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実家の母が、アルツハイマーの初期だと診断された
未だ萎縮は無いが、薬を投与しても効くとは限らないと
個人差があり、症状の進行を遅らせる事すら、出来るかどうかさえ言えないと
一応、薬が処方された
人によって、薬に反応して、興奮する人が有るとかで
4分の3程度を処方しておきますと、担当医が言ったと叔母が
娘二人は舅・姑の有る所に嫁に出し
長男は東京住まい。跡を継いだ次男には嫁が無い
新家の叔母が自由が利くので世話を焼いてくれている
母は55才頃、肝臓癌の手術を大学病院でした
良性か悪性か手術するまで分らなかった
お陰があって良性だったから今が有る
小さい頃から在って、50年掛かってここまで大きくなった
未だ、ほんの小さな腫瘍は残っているが、此れが大きくなり、体に障る頃には
寿命が来るから、もう大丈夫と言う話し
担当医は、肝臓の手術が触っている、と言う可能性も有ると言い
血液検査をする事になった
結果はまだ出ていない
母の世代の人は、
皆紛れも無く、戦争に翻弄され、理に人生劇場を生きて来ている
母もその例外ではない
警察官だった父に早くに他界され
娘を持つ未亡人を後妻にと望む、祖父の元へ
母に連れ子として、連れて行かれざるを得なかった
そのまま居れば養子娘で、大きな顔をして居られたたのにと
おっかさんに聞かれた時,子供心にも”ヤダ”と、きっぱり言ったと話す母
祖母が生きているうちは、母の嫁ぎ先に一緒に住む事は無く
女学校に通いながら祖母の百姓を手伝っていた
しかし祖母が倒れ亡くなり、母の嫁ぎ先(私の祖父)の元に引き取られた
女学校時代軍需工場に勤労動員していたが
祖父は炭の検査員をしており、父は海軍に取られていて、
百姓手間がないという理由で、暇が貰え止めて帰って程なく
其の軍需工場は爆撃に遭い、多勢の友人を失くした
母の母は運が悪く、戦後未だペニシリンが手に入り難い時期に、結核で亡くなった
母は、母(私の祖母)の子供達(私にとって、伯父・伯母)の面倒も見た
肝臓を、患うのは、冷たい心と、ある宗教は言う
母は、幼くして父を亡くし
祖母と二人と言う淋しい暮らしをし
意にそぐわずして、他家に暮らす事を強いられ
せめて、母の元だからと思いきや、やはり早くに他界された
私達の育つ時期は、お金は無かったけれど、多勢で賑やかく、楽しかった
”大儲けはせんが、子儲けをした”とは、父の説
長男が嫁を貰ったが、結局、家を出て行ってしまい
暫らくして、父が55歳で事故で亡くなった時、母は49歳。
それから、年老いた祖父を抱え、
父に黙って従うだけだった母の肩に、全責任が掛かって行った
それから間も無く、心の支えだけには成ってくれた理解有る祖父もこの世を去り
今までに無く、頑張らねばと励む母に、襲い掛かったのが
肝臓癌だった
人に、語る事の出来ない、
心の底に、一人、仕舞って置く他、仕方が無い、
悲しみ
一つ、二つと積み重なり
心の奥に、人知れず、深深と積もって行った、
悲しみ
其れは母の悲しみの結実
私には、そう、思えた。
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