と同じ山にあるこの神社、大同2年(807)、坂上田村麻呂が戦勝祈願し薬師如来と兜を奉納したのが始まりとの事。
中世期、稗貫氏時代には天台宗の医王山胡四王寺として末寺を18ヶ寺保有していましたが、天文年間の火災・稗貫氏の改易などにより一時は衰退したようです。
江戸時代に入ると南部氏の庇護を受け、南部氏の祈願所という位置づけになりました。
その後、文化15年(1804)、別当職の杉山丹後により、薬師如来から大己貴命・少彦名命に祭神が代わり、名も「矢沢神社」と変更されました。

現在の名称になったのは、昭和29年の事です。


また、元々は城跡だったようで、神社のある山の中腹に、土塁や帯曲輪などが残っています。

場所はこちらになります。



詳しい地図で見る

それでは、参りましょう。




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宮沢賢治記念館のすぐ上に鳥居があります。鳥居前の路肩に駐車しても良いようです。

この真っ直ぐな道を歩いていくと、




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すぐ社地に到達します。




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社殿です。拝殿は慶応3年(1867)、本殿は大正元年(1912)建立。




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拝殿は見事な彫刻です。





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社地から盛岡方面を眺めます。
冬みたいな景色ですが(今はもう雪で真っ白らしいですが)、4月下旬の光景です。

東北の春は遅い・・・。



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さて、ここからは、7月上旬の写真です。

7月上旬に、仕事で毛越寺にやって来ました。庫裏や本堂での会議、庭園の視察など、平泉ならでは、の会議でした。

最後に、浄土庭園を見ましょう。



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南大門から見た円隆寺跡です。南大門には、きれいに並ぶ礎石が残っています。




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南大門と円隆寺の間には、中島があります。よく見ると橋桁が残っているのがわかります。ここに橋が架かっていたようです。





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池に屹立する「池中立石」。震災によりわずかに傾いてしまいましたが、先日修復が完了しました。
それに伴い、出島石組等も調査したそうです。




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毛越寺の庭園は、私の写真で見るよりも、ずーっときれいですよ。
秋と仏の景色が見られなかったのが心残りです。

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続いて参りましょう。



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開山堂に最も近いのが、毛越寺の始まりである嘉祥寺跡。
土壇の上に大きな礎石が残ります。




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嘉祥寺跡の隣にある講堂跡。藤原基衡が建立したと言われています。とてつもない大木な土壇に、これまた非常に大きな礎石が並びます。




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その隣にあるのが、金堂円隆寺跡。毛越寺の中で最も重要な位置を占め、丈六の薬師如来像が本尊として祀られていたようです。
また、東西廊の端には、それぞれ経楼と鐘楼がありました。





円隆寺の隣に広い庭があります。その片隅にあるのが、この遣り水です。



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発掘調査により発見されたそうです。


この遣り水を越えると、見えてくるのが常行堂。


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享保17年(1732)、仙台藩主伊達吉村の武運長久を願い再建されました。
茅葺きなんて、東北ならでは、です。


この常行堂の隣には、常行堂・法華堂の跡があります。


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発掘調査の結果、今ある常行堂は、もともとはこちらにあった事が判明しましたが、残念ながら保存の状況が悪く、規模等は不明のようです。
法華堂は土壇や礎石など保存状態が良く、常行堂と渡り廊下で結ばれた、一体化した建築物であったようです。


次は庭を見ましょう。

続きはまた後ほど。


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