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サンキュー、長瀬

試験管が試験開始から30分が過ぎたことを告げた。
90分の試験は開始から30分経った時点から途中退出が認められる、ということだった。
私は最初からどんなに早く回答が終わっても最後まで室内にいようと決めていた。
私が受験しているのは民間の検定試験「きもの文化検定」の5級、4級だ。
問題は共通で、正解率によって認定する級が違う。
60%で5級、70%で4級。

試験は四択のマークシート方式で行われている。
問題文の後に四つの選択肢が用意されている。
テレビのクイズ番組で似たような方式のものがある。
クイズ番組は問題が不正解の場合はその場で失格、この試験は100問中30問までは間違えることが許される。
私は確実性を求め、まずは問題用紙に解答を書き、一ページごとに確認しながらマークシートに写す方法で解答していった。
おかげで幾つかのイージーミスを発見することができた。
作戦の成功は心を逸らせる。
逸った心はミスを生む。
私は自分を戒めつつ、慎重に解答を重ねていった。

試験管の30分経過の合図で、席を立つ受験者が続出した。
確かに問題は分かりやすく、流していけば30分あれば解答することができそうだ。
自分のペースでゆっくり解いているにも関わらず、退出者が出るたびに何故か心が焦った。
私は今までにいろいろな試験を受けてきた。
学校の入試に模擬試験、運転免許に適正試験など。
その内の幾つかは今回と同様に任意の時間が過ぎれば途中退出を認めていた。
しかし、私は今まで途中退出をしたことがなかった。
自分の中で潔い行為だと思わなかったからだ。
どうしてなのかはわからないが、途中退出を「棄権」に近いイメージで考えている。
とにかく時間内いっぱいまで問題を考えること、あるいはただ席についていること、それが試験と言うものだと考えていた。

私が焦っているのには理由があった。
試験日の一ヶ月ほど前から体調を崩していた。
検査でいくつかの疾病が明らかになった。
それ以来、何種類かの薬を内服している。当日の朝も、当然のように朝の分の薬を飲んだ。
その中に「利尿剤」というものが含まれていた。
どの疾病に効く薬かは忘れてしまった。しかし義務のように毎回、決まった薬を飲んでいる。
「利尿剤」
その名の通り、小便の排出を促進する薬だ。
普段の仕事は時間に縛られていない。
よほどのことがない限り、自由にトイレに行ける。
私は時間に縛られること自体がかなり久しぶりの体験だった。
試験前にはちゃんとトイレに行った。大人の身体の仕組みからしても、30分毎にトイレに行きたくなるのはいくら「利尿剤」を飲んでいるにしても不自然だ。
しかし現に30分の合図を境にだんだんトイレに行きたくなってきた。
これが焦りの理由だ。

意識すると問題への集中力が散漫になってくる。
私は何とか問題に取り組めるよう、退出を辞さない構えを心に決めた。
問題の前半は簡単な問題が連続していた。しかし40問目あたりから、問題の表記が意地悪なものやかなり専門的な分野の出題が目立ち始めた。
私は密かに高得点での合格を狙っていた。
そんなに身を入れて準備を進めていたわけではないが、教本の内容やインターネット上に公開している模擬試験の結果から、90点以上を自分の目標に定めていた。
高まる尿意は私の目標達成に黄信号を点した。

私は60分ほどで、解答を終えた。
次は見直しに掛からなければならない。悩んだ箇所や分からなかった箇所がやけに印象に残っている。
ひとり、またひとりと相次ぐ途中退出者と尿意。
私はふと昔、フィットネスクラブのインストラクターから教わったヨガ式呼吸法を思い出した。
まずは息を全て吐き出す。もう残っていないと感じたところで息を止める。
止めたまま三秒。
ゆっくりと鼻から息を吸う。15〜30秒をかけて、頭のてっぺんまで空気で満たすようなイメージでこれ以上は吸えないと感じたところで息を止める。
止めたまま三秒。
ゆっくりと口から息を吐く。吸った時と同じくらいの時間をかけて、足のつま先の空気まで吐き出すイメージでこれ以上は吐き出せないと感じたところで息を止める。
これを繰り返すのがヨガ式呼吸法。
エアロビクスのクールダウンのストレッチ後、インストラクターが床にへたり込んでいる私のところにやってきて教えてくれた。
その時のことが頭の中にフラッシュバックする。
「自分が落ち着きたいと思った時にもやってみるといいよ」
TOKIOの長瀬智也似のインストラクターだった。
長瀬は私の頭の中で力強く言った。
「今やんなくてどうすんの!」
私は長瀬に従い、呼吸音がなるべく周囲に聞こえないようにヨガ式呼吸法を始めた。

5回6回と繰り返すうちに、不思議と尿意が収まってきた。
今までの問題で悩んでいた箇所のヒントも思いついた。
暫く続けた後呼吸を整え、再度問題に取り組んだ。
見直した結果は、確実に分かった問題80問、少しでも悩んだ問題20問。
80問はほとんど正解だろう。間違いがあったとしても2〜3問だ。
目標を達成するには、悩んだ20問の内、12〜13問の正解が必要だ。
残された時間はあと15分程度。
私は20問と格闘した。

