旅庵日記

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名城巡り

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今回は久しぶりのお城巡り、宮崎県児湯郡高鍋町にある高鍋城跡です。

こちらは、元々は財部(たからべ)城と呼ばれてましたが、延宝元年(1673)、「高鍋」に改称されました。

当初は日向国に大きな勢力を持っていた土持氏が作ったと考えられますが、15世紀半ばには伊東氏が領有、伊東氏の没落後は島津氏の支配下となりました。

豊臣秀吉の九州平定の後は、筑前国の秋月氏が入りました。近世城郭への改修は慶長12年(1607)に行われ、この時に三階櫓などが造られ、さらに寛文9年(1669)〜延宝6年(1678)には、堀や大手門・本丸御殿等が整備されました。

この高鍋城跡は、日向国では唯一水堀を持つ城としても知られています。

また、かの有名な出羽国米沢藩主の上杉鷹山(1751〜1822)は、高鍋藩主の秋月種美(1718〜1787)の次男として生まれ、10歳で米沢藩主上杉重定の養子となった事でも知られています(鷹山自身は生まれも育ちも江戸なので、高鍋に来た事はなかったようですが)。


縄張り図はこのようになっています。
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(参考文献『宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書Ⅱ』)


場所はこちらになります。


詳しい地図で見る


それでは、参りましょう。



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道ばたには、このようにきれいな石垣が見られます。日向国内では石垣を持つ城が少ないので、こういった光景はなかなか貴重です。
今回は、水堀のある三の丸を省略して、二の丸から参ります。

正面の石段を登ると、


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二の丸に入る正門である、岩坂門跡です。
寛文10年(1670)に完成した門で、元々は「杉之本門」とも呼ばれました。

このように、頑丈な礎石が残ります。



それでは、二の丸を巡りましょう。




岩坂門跡を右手に進むと、見えてくるのが「萬歳亭」。

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この「萬歳亭」は、部屋住みの身ながら江戸幕府の学問所奉行や将軍徳川家茂の侍読などを務めるなど、英明で知られた秋月種樹(たねたつ、1833〜1904)の住家で、高鍋藩士の三好退蔵(1845〜1908)宅を移築したものです。




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老朽化したため、近年修復されたようです。
ちなみに、昭和初期に建てられた秋月邸は現在の歴史資料館の辺りにあったようです。




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訪城した時には、散策にはもってこいの、梅の花が満開でした。





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片隅に1棟の古い家があります。





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この家は、秋月家お抱え刀工で、城下の南道具小路にあった岩下家の火事場を移築したもののようです。



続きはまた後ほど。



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https://history.blogmura.com/his_shiseki/index.html
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上野城 その3

さて、天守を後にして、他の所をまわってみましょう。




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天守を西側から見ました。東側は、石垣の根元がちゃんと地面に着いていたのですが、こちらは、山っぽくなっています。
散らばっているのは栗石でしょうか。





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上野城といえば、高石垣。とりあえず上から眺めてみました。

以前行った八代城のように柵が全然ないので、けっこうスリルあります。



さて、また城代屋敷に戻りました。昔に較べると、石垣が結構整備されたような気がします。





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駐車場に戻り、子供が忍者が見たいというので、忍者博物館に向かいました。




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前からあったような気もするのですが、ビックリしたのは、地下に博物館ができていた事。秘密基地みたいな感じです。





博物館の横には、忍者集団の阿修羅さんの実演場所がありました。

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気軽に入ってみたのですが、その凄さにビックリ。迫力あり、笑いありで、入場料は確か200円か300円ぐらい。十二分に楽しませてくれます。
立ち回りは速過ぎて写真に撮れませんでした。いやはや、とにかくすごいの一言です。




忍者博物館に隣接してもう1つ博物館があります。


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この建物は、かつて城内の西側、御屋敷の前にあった「永倉」と呼ばれる米蔵の建物です。
かつて上野城には、こういった永倉が3条あり、長いものだと、1つの建物に1区画4間間敷の部屋が20区あり、中央に門があるような、途方もないおおきさだったようで、「伊賀の上野に過ぎたるものは、天守基台か永倉」と歌われたそうです。
ここに残っているのは、明治時代末期に解体され、小学校の校舎の一部に使用されていたものを、昭和45年にこの地に移築したものです。

