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12月25日(後編)

12月25日
 お通夜までに、私がしなければならないことが、もう一つありました。
 それは、遺影の写真を選ぶこと。
 主人が病気になってからは、入退院の繰り返しでしたが、退院した時には、時間をみつけては、
 家族でたくさん旅行に行ったり、出かけたりしました。
 主人は、私や子供たちのために出来るだけ写真を残したいと思い、たくさん撮っていました。
 家族の思い出の写真が、いっぱいで泣けてきました。
 
 主人は病気の告知をされてすぐ後に、私に写真を撮ってほしいと言いました。
 「いやや」って私は言ったけど、主人は遺影の写真を撮っといてほしいって本気で言うので、
 二人で泣きながら写真を撮ったこと思い出しました。
 でも、そんな悲しい顔の写真は使わず、結局、告知後、入院までの間に行った家族旅行で(治療前)、
 私が「ひょうちゃん」って呼んで主人が振り返ったときに撮った、自然な、やさしい顔の写真を選びました。
 主人が37歳の写真です。今から2年前です。
 いつか、この主人の37歳の写真の横に、私のおばあちゃんになった時の写真が飾られると思うと、なんか複雑 な気持ちです。
 
 お通夜の日、すごくたくさんの雪が降りました。その雪の降る寒い中、ほんとうにたくさんの方が主人のために 来てくださいました。葬儀会館に入りきれないほど、たくさんのかたが来てくださって、主人は、本当にうれしか  ったと思います。免疫力の低下する病気で、なかなか会いたい友人や知人にも会えなくて、寂しい思いをして  いたので、今日は本当に喜んでいるだろうと思いました。お通夜では、主人の弟が、「兄ちゃんの好きな佐野元 春さんの歌を流したら」って言ってくれて私も大賛成でした。主人の遺書にもなかったサプライズです。佐野さ  んの歌に驚いて、泣きながら喜んでいる主人の姿が目に浮かびました。最後に入院する直前、貧血でふらふ  らになりながらもコンサートに行ったことを思い出しました。あの時も主人は感動してずっと泣いていました。主 人が私に声をかけて、まだ付き合う前、「コンサート一緒に行こ」って誘ってくれたのが佐野さんのコンサート  で、私たち2人にとっての、思い出の曲ばかりでした。
 
 お通夜は、悲しみはもちろんありました。
 でもそれ以上に、こんなにたくさんの方に大切に思っていただいた主人は、 ほんとうに幸せな人生を歩んでき たんだなあと思うと嬉しかったです。
 また、そんな主人と一緒に生きてこれた私も、本当に幸せだったと思います。
 寒い中、主人のために来てくださって、本当に有難うございました。
 心より、感謝いたします。
 
 

12月25日(前編)

12月25日
今日は、主人のお通夜。
私が今日しなければならないことは、辛い準備でした。
 
主人のお墓の場所を決めること。
私が隣に入れるスペースのある場所を選んで決めました。
主人は、「俺が死んだら自由にしてくれたらいいけど、一緒のお墓に入ってほしい。」
「お墓に一緒に入ると、まためぐり逢えると思うから」と言っていました。
それは、遠回しに私に再婚するな!って言いたかったんでしょうか。
 
それから、納棺の時に棺に入れるものを決めること。
主人が大切にしていた友達と、大学の卒業式で、皆でそろえて作って着た思い出のスーツ。
入退院の合間に行った、楽しかった沖縄旅行で来てた服。
いつも来ていたお気に入りのシャツ。
長男の野球を見るのが何よりも楽しみで、長男とキャッチボールしてたグローブとボール。
いつも主人が自慢していた、長女の書いた習字(病院でも、この字を見ると元気が出ると飾っていました)。
主人の闘病中にみんなで折った千羽鶴。
家族や友達との思いでの写真。
家族や親戚の者から、主人に書いた手紙。
私からの手紙の中には、また生まれ変わって主人と出会えるように結婚指輪を入れました。
 
主人の思い出の物を準備しているとき、抑えていた涙が溢れました。
なんで、こんな悲しいことが起こってしまうのか・・・
どうして、私を一人にして、死んでしまったのか・・・
とにかく、涙が止まりませんでした。辛いでした。
 
納棺される前に、主人に最後のキスをしました。
また、生まれかわっても主人と出会えるように。
 
そして、納棺の時。
それまでは、布団に寝ているようで、いつでも顔を見れて、触れることも出来て。
棺の中に入った主人は、遠くに行ってしまうようで、ものすごく寂しくなりました。
 
そそっかしい私は、主人の棺にパンツを入れてあげるの忘れてしまいました。
他の下着や服は全部入れたのに。
いつか天国で主人に会ったら、ごめんねって謝ろうと思ってます。
 
 
 

12月24日(後編)

主人が亡くなりました。
病院でひげを剃ってもらい、きれいにしてもらった顔を見ると、優しくて寝ているような穏やかな顔でした。
それから、慌ただしく主人の荷物をまとめ(主人は病院でも出来る限り快適に楽しく過ごせるようにと、たくさん
の荷物を病室に持って行っていました)、みんな一緒に自宅へ帰りました。
主人が、いつも何度も「帰りたい」って言ってた家に主人は帰ってきました。
それから、私が落ち込んでいる間もないほど、慌ただしくなりました。
まず、葬儀の場所、日程・喪主を決めること。
主人の両親は「自宅でしてあげたい」と言っていたのですが、私は、主人から「皆に迷惑をかけたくないから
葬儀場がいい」と聞いていたので、家に帰って、主人から、いつも「俺が死んだら読んでもいいよ」と言われていた主人の日記を、この時に初めて読みました。
主人は、葬儀場も自分で決めていました。そして派手にしないでほしいと書いてありました。
前向きに生きながらも、いつも死は覚悟していたんだと思います。
残された私たちが困らないように、たくさんのことを書いてくれていました。
 
