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○訪問日 平成25年6月初旬
さて、お次は古代東北の名城、多賀城跡です。 神亀元年(724)に築城され、以後四期にかけて改築などが繰り返され、10世紀後半頃には荒廃したものの、度々拠点として使用され、南北朝時代には陸奥将軍府が設置されました。 場所はこちらになります。 詳しい地図で見る それでは、参りましょう。 現地模型より。最盛期は、こんなに広かったようです。 城北側の駐車場に停めてスタート。 まず最初に見えるのは、土塁のようにも見えますが、こういった築地塀の残骸。 正殿・後殿を眺めます。 最盛期はこんな感じだったようです。 南門から正殿を眺めます。 南門の両脇には築地塀が。 正殿はこんな感じ。 正殿から後殿を眺めます。 後殿から正殿・南門を眺めます。意識的なのでしょうか、正殿と後殿で礎石の並び位置が異なるのがわかります。 南門から城の南側を眺めます。意外に高低差があります。 続きはまた後ほど。 https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html (にほんブログ村〜歴史ブログ〜史跡・神社仏閣) ↑よろしければクリックお願いします。 |
名城巡り
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○訪問日 平成25年5月4日
さて、弘前城跡を後にして、向かったは浪岡城跡。 この城は、1460年頃に浪岡氏により築かれました。浪岡氏は、南北朝時代に後醍醐天皇を助けた北畠親房の子孫と言われる家柄。 最盛期の1500年代には、京都とも交流を持つほど栄えました。 その後親族間の争いが勃発し衰退、天正6年(1578)、大浦(津軽)為信により攻め滅ぼされました。 昭和52年から発掘調査が行われ、現在は国史跡として整備されています。 場所はこちらになります。 詳しい地図で見る 弘前城跡は、あれだけ大勢の人がいたのに、浪岡城跡は、人っ子一人いません。 ボランティアのおばちゃんが一人花植えしてました(しきりに申し訳ないと謝られてました)。 案内所で図面をもらってスタート。 図面はこちら。 青森県はいつも空がどんよりしていると誰かが言っていたような。 この日は、曇り時々雨。挙げ句に強い風。傘破損で一気にテンション下がる。 案内所を抜けて入城。目の前の高まりは東館。 東館から北館へ向かいます。城というよりアスレチックに来ているような感じ。 これは、確か猿楽館方面の堀。 北館の入口に到着。 中に入りましょう。 中は、このように板塀で仕切られています。 西館・内館を眺めます。 前述のように、テンションが切れてしまったので、これで退散。 https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html (にほんブログ村〜歴史ブログ〜史跡・神社仏閣) ↑よろしければクリックお願いします。 |
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(集英社刊『写真紀行 日本の城 1 東山道』より引用)
続いて参りましょう。 二の丸南内門を出て、追手門に向かいます。 城内から眺めます。当然ながら窓なし。 城外からです。どの門・どの櫓もほぼ同じ造りですが、そこが却って良いですね。 堀からです。ちゃんと枡形になってます。 お堀です。桜も良い感じです。 一旦二の丸に戻り、西の曲輪を目指します。 こちらが埋門跡。ここだけ枡形ではなく、単純な虎口です。 この埋門の横に建っていたのは、西の丸未申櫓。 現在は土台のみですが、本丸や二の丸と同じような三層櫓が建っていたようです。 これで、弘前城はお終いです。 次は、近くの浪岡城跡に向かいます。 https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html (にほんブログ村〜歴史ブログ〜史跡・神社仏閣) ↑よろしければクリックお願いします。 |
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(集英社刊『写真紀行 日本の城 1 東山道』より引用)
続いて参りましょう。 内北の曲輪から二の丸に戻ります。 こちらは、二の丸の丑寅櫓(重要文化財)。 現在は銅板葺きとなっていますが、元々は木端葺だったようです。 こちらは、二の丸の辰巳櫓(重要文化財)。 江戸時代、弘前八幡宮の山車行列が三の丸を通る際、藩主はこの櫓から見物したそうです。 こちらは、二の丸の未申櫓(重要文化財)。 どの櫓も大体同じ造りのようです。 未申櫓から南内門を眺めます。 南内門です。 外から眺めます。 これを出ると三の丸です。 南内門と三の丸を結ぶ杉の大橋から、先ほどの未申櫓を眺めます。 南内門と杉の大橋を眺めます。 続きはまた後ほど。 https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html (にほんブログ村〜歴史ブログ〜史跡・神社仏閣) ↑よろしければクリックお願いします。 |
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(集英社刊『写真紀行 日本の城 1 東山道』より引用)
続いて参りましょう。 本丸を降りて、本丸北側にある内北の曲輪に向かいます。 本丸と内北の曲輪を結ぶ橋から、本丸の石垣を眺めます。 崩れそうで崩れない感じです。 2つの曲輪を結ぶ橋はこんな感じ。 この曲輪の桜も良い感じです。 この曲輪にあるのが武徳殿。隣は物産館になってました。 明治時代末期に造られたとの事。 内北の曲輪から、三階櫓を眺めます。 あんまりこのカットはないような。 写真左側に妙な堀の切れ目があります。 縄張り図を見ると、内北の曲輪の本丸北東側に妙な一角があります。 それがこちら、「館神(たてがみ)跡」です。 2代藩主の津軽信枚が豊臣秀吉の木像をご神体として祀った所。 ここでは、藩主や城内に関する加持祈祷が行われていたようで、藩主やその一族・神官などごく一部の人しか入れなかったようです。 発掘調査により、こういう感じの復元がされています。 不思議と、ここだけ土塁がやけに高く感じられます。 続きはまた後ほど。 https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html (にほんブログ村〜歴史ブログ〜史跡・神社仏閣) ↑よろしければクリックお願いします。 |