現在は忍者伝承館として使用されています(確かこっちが元々の博物館だったような)。



これでお終いです。


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上野城 その2

 さきほどの城代屋敷の曲輪を抜けると、本丸に着きます。

それにしても、城代屋敷より本丸の方が低いってのも変な話ですね。


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 天守です。

それでは、入ってみましょう。



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 入口は鉄門のような感じ。

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 中は最近の復興なので鉄筋かと思いきや、純木造です。

この天守は、昭和7年に着手、昭和10年に完成した復興天守です。

復興社である川崎克氏の言葉にちなみ、「伊賀文化産業城」というのが正式な名称だそうです。



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 最上階にやってきました。とてつもなく涼しかったです。



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 最上階の格天井には、天守復興を祝う政財界や教育者・画家・書家など名前を聞いた事のある人たちばかりの大色紙が飾られています。横山大観とか河合玉堂とか、普通に飾ってあるのに驚きです。

ずいぶんつきあいの広い人だったんですね。

この天守は、周囲では一番高い建物とあって、眺望もバツグン。



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 南側を眺めます。豊かな田園風景が広がります。





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 西側を眺めます。手前左のグラウンドが、かつて藩主のお屋敷のあった所です。


それでは、他の所もまわって見ましょう



続きはまた後ほど。


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さて今回は、伊賀市(いつの間に合併したのか、以前は上野市だったような)にある上野城です。

もともとは、この辺りに旧伊賀守護仁木氏の城館跡があったようですが、天正13年(1585)、新たに伊賀領主となった筒井定次が城郭を築いたのが今の城の原形です。
本丸には三層の天守があり、二の丸・三の丸などの施設があったようです。ちなみに、この筒井氏の天守は、絵図面によると、寛永10年頃までは建っていたようですが、慶安初年頃の絵図には「天守跡」と記されている事から、その間に倒壊したと思われます。

次に入城したのは、かの有名な藤堂高虎。慶長16年(1611)から築城を始めたものの、翌年には竣工直前の五層の大天守が暴風により倒壊、以後建てられる事はなかったようです。

しかし、地理上の重要性から廃城とはならず、城には城代が置かれるようになったようです。


それでは、行ってみましょう。

場所はこちらになります。


詳しい地図で見る


それと、縄張りはこんな感じです(赤は城郭の名称、緑は現在の建物です)。

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((財)伊賀文化産業協会 2009『伊賀上野城』から引用)



う〜ん、何か藤堂高虎が作ったっていう割には、パッとしないっていうか、よくわからない縄張りなんですよね。

縄張り図に書いている「駐車場」からスタートです。




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駐車場から本丸を目指します。左手の斜面が、「御城」と呼ばれる城代屋敷の曲輪です。




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さて、先ほどの道を左に折れて、空堀を一部埋め立てた土橋を渡ると、この石垣群に当たります。
ここは、「御城」とも呼ばれる城代屋敷の曲輪です。元々は筒井時代、本丸が置かれていた場所で、藤堂高虎が入城した後も、寛文2年(1662)までは、筒井氏時代の御殿建築物をそのまま転用していたようです。


ちなみに、こんな感じだったようです。

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さっき見たきれいな石垣は、城代屋敷の西方にある裏門です。



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現在の本丸から城代屋敷を眺めます。良い感じに復元してくれています。建物もできないかな?




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城代屋敷から天守を眺めます。

次は天守に向かいましょう。


続きはまた後ほど。



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唐津城跡 その4

 さて、腰曲輪の続きです。

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風光明媚な道ですが、こうやって少しずつ往時の城の様子を復元しています。





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 いずれは、こんな感じにするそうです。


では、次は城下町を少し歩きましょう。



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 ここは、「埋門小路(うずめもんこうじ)」と呼ばれる場所。

殆どの唐津藩士が住んでいた、この三の丸北側には、海に面して石垣が築かれており、その石垣の中程に「埋門」という海岸に出るための入口がありました。

今でも、こんな風情を残しています。


場所はこちらになります。



詳しい地図で見る





 さて、ここから城の方面に歩いていくと、


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 二の丸と三の丸を区画する堀に出会います。

この堀の東側には、「二の門」と呼ばれる二の丸を守る門があり、堀の西側には「時の太鼓」「撞鐘堂(つきかねどう)」と呼ばれる時計台が、北東には海に向かって開く「北ノ門」がありました。

非常に重要な場所ですね。



では、最後に天守閣から見た時に見えた櫓を見に行きましょう。


場所はこちらになります。


詳しい地図で見る



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 こちらは、「三の丸辰巳櫓」と呼ばれる、三の丸の東南隅に建てられた櫓です。江戸時代初期の絵図面にも描かれているそうです。

廃藩置県後解体されましたが、平成3年に石垣を修復し、平成4年に復元したそうです。

内部には能舞台のようなものがあるそうなのですが、私が行った時は、鳩の家みたいな感じでした。

何か開けないのは勿体ないなあ。開ける時あるのでしょうか?

管理の関係とかで難しいんでしょうね。




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 三の丸辰巳櫓から城を眺めます。川沿いにも石垣が結構残っていますね。



以上で、唐津城はお終いです。



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