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【イスラエルの暦・聖書の暦】

<ユダヤ暦>

 イスラエルのユダヤ暦で新年のことを「ローシュ・ハシャナ(ハッシャーナー)」と言う。意味はズバリ「年頭」。

 ユダヤ暦では「ティシュレー」と呼ばれる第7の月が新年である。聖書にはこう書いてある。「イスラエル人に告げて言え。第七月の第一日は、あなたがたの全き休みの日、ラッパを吹き鳴らして記念する聖なる会合である。」(レビ記23:24) これがローシュ・ハシャナの起源である。週の7日目が安息日で聖なる日であるように、月の第7番目は1年のうちで聖なる月とされる。同様に、年についても7年目は安息年であり聖なる年と見なされる。

 現在一般的に使われている年号は、俗に「西暦」(太陽暦・グレゴリオ暦)と呼ばれるものだが、正式にはAD(ラテン語のアンノ・ドミニ=「私たちの主の年」の略号)で、イエス・キリストの生誕を基準とした「キリスト紀元」である(イエス・キリスト生誕前を英語でBC=Before Christと表記)。今年は正確には主の年2011年である。2011年が主の年であることを知らない者たちにとっては、なぜ2011年がおめでたいのかはわかるまい。

 このグレゴリオ暦は、1582年にローマ教皇・グレゴリウス13世がユリウス暦を改良して制定した暦で現行の太陽暦として世界各国で用いられる。この暦法は、ローマ・カトリック教会で復活祭(イースター)を一定の季節の範囲内におさめることを目的として導入された。325年、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世によって召集されたニカイヤ公会議で「復活祭は春分後の最初の満月の後の日曜日で、春分の日は3月21日とする」と決められていたが、当時使われていたユリウス暦では春分がずれていき、16世紀半ばでは3月11日頃になってしまった。このため、グレゴリウス13世は 1577年に改暦委員会を組織。暦から10日を削って季節を戻し、ユリウス暦の1582年10月4日木曜の翌日を、グレゴリオ暦の10月15日金曜とすることが決められた。また同時に、これまで3月25日だった新年も1月1日とすることに決められた。日本では、明治5年(1872年)に、従来の太陰太陽暦を廃して翌年から太陽暦を採用することが布告された。明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日(グレゴリオ暦の1873年1月1日)とした。キリスト紀元を日本に普及させたのは福澤諭吉である。

 ユダヤ暦は、日本でも江戸時代まで採用した太陰太陽暦で、創世紀元、宇宙創世紀元、ユダヤ紀元とも呼ばれ、ユダヤ教において神が世界を創世した日とされるキリスト紀元換算で紀元前3761年10月7日を紀元とする紀年法である。グレゴリオ暦との間では差があるため、現在のキリスト紀元と日付は対応していない。ユダヤ暦の新年は、第7の月(ティシュレー)の第1日は、キリスト紀元でいう9月〜10月の1〜2日となる。

 聖書に記されている「月」は、新月から次の新月までの29日か30日の時間を1ヶ月とする太陰暦であり、1日は日没から日没までを指す。また、ユダヤ暦の1年、12ヶ月は、ほぼ354日であるが、これは月の満ち欠けの周期が、およそ29日半であるために算出された数字である。太陽暦は、1年365日であるので、太陰暦との差が1年でおよそ10日生じてくる。このままであると、例えば春の祭りである「過越の祭り」が、何年か後には冬になったり、また何年か後に夏になってしてしまう。そこで、太陽暦との差を調整するために、うるう月を設けている。3年でその差が30日となるために、3年に一度1箇月を増やすことによって、太陽暦に近づくので、第12の月(アダル)で調整したので、第二アダルが付け加えられている。明治政府もこれと同じ問題を苦慮し、キリスト紀元導入に踏み切った経緯を持つ。

 ちなみに昨年2010年のイスラエルの新年はユダヤ暦5771年9月8日の日没から9月10日の日没まで。今年2011年は、9月28日の日没から9月30日の日没まで。来年2012年は9月16日の日没から9月18日の日没である。


<続く>


※イスラエル共和国の国旗

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