朝から、途切れることなく、たくさんの友人・同業者・近所の方・親戚・子供のお友達やご両親・・・
たくさんの方が主人に会いにきてくれました。
他府県から飛行機で来てくださった方、仕事が終わってから遠くから寒い中来てくださった方・・・
たくさんの方に愛されて主人は幸せな人生だったと改めて思いました。
ほんとうに、有難うございました。
 
主人の友人が、「クリスマスイブに亡くなるって兵太らしいわ」って言ってくれました。
私もそう思いました。
私が、これは主人の計画やなって思ったのは
 * 私が長く病院で付き添う覚悟でいたのに、結局、一晩しか付き添えなかったけど、たぶん優しい主人が
    私の身体を気づかって長く看病させてくれなかったのかと思うこと
 * クリスマスイブが来るたびに、たくさんの方が主人を思い出してくれるように、この日を選んだこと
 * たくさんの方に会いたくて、土曜日のお通や、日曜日のお葬式になるように、この日を選んだこと
 
悲しくて辛いのに、「最後の最後までひょうちゃんらしいなあ」
って思い、泣きながら少し笑ってしまいました。
 
喪主は私がすることになりました。
こんなに早く、自分がこんなかたちで、喪主をすることになるなんて、考えもしなかった。
 
ほんとに、生きていくことは厳しい修行で、強い気持を持って、どんなに努力しても、どうしようもないことが
あるって主人との闘病生活で感じました。
でも、それは不幸なことではなくて・・・。
 
前の晩も寝てなくて、食欲もなく、体調はいいとは言えなかったけど、私は、優しく笑ってるような主人の顔を
見て、「喪主として、しっかりと頑張るから安心して見ててなっ」て主人に約束しました。
 
 
    
 
 
 
 
 

寂しいです

ここ数日、寂しさが日々、強くなり辛いです。
パソコンを開く気になれず、最低限しなくてはいけないこと(仕事や子供のこと・・・)をなんとかやっています。
50日祭が終わるまでは、毎週末には行事があり、平日は仕事に行き、あと銀行などの手続きに追われ。
あっという間に、一か月が過ぎました。
50日祭が終わるまでは、強い気持ちで前向きで頑張れました。
今になって、主人が、もういないことの辛さ・寂しさで、つぶれてしまいそうです。
 
いつも、私が寂しかったり辛いことがあったら、「大丈夫やで」って抱きしめてくれた主人がいない。
大好きな人に触れることが出来ないことは、こんなにも辛いことなんですね。
 
今日の朝も、新しいコーヒーを開けるとき、主人を思い出しました。
主人は、毎回、新しいコーヒーを開ける時、、「いい香りやからおいで」
っていつも私をわざわざ呼んでくれるような人でした。
日常の全部が主人との思い出で、何かをするたび思い出します。
 
テレビで、主人が大好きだった佐野元春さんの歌を聞けば、主人が恋しくなります。
 
寂しい気持ちを、誰かに聞いてほしくて更新しました。
近くにいる親や子供には、心配をかけるので言えなくて。。。
文字にしたら少し気持ちが落ち着きました。
 
 
〜ブログのお友達の皆様へ〜
いつも、ブログを見て頂きありがとうございます。
たくさんのコメントして頂きありがとうございます。
返事出来てなくてすいません。
皆さんの励ましのコメント、私と同じような状況でも頑張って生きておられる方のお話に、
すごく勇気づけられています。本当にありがとうございます。
今は、へこんでますが、また、元気になって、ブログ更新します。
 
〜遠くで、いつも私や子供のこと気にかけてくれてる友達や関係者の方々へ〜
今は辛いですが、毎日、仕事にも行って、ご飯もちゃんと食べます。
子供たちも、新学期が始まり、元気になってきています。
何とか、少しずつでも前に進めるように、気持ちを切り替えていきます。

12月24日(前編)

12月24日
今夜から、私が、主人の病室に、ずっと付き添うことになった。
 
夜中、血圧が下がって、脈拍が早くなり、40℃の熱が出てきた。
主人は、苦しそうに息をして、私が呼びかけても答えてはくれなかった。
ナースからは何も言われなかったけど、私は両親、子供、兄弟を呼んだ。
自宅から病院が遠いため、もしものことがあったら、って思ったら不安になって。
夜中3時30分ごろ、みんなが病院にきた。
「お父さん、頑張って」っ泣きながら、子供たちは呼びかけてた。
私も、主人の手を握って、何度も「ひょうちゃん、頑張って」って呼びかけた。
でも、主人が酸素マスクをつけて、一生懸命に呼吸してる姿を見て、
「ひょうちゃん、もう、いっぱい頑張ってくれたね。ありがとう。ひょうちゃんと出会えて、
今まで、ずっと楽しかった。ありがとう」って私は、主人に言いました。
「天国で待っててな。それまでバイバイ。大好き。ひょうちゃん」って子供たちもみんな
周りにいたけど、主人に言いました。
主人が、生きてる時に、ちゃんと私の気持ちを伝えたかったから。
 
朝方、5時30分ごろ、主人は亡くなりました。
主人は、亡くなる1時間ほど前から、みんなが呼びかけると、3度、涙を流しました。
話すことは出来なかったけど、ちゃんと分かってくれてました。
私には、「有り難う。愛してる。またね。」って言ってるように感じました。
 
12月24日、クリスマスイブの日、主人は亡くなりました。
 
 
 
 
 
 
 

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