試験管が終了を告げた。
頭を上げると、受験生の4分の1ほどは途中退出でいなくなっている。
真ん中よりも少し後ろよりの私の席の横を多くの人が退出していったはず。それを考えると最後の30分は自分でも驚くほどの集中力を発揮したようだ。
答案用紙と問題集の回収が終わると、試験管は来年の検定の予定を告げた。
私が瞬時に来年の再度の受験を決意すると同時に引いていた尿意が戻ってきた。

受験者はほとんどが女性だ。
会場を出て入った男性用のトイレには誰もいなかった。
私は用を足しながらなぜかヨガ式呼吸法を行っていた。
    おわり

方向性の秩序

日曜日のターミナル駅はいろいろな人でごったがえしていた。
この日は市長選にも関わらず、主にこれから買い物やレジャーに出かけるであろう有権者達は、市政の行方にも11月の冷たい雨にもその行動力を殺がれることなくはやる気持ちに一様に頬をほんのり上気させている。
マスコミはここ数日、市長選の報道を重ねて行ってきた。
現職は地元の有力企業を抱え込み、とかく黒い話の絶えない政治家。
投票率が上がれば影響の及ぶ企業や団体の票が主体となる現職側に不利になる、という見方が強かった。
この雨は現職側にとっては恵みの雨になるかもしれない。
今日は仕事で使う検定試験を受けるため市内から少し西側に離れたリゾート区まで行かなければならない。
私はターミナルの活気を避けるように、駅の隣に建つバスセンターへ歩を進めた。
駅のロータリーのまわりには普段にも増して外国人の姿が目立つ。
バレーボールの国際大会の会場が近くにあるからだろう。
大相撲の場所が開かれているため、それを観戦に訪れた人もいるだろう。
そんな外国人の姿や、試験を前に緊張した面持ちで早足に歩く私の姿はターミナルの賑わいにちょとしたスパイスを効かせているかもしれない。
そんな自意識過剰なことを思ったのは受験前の高ぶった感情のせいかもしれない。

家を出る前に、妻はバスの時刻を書いた紙を私に手渡した。
その時刻まではまだ30分ほど余裕がある。
バスの乗り口を確認して、エスカレーターでバスセンターの上階へ向かった。
バスセンターはビルになっていて、一階から三階がバスの発着所、それより上にはいろいろな店がテナントとして入居している。
私は迷わず四階のワンフロアを独占している100円ショップへ行った。
別に買い物があるわけでもないのに、その店を選んだのは単に時間を潰すためではなかった。

私は100円ショップが好きだ。
正確に言うと、100円ショップの陳列棚に並んだ商品をゆっくり眺めるのが好きだ。
100円ショップにはいろいろな商品が並んでいる。
その中には、単に「買い物をする」という行為を楽しむために作られた商品も少なくない。
頭のいい学者は人間が「買い物」という行動に至るまでの過程を何段階かに分ける。
随分前に研修セミナーで習ったことがある。
そのいずれの段階も満たすことで人間は「買い物」をする。
そのため、製造者はコマーシャルを行い、卸は小売に納品を勧め、小売は棚に並べて飾り立てる。
新発売の飲み物などは、刺激的なコスチュームに身を包んだ若い女性が試供品を誰彼かまわず配りまくる。
「買い物」を「させる」ために膨大なエネルギーを費やしているわけだ。
100円ショップにならんだ商品の中には、自分に与えられた小さなスペースの中で絶え間なく「買い物」をしてもらうためのエネルギーを発散しているものがある。
前を通る人が自分に目をとめ、買い物篭の中に入れる行動を起こさせるために光り輝いている。
ひょっとしたら、買い物客は買って家につく頃には自分を買った事なんて忘れているかもしれない。
それでも輝き続ける。
その刹那的な輝きが、私には心地よかった。
私はいつも妻の付き添いで100円ショップを訪れた時と同じように、そんな彼等の輝きを求めて店内を徘徊した。
試験を前にナーバスになっていた心が彼等の輝きで解されたのはバスが発車する5分ほど前だった。

先刻確認した乗り場へ着くと、そこにはもう20人ほどの行列が出来ていた。
列の最後尾まで10m程のところまできて、私は並ぶのを躊躇った。
列に並んでいるのが若者ばかりだったからだ。
しかも、その若者たちの列は少し変わっていた。
バスセンターでは、よく若者たちの列を目にする。
私の受験会場のあるリゾート区には、大規模なショッピングモールを併設するドーム型の野球場がある。
そこでは試合の無い時はしょっちゅうコンサートやコンベンションなどのイベントが催されており、人気アーティストのコンサートの時などは、ファンの若者たちでバスセンターは溢れかえる。
そんな時に列を作る若者たちの発する空気には不思議な共通点があって、異常な中にも秩序がある。
着ているものやメイクの仕方や話し方など、いかにも同じ方向を向いている秩序がある。
しかし、目の前の若者たちにはその秩序がなかった。
ただ、年齢が若いという共通点を除いては。
ピンクのブラウスにレースのついた白いスカートを履き、厚底の黒い靴を履いた2人組み。
身体にフィットした黒尽くめの衣裳に髪を極彩色に染めたグループ。
凶器になりそうなものを服のいたるところにつけたグループ。
おたくっぽいグループ。独りの者もいる。
おそらく彼等は秩序を持っているのだろう。
ただ、私には見えない。
列の最後尾に着いた私は奇妙な居心地の悪さを感じた。

