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続いて参りましょう。 現在の本丸です。 (「もりおか歴史文化館常設展示ガイド」から引用)
江戸時代、本丸・二の丸には、このように御殿の建築物がたくさんありました。 廊下橋の左右は、このように隅櫓や多聞櫓が建っていました。 そして、本丸の奥には、 ちなみに、往時はこんな感じだったようです。 こちらは、城内にある「もりおか歴史文化館」で販売しているペーパークラフト。ちゃんと、赤瓦や青銅の鯱も再現しています。 三重櫓から本丸を眺めます。 続きはまた後ほど https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html (にほんブログ村〜歴史ブログ〜史跡。神社仏閣) ↑よろしければクリックお願いします。 |
名城巡り
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さて、とりあえずは、御台所を見てみましょう。 と思ったら、この日から桜祭り。今は多目的広場になっている御台所には、露店が並んでいます。 桜祭り初日なのに、桜が全く咲いておらず(挙げ句に小雨模様ですし)。 せっかく桜の名所に来たのに、何となくツいてません。 御台所付近の石垣&大石。 これが見られただけでも満足です。大石に合わせて無理矢理石垣を築いた感が何とも言えません。 御台所に降りる道から、主郭部分を見ます。良い石垣です。 さて、改めて主郭に入りましょう。 まずは、二の丸の入口、「車御門」。ここも枡形奥に櫓門があったようです。 二の丸の現況です。 かつてここには、本丸と連結した御殿がありました。 二の丸の奥には、 本丸に続く朱塗りの橋が見えます。 かつては、廊下橋だったようです。 渡ってみましょう。 本丸から二の丸を眺めます。意外に高低差があるようです。 続きはまた後ほど。 https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html (にほんブログ村〜歴史ブログ〜史跡・神社仏閣) ↑よろしければクリックお願いします。 |
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では、続きを。
先ほどの下曲輪を抜けると、 櫻山神社の正面に出ます。 創建は寛永2年(1749)、藩主の南部利視により城内の淡路丸に藩祖南部信直の神霊を勧請し淡路丸大明神として祀ったのが始まり。 維新後は城を出ましたが、明治32年(1899)、旧藩士や旧領民により現在の地に移転しました。 城の機能としては、本来ここには枡形虎口があったようですね。 社殿の横を通り抜けると、 この「烏帽子岩」を見る事が出来ます。 盛岡城築城の折り忽然と姿を現したこの岩。築城を手がけた南部信直が瑞兆と喜んで以来、大事にされていたそうです。 烏帽子岩の下に、城に入る門があります。 こちらは、「瓦御門」。 絵図面を見ると、枡形の奥に櫓門があったようです。 瓦御門を抜けると、 ここは三の丸。 道が二手に分かれます。 正面へ進むと「二の丸」。左に降りると「御台所」。 続きはまた後ほど。 https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html (にほんブログ村〜歴史ブログ〜史跡・神社仏閣) ↑よろしければクリックお願いします。 |
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○平成25年4月20日訪問
なかなか更新できず、でした。 次は盛岡市にある盛岡城です。 私事ですが、平成15年冬に新婚旅行で訪問して以来、10年ぶりの訪問です。 盛岡城は、江戸時代に当地を治めた南部藩の居城。 この北上川と中津川の合流地点には、不来方(こずかた)城という福士氏の居城がありましたが、天正18年(1590)、豊臣秀吉から所領を安堵された南部信直が、領国経営の拠点を三戸からこの地に移転させ、近世城郭へと改修しました。 藩主の死去や川の氾濫などで工事が度々中断、居城も三戸城や福岡城(九戸城)などに移転しましたが、寛永10年(1633)、ようやく藩主が入城するに至ったそうです。 このように、普請が約40年かかったため、場所によって石垣の積み方が微妙に異なるのが見て取れます。 それでは、行ってみましょう。 場所はこちらになります。 詳しい地図で見る 城の縄張り図はこのようになっています。 車を盛岡城跡の地下駐車場に停め(料金はちょっと高め)、町を観ると、真っ先に目に付くのが、 岩手銀行中ノ橋支店です。 前身は明治44年に3年の歳月をかけて造られた盛岡銀行本店。設計は、あの東京駅でもおなじみの辰野金吾。 平成6年、国の重要文化財に指定されています。 そして盛岡と言えば、 この「石割桜」。 花崗岩の割れ目から出てきた樹齢300年以上の桜です。 東北の春は九州に較べてかなり遅く(今年は特に遅かったようで)、4月の下旬にも関わらず、まだ芽が出ただけでした(結局10年前と今回、2回訪問しましたが、桜は観られず、でした。)。 よく考えたら、訪問前日は遠野で雪が降りましたので。 では、参りましょう。 盛岡城の縄張りを見て気付くのは、馬出曲輪のようなものが残っている事です。 こちらが馬出状の曲輪。「下(しも)曲輪」と呼ばれていたそうです。 絵図面と比較すると、かつて枡形虎口があったようですが、それは撤去されているようです。 曲輪内は、おもしろい事に飲み屋街になっています。 その一角には、 藩政時代に城下に時を知らせるために設置された「時鐘(じしょう)」があります。 元々は、「日影門外(ひかげもんそと)時鐘」と呼ばれ、外堀の土塁上にあったそうですが、明治維新後、この地に移され、昭和30年頃まで現役で活躍していたそうです。 続きはまた後ほど。 https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html (にほんブログ村〜歴史ブログ〜史跡・神社仏閣) ↑よろしければクリックお願いします。 |








