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南都七大寺の1つで、天平神護元年(765)、称徳天皇により建立され、東大寺に対して「西の大寺」と呼ばれました。
山城国への遷都や度重なる火災などにより荒廃しましたが、鎌倉時代に叡尊により復興されました。 しかし、戦火に遭う事が多く、創建当初のものは、四天王像の邪鬼と東塔基壇のみとか。 場所はこちらになります。 詳しい地図で見る かつての大寺ですが、現在の境内はだいぶ狭くなっているようです。 四天堂。創建時の建物は11世紀後半に倒壊し、現在の建物は正徳元年(1711)に再建されたもの 名称の由来は中に四天王が祀られている事による。 四天堂から本堂へ続く道。左側の支院には観音像か何かの仏像が披露されていました。 本堂と東塔跡を眺めます。 本堂は文化年間(1804〜1818)の建立。 本堂の前にあるのが東塔跡。 創建当初は八角七重であったが、四角五重塔に減らされたとか。 発掘調査の結果、今の礎石の下から八角の痕跡が見つかったそうです。 ↑よろしければクリックお願いします。 |
古社寺巡礼
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休ヶ岡八幡宮は、薬師寺のすぐ南にあります。
寛平年間(889〜898)に、薬師寺別当の栄紹により豊後国の宇佐神宮から勧請され、薬師寺の鎮守社として建てられました。 他にも楼門なども再建されたようですが、地震により倒壊したようです。 神社を寺が管理するという、古い形が残っています。 場所はこちらになります。 詳しい地図で見る まずは、薬師寺の南大門を出ます。 受付の方に八幡さんに参詣する旨を話せば、また薬師寺に再入場できます。 社殿です。変わった造りをしてます。 現在の社殿は、慶長8年(1603)に豊臣秀頼の寄進により再建されたもの。 内部には、僧形八幡神・神功皇后・仲津姫命の神像が祀られています。 珍しいのは、社殿の左右にある建物。 「座小屋」と呼ばれていますが、後世の修復が多いものの、社殿とほぼ同じ時期に作られたようです。 寺僧の修行の場として使用されていましたが、本来は中世に始まった宮座という組織の座衆が集う場所だったようです。こういった遺構は、今は見られないのではないでしょうか。 参詣した時は修復工事中でした。 ↑よろしければクリックお願いします。 |
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次は薬師寺です。
寺の創建は天武天皇9年(680)、天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願し、藤原京に薬師如来を祀る寺の建立を発願したのが始まり。 ちなみにこの寺は、今は本薬師寺と呼ばれています。 その後都が平城京に移ると、薬師寺も養老2年(718)に右京六条弐坊にあたる現在地に移転。七堂伽藍を備え、南都六宗の1つとして栄えます。 天禄4年(973)、火災により金堂と東西塔を残して焼失、さらに享禄元年(1528)戦火で東塔と東院堂を残して焼失するなど、苦難が続きます。 現在は、着々と往時の姿に戻すべく、伽藍が復興されつつあります。 場所はこちらになります。 詳しい地図で見る それでは、参りましょう。 薬師寺と先日参詣した唐招提寺をつなぐ道です。けっこう趣のある道です。 その道沿いにあるのが、薬師寺の北門跡。 礎石と、崩れた築地があります。 薬師寺は何度も訪れているのですが、北門の存在には初めて気づきました。 まずは玄奘三蔵院から。 この玄奘三蔵院は、平成3年、玄奘三蔵の遺徳をたたえるために造営された、中国式の伽藍です。 ちょうど奈良に通い始めた頃に完成したのでよく覚えているのですが、なぜか初めて入りました。 中央にある玄奘塔には、玄奘三蔵の頂骨と座像が祀られています。 その後ろにある大唐西域壁画殿には、平山郁夫さんが描かれた壁画がおさめられています。 玄奘三蔵院内にある慈恩殿。何の建物かはわかりませんが、趣があります。 薬師寺の入口になる與樂門です。 以前と入口が変わったような。 ↑よろしければクリックお願いします。 続きはまた後ほど。 |






