古社寺巡礼
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今回は、かの有名な唐招提寺です。
唐招提寺は、南都六宗の一つ律宗の総本山で、天平宝字3年(759)、来日した鑑真和上のため新田部親王の旧宅地に戒律を学ぶ人たちのための私寺として開かれたのが始まりです。 平安時代には一時衰退したようですが、鎌倉時代に入ると教学の復興が成されたようです。 場所はこちらになります。 詳しい地図で見る それでは、参りましょう。 近鉄西ノ京駅を下車し徒歩約10分、南大門に到着します。 南大門をくぐると、 金堂にお目見えです。 以前参詣した時はまだ修理中だったので、私にとってこのお姿を拝見したのは約20年ぶりです。 奈良時代に建立された金堂としては唯一の遺構。鎌倉・江戸時代に何度か修復・改変が行われていますが、部材の大半が当初から残っており、中でも部材のヒノキは781年に伐採された事が判明しています。 金堂の右側を見ると、 鼓楼と礼堂があります。 鼓楼は仁治元年(1240)の再建。舎利殿とも呼ばれ、初階には鑑真和上が唐から持ってこられた仏舎利を納める金亀舎利塔が安置されています。 なお、5月に行われる団扇撒きはここで行われます。 礼堂は、元の僧房を弘安6年(1283)に改築したもの。隣の鼓楼を礼拝するための堂です。 中央に馬道(めどう)と呼ばれる土間の通路があり、左が礼堂、右が東室です。 堂宇は、今は古色の良い色をしていますが、昔は朱が塗られていたようです。 参詣した時は、団扇撒きの部材が置かれていました。 続きはまた後ほど。 ↑よろしければクリックお願いします。 |
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妙心寺は、もともと花園法皇の離宮であったのを、建武4年(1337)、法皇の発願により創建されたのが始まりです。
天龍寺と同じく、京都の中では遅い創建ですね。 足利義満により一時寺地が没収されましたが、その後返還され、細川勝元の庇護により復興しましたが、応仁の乱で全焼しました。 現在は塔頭が64という、とてつもない大きなお寺です。 花園大学も、このお寺の系列なんですね。初めて知りました。 場所はこちらになります。 詳しい地図で見る 詳しい事を下調べせずの参詣なので(あと、天候がえらい急変しますので)、簡単に参詣です。 仁和寺からの帰りなので、北総門から入ります。 一旦南まで行きます。 放生池ごしに三門を眺めます。 三門です。慶長4年(1599)建造。 三門・仏殿・法堂が一列に並ぶ様は壮観。 でも、これだけ大きな建物も、妙心寺の中ではほんの一部分なんですね。 それぐらい、恐ろしい広さです。こんな街中によくこれだけ広い敷地を保有しているものです。 仏殿です。文政10年(1827)の建て替え。 仏殿と法堂です。法堂は承応4年(1655)着工、明暦2年(1656)完成。 ↑よろしければクリックお願いします。 |
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長い名称ですが、平たく言うと嵐山の天龍寺です。
創建は暦応2年(1339)と、京都では割と新しい方でしょうか。後醍醐天皇の菩提を弔うために、足利尊氏が夢窓疎石を招いて開山。 寺院建築の資金調達のため「天龍寺船」を使い元との貿易を進言したのは有名な話。 その後幾度も火災に遭い、現在の建物の大半は明治時代のものだそうです。 天龍寺って言うと、昔からどこか入る度にお金を取られるってイメージがあって、なかなか参詣する事がありませんでした。 今回は、ほぼ初めて状態の参詣です。 場所はこちらになります。 詳しい地図で見る それでは、参りましょう。 嵐山と言えば、桂川にかかる渡月橋。 嵐山に来るなんて、高校生の時以来だから20年以上前。 近くにあった嵐山美術館が好き(あそこの膨大な刀剣と甲冑の展示がたまらなく好きでした)で、よく通ってました。 いつの間にか閉鎖されてたんですね。残念です。 久しぶりに来たせいか、渡月橋や嵐山駅前も前よりきれいになった気がします。 天龍寺の総門に到着。この時点で凄い人だかり。 中に入りましょう。 すぐ傍には勅使門が。良い建物なんですが、眼前が駐車場となっており、少し寂しい感じです。 塔頭の壁を見ると、福岡の寺院で見た博多塀みたいな感じ。 庫裏に到着しました。中に入りましょう。 庭園込みで600円です。 書院の中です。落ち着きますね。 このまま多宝殿に向かいます。 こちらの多宝殿は書院などに較べると、明るい感じの造りです。 書院と多宝殿をつなぐ渡り廊下。趣のある「水月」の文字が。 この渡り廊下の柱の割れ具合もすごいですね。 次は、方丈に向かいます。 続きはまた後ほど。 ↑よろしければクリックお願いします。 |






