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力とは? 誰も見た事が無い。
でも誰もが知っている.
E=mc2 ミクロの原子に込められた巨大なパワー・・ 決して開放してはいけなかった物。
餓鬼の脳が、次々と導き出す宇宙の方程式。
そして、餓鬼な脳の飢餓感は、自己満足と言う誘惑に勝てず、倫理を踏み越える。
当たり前だ、倫理自体が、餓鬼な脳の、作品なのだから。
新しい方程式を、発見する事と実験する事は、
時間軸が短くて済む(短縮可能)から実践証明可能だが、
再生・発生に付いて実践証明するには、実験に膨大な時間を要する。
今はコンピューターと言う、膨大な条件を瞬時に処理できる装置が出来たから、
可能性について検証する事は出来るだろう。
しかし其れは、厭くまで仮定に基づくものであり、実証は出来ない。
偉大な飢餓脳は、あらゆる方程式をいずれ導き出すだろう。
しかし、其れを実現出来るのには限界がある。
原子を壊してエネルギーを取り出す事は出来ても、原子を作り出す事は出来ない。
この宇宙の法則を、理解する事は出来ても、創造する事は出来ないのだ。
正義が、力に太刀打ちできる筈が無い。
力は、全ての源であるから。
正義は、餓鬼な脳の作り出した一つの作品に過ぎないのだから。
見えない力に因るのか、私の意思は、この体に閉じ込められているのか?
それとも宇宙の方程式により形作られた、化学反応に因る自然発生的産物なのか。
ロボットの製作者が、全く同じプログラムで動かしているのに、一つ一つに個性が在ると。
まして何億個と言う細胞から出来、入力される情報もロボットの比ではない人間に、
個性が有って当然の事である。
地球誕生から40億年の進化の過程で、
利己主義な遺伝子が作り出した壮大なドラマに過ぎないのだろう。
だから釈迦も、己を追及することの無意味さを悟られたのであろう。
生すがまま、在るがまま、だが決して、囚われる事無く、拘りを持たず生きること。
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