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 昭栄さん〜不屈の台湾精神/台湾で今も続く戦後
                   英霊奉賛日台古流会 福村事務局長  
              
 日本海軍に雪風と言う駆逐艦があった。多くの激烈なる海戦に参加したが、強運で終 戦まで撃沈を免れた艦である。戦後、中華民国海軍に引き渡され丹陽と命名され、名前が変わる。

 台湾の高雄市に許昭栄さんと言う方がおられる。一時、この丹陽の機関兵をされていた方だ。現在は、バシー海峡で海没した帝国陸海軍将兵二十万余を祀る、猫鼻頭の潮音寺の維持活動に現地で粉骨砕身の協力をしてくれている方である。また、高雄市の旗津で、台湾老兵世界平和祈願公園の建設を目指している方である。そして、台湾籍老兵の台湾への帰国、遺族、留守家族に対する補償問題に取り組む全国元国府軍台籍老兵及び遺族協会創会の理事長をしておられる。

 許昭栄さんは、昭和三年(一九二八年)生まれ、旧大日本帝国海軍台湾特別志願兵で昭和二十年(一九四五年)には特攻機桜花の出撃作業をしていた。

 昭和二十年の日本の敗戦により、台湾に進駐した国民党軍は「老人も子供もいる三十二師団」と言われるように、大陸では、兵役制度ではなく、拉丁と呼ばれる壮丁を拉致して軍に編入する方法が一般的だった。昭和二十二年二二八事件以前は、まだ、国民党及び、国民党軍の実体に関しては台湾人の認識は薄かった。主に旧日本陸海軍特別志願兵、高砂義勇隊生還者などが復員して就職を捜していた。国民党軍は、これを好餌を持って詐網し、約一万五千名を軍に編入して大陸に送り、国共内戦を戦わせた。

 昭和二十二年(一九四七)、台湾では二二八事件が起きる。これにより、国民党、国民党軍の正体を知った台湾人は誰も国民党軍などに応募しなくなった。二二八事件後、許昭栄さんは旧日本海軍軍人故に清郷の対象となる。危険分子として銃殺の候補者である。逃れる路はただ一つ、国民党軍海軍の徴募に応じることであった。当時の国民党海軍は訓練された兵員が絶対的に不足していた。二二八事件後は許昭栄さんのように、脅迫により軍に編入される場合が多く、以前のように、詐網されて国民党軍に入ってしまった人数は少ない。

 許昭栄さんは技術員兵大隊に編入され大陸の青島に送られる。許昭栄さんのように海軍に編入されたのは少数で多くは陸軍であった。許昭栄さんは、その後、昭和二十三年(一九四八)米国より供与されるフリゲート艦の引き取り回航の為に米国に派遣される。この任務を果たした後、許昭栄さんは、激化する国共内戦に投入される。大陸の海港の封鎖作戦中、乗艦していた「太湖」での親友の戦死、埋葬の為に上陸した長山南島で中共軍上陸作戦に遭遇する。からくも逃れた許昭栄さんは、台湾に生還する。しかし、あまりの国民党軍のデタラメさに、怒り心頭に発した許昭栄さんは脱走して高雄に潜むが捕まってしまう。 銃殺か海軍に戻るかの選択を迫られ、結局、復軍する。その時、乗り組を命じられたのが、前記、雪風改め「丹陽」である。

 許昭栄さんは生還したが、他の台湾兵はその後、どうなったか? 徴募された台湾兵は一万五千名、先ず国共内戦の錦州会戦、徐州会戦などで一九四八年までに、多くが戦病死、餓死した。運良く生き延びた者は殆ど全員が中共軍の捕虜になり、 一九五一年、今度は中共により朝鮮戦争に投入され、中共軍として戦わされ、多くが戦死した。これを生き延びた台湾兵は、文化大革命の時に、旧日本軍人、旧国民党軍人として迫害の対象となり、虐殺を免れた者は、収容所に入れられるか、辺鄙な地方に下放された。この時までに台湾兵は八割は非命に倒れ、大陸各地に約三千名が生き残っていたと推定される。 (一九七六年頃)