バスに乗り込むと、私以外の全ての乗客は若者だった。
いろんな種類の。
私はつり革につかまり、窓の外の風景を眺めることにした。
最初の停留所で、40歳くらいの女性が乗ってきた。
女性も中の若者たちを見て戸惑った様だ。
私は自分が異邦人ではなくなったことで、妙なプレッシャーから開放された。
余裕が出てくると、私には見えない若者たちの秩序が気になりだした。
自分の見える範囲の若者たちを観察してみた。
運転手のすぐうしろの席に女性。
立ち上がると腰のあたりまでありそうな黒くて長い髪。
非常に痩せている。
その後ろの席に男性。その後ろ、私のとなりにも。おたっくぽい服装にめがね。
二人は連れなのかもしれない。
通路にはパンクっぽいファッションに見を包んだグループ。
安っぽく銀色に輝く大ぶりなアクセサリーが目を引く。
私の隣の通路に二人連れの女性。
身なりに特徴なし。
ただ、ひっきりなしに喋っている。
しかも標準語で。
ここは九州の地方都市だ。東京に憧れる若者は大勢いるだろうが、友達とわざわざ標準語で喋る者はいないだろう。
通路をはさんで向こう側の席に座っている若者の様子は確認できない。
見えない秩序は見えないまま終わりそうだ。

バスは高速道路に乗った。海が見える。
海は曇天を海面に写して鉛色に見える。
バレーボールの大会の会場と、大相撲の会場が左右に見える。
高速は渋滞も無く、バスを滑らかに走らせた。

予想通り、球場に着くと私と途中から乗ってきた女性を残して若者たちは全員降りてしまった。
結局彼等の秩序は見えないまま、タイムアップとなった。
会場までは10分ほどある。
カバンの中に入っている教本に手を伸ばしかけてやめ、今までと同じように窓の外を見た。
リゾート区は日曜日の割りに人通りが少なく、雨に濡れた近代的建物の眺めは目に優しい。
会場までの一時は軽く感じた疎外感を拭うには十分だった。

私の降りる停留所がアナウンスされた。
ひょっとして、と思っていたが同乗の女性の目的地は違うようだ。
私はひとりバスを降り、正面を見上げた。
そこには天空に向かって突き立てられた巨大な槍がそびえ立っていた。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/1e/bb/kirumonogatari/folder/180812/img_180812_24137219_1?20061122091738.jpg
ここが試験会場だ。
だだっ広い広場にそびえる槍は、大きな試練を私に与える場所のようだった。
ふと、息子がよく遊んでいる小さな画面のついたゲーム機のゲームのことを思った。
息子が「戦い」とか「試練」とかをよく口にしている。
ゲームの中では、勇者が磨いた技で戦いに勝ち、強力な呪文で試練を乗り越えるのだろうが、現実にはそんなものは存在しない。
「試練」というには大袈裟だが、検定試験も自分の知識と運で勝負しなければならない。
今はゲームに興じている息子も、何時か自分の力だけで立ち向かうべき「試練」の時を迎えるのだろうか。
私はそんなことを考えながら、槍の付け根に向かって歩を進めていった。

槍の中のホールには、すでに結構な数の人がいて、みな一様に教本を広げて準備に余念がない様子だった。
私もホールの隅に開いている椅子を見つけて座り、教本を広げた。
それにしても、予想外の人の多さだ。
マイナーな民間の検定試験なので、せいぜい数十人といったところかと思っていたのだが、受付開始までまだ30分以上あるのに、ホールの見える範囲にいるだけでも30〜40人はいるだろう。
ホールを見渡すと、教本やノートを広げている受験生にはいろいろな人がいることに気が着いた。
着物姿の女性。
スーツ姿の男性。
若い女性のグループ。
主婦の友達同士だろうか、教本で擬似問題を出し合って矯正をあげているグループもいる。
顔を上げてそんな仲間たちを眺めていると、槍の中に一組のカップルが入ってきた。
カップルはホールの隅の喫茶店に入っていった。
もちろん喫茶店の中はホールと同様、受験生たちの姿が目立つ。
客席がガラス張りになっているので、ホールからは喫茶店の中が、喫茶店からはホールの様子がうかがえる。
カップルは私のすぐ近くのガラスの向こうに腰を下ろした。
すぐに女性の方が周囲のただならぬ雰囲気を察してきょろきょろし始めた。
男性も女性に言われて気付いたらしく、二人で何やら思いをめぐらしているようだ。
私はふと、先ほどのバスの中のことを思い出した。
見えない秩序と異邦人。
二人は我々の秩序を見出すことができるのだろうか。
私は教本に目を戻した。
    つづく(ひっぱるな〜)

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