京都盲唖院・盲学校・視覚障害・点字の歴史

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 10月10日は、「目の愛護デー」です。10 10 を横に倒すと眉と目の形に見えることから、中央盲人福祉協会が1931(昭和6)年に「視力保存デー」として制定したことに由来します。(戦力としての視力の保存と言う意味合いがあったようです。)

 それに先立って、「目の記念日」行事が取り組まれたことがあります。その頃の日付は、9月18日でした。

 「明治119月18日に明治天皇が新潟巡行の折り、沿道に目の病気の人(その時代は主にトラコーマ)が多いのを憂慮し、眼疾患の治療と予防に尽くすようにと金一封を奉納」それを受けて、眼の記念日が生まれたと伝え聞いてきました。そのように書かれた文章もあります。

 これをめぐる史料を探していました。やっと、一つ有力な出典を知ることができました。

 明治11年の巡行に随行したという近藤芳樹による『陸路廼記(くぬかちのき・くぬがぢのき』に、最も古い時期かと思われる記述がありました。

 写真は、そのことを記した小山荘太郎(京都府立盲学校長)氏の文章を載せた『京都教育』誌の一部です。

 『陸路廼記』は、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーに登載されています。その73コマ目からが、当該の記述になっています。
 


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近藤芳樹『陸路廼記』は、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーにあるのですね。助かりますね。段々と、自宅には本を置くのには限界が出てきています。こうしたライブラリーが活用できることが本当にありがたいですね。どこに、何があるかをチェックすことが大事になりますね。本当に貴重な史料のご紹介ありがとうございます。

2012/7/17(火) 午後 9:24 [ fuk*10*8 ] 返信する

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fuk*10*8 さん、今日、たまたまこの新聞を見て、それこそ鳥肌が立ちました。長い間疑問に思ってきたことにストレートにつながる情報ではないかと感じることができたからです。引き続き検証してみます。

2012/7/17(火) 午後 9:28 [ kis**_1_*9 ] 返信する

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小山荘太郎氏は、戦時中の京都府立盲学校長でした。博学の文人で、「点字毎日」の歌壇選者をなさっていました。現在、京都府立盲学校に盲唖院時代の文書が豊富に所蔵できているのは小山校長が史料に関心が深かったからだと伝えられています。惜しいことに敗戦の直前にお亡くなりになったのですが、ご長命であれば、盲学校史に挑まれただろうと思います。なお、ご子息は、点字毎日に勤務なさいました。

2012/7/18(水) 午後 11:16 [ kis**_1_*9 ] 返信する

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