 許昭栄さんの言う「台湾籍老兵」とは台湾人で、詐網若しくは脅迫されて、国共内戦に従軍した方達の事である。多くが、旧日本陸海軍軍人、軍属の方達であった。国共内戦に破れた蒋介石は占領した台湾に逃げ込み、台湾の不法占領を続け、恐怖による専制統治を強化する。 日本では昭和二十年八月に戦争が終わった。しかし、台湾人は武装難民政権である白色恐怖支那政権と戦い続けなければならなかった。そして、それよりも強力な赤色恐怖支那政権が大陸にはあった。台湾人は、自ら民主化運動で、この白色恐怖支那武装難民政権を克服し現在の台湾統治政権がある。大陸では赤色恐怖支那専制政権が未だに存続している。

 一九五四年、許昭栄さんは、また、米国に駆逐艦の引き取り要員として派遣される。翌一九五五年許昭栄さんは帰国するが、この時、禁書を台湾に持ち込む。実はこの年、東京で台湾共和国臨時政府が成立する。臨時大統領廖文毅博士が著した「台湾独立運動十年史」の英語版を許昭栄さんは、台湾に持ち帰るのである。これが発覚し、反乱罪として懲役十年を宣告され、一九五八年 緑島(火焼島)に流刑となる。十年の刑期を終え、一九六八年に釈放となるが、政治犯、として厳しい監視の元に置かれる。一九七二年、輸出商品に「Made in Taiwan, Republic of Taiwan」と表記したとの嫌疑で逮捕されるが四ヶ月の拘留尋問の後、証拠不十分で釈放される。その後は貿易会社を設立して自営する。釈放されて十二年後の一九八〇年、五十三歳で東海大学に入学し企業管理を学び、翌年、始めて旅券を入手して、米国の査証を得てロスアンジェルスに渡り、UCLAの経営学講座を受講する。一九八四年 台湾で養殖した黒虎エビの市場開拓の為に渡米して、ベニハナのロッキー青木氏などと知り合う。一九八五年 緑島の獄友である施明徳氏(後の民進党党首)が獄中でハンガーストイキに入る。許昭栄さんは、これを支援するロスアンジェルスでのデモに参加する。これが原因で、中華民国政府より旅券を取り消されてしまう。許昭栄さんは、日本のロスアンジェルス領事館に救援を求めるが冷たく拒否される。
 
 許昭栄さんは、かっては日本国民であり、しかも、日本の防衛のために生命を捧げる覚悟で帝国海軍に志願し勤務したのである。本人が、希望するなら無条件で即時、日本国籍が付与されて当然である。この国際常識は日本の外交官には通じなかった。このような政府、役人がいることは日本人の責任である。日本人の恥である。許昭栄さんは、当時、米国で亡命生活をしていた彭明敏博士(現総統府資政、一九九八年民進党総統候補)に相談し、彼の勧めでカナダに政治亡命を申請して受け入れられる。カナダに政治難民として、受け入れられた許昭栄さんはトロントに居を定める。この時に大陸に遺棄された台湾老兵の問題に取り組み始める。その経緯は許昭栄さんが涙と怒りで書いた「知られざる戦後 元日本軍・元国府軍台湾老兵の血涙物語」に詳しい。

 平成三年(一九九一年)台湾での民主化革命によりブラックリストから許昭栄さんの名前が削除され、台湾に帰国が可能になった。その時、許昭栄さんは「滞留大陸台湾籍老兵要回家」の横断幕を掲げて帰国する。そして、台湾での許昭栄さんの台湾老兵の台湾への帰郷、遺族への補償など、獅子奮迅の活動が始まる。そして十余年、未だ、解決をないこの問題に対する許昭栄さんの不屈の活動は現在も続いている。
                         平成17年6月22日

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( ´ー`)y─┛チァーパーボェー
背景にここまでの苦労があろうとは思いませんでした。
大陸に取り残された台湾老兵の話を知っている日本人はほぼいないですね。

2008/6/22(日) 午後 6:01 にっぽに屋にっぽん

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こんにちわ!気になったので コメントさせて頂きました。

2008/6/22(日) 午後 6:11 [ hide ]

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