台湾見聞録

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台北駅の近くにある国父史蹟記念館(逸仙公園)は戦前梅屋敷と呼ばれていました。
かってここの所有者だった大和宗吉氏の親族である坂本由紀子(旧姓:大和)さんから
貴重な資料をいただきましたので紹介したいと思います。
 
(注)以下は坂本さんから寄せられた手記の一部で、全文は本日のメルマガ記事で配信
しました。
 
●梅屋敷のこと              
梅屋敷の当主であった父方の祖父大和宗吉と、その弟悟一郎はそれぞれ丹波篠山の「尋耀楼」の二代目当主藤井喜助の娘、藤井松恵ときくえと結婚し、悟一郎は藤井家の養子となり藤井悟一郎となっていました。宗吉は東京の麻布に居を構え、築地と中野に郵便局を持っていました。
この二組の夫婦に台湾に要人を接待する為の料亭と旅館を建て、経営する事の依頼があったと言う話を聞いた記憶がうっすらとあります。「梅屋敷」と「吾妻旅館」です。 
私の記憶に残っている祖母は終戦より何年か前に病を得て帰国し、麻布の家で寝たきりの身でありながら6人の子供とその家族(総勢17名)を仕切っていました。威厳がありとても凛々しく近付き難い感じでした。多分八畳二間続きの部屋に一人で寝ていた祖母が毎朝床の上に座り、娘である叔母の富美江や喜美代に髪を結ってもらっていたのを良く覚えています。
祖父の宗吉はいつもその枕元の机で何かを書いていました。(今思うとそれが今度出版していただける事になった日記なのでしょう)とても静かで学者の様な感じだった記憶があります。又ある時はのどにネギを巻き付けていて私がびっくりして見ていると「これは風邪に効くんだよ」と教えてくれた事がありました。祖父が敗戦の失意のうちに他界したのは私がまだ3才半の昭和2226日です。
祖父が亡くなって、私の家族は麻布から独立しました。しかし毎週日曜日に母の手作りのカスタードプディングを携えて、一家四人で麻布の祖母の所にご機嫌伺いに行くのが決まりでした。日赤産院下から堤康次郎さんのお屋敷を横目で見て愛育病院、麻布学園を過ぎてテニスコートの前で左に折れてしばらく行くと、「がま池」と言う大きな池を囲んで10数軒の家があった中の一軒が祖父母の家でした。幼い私たち姉妹にとってはこの道はとても長く感じました。プディングがだめにならないようにそっと持って毎週歩いたのです。
家に到着するとすぐに祖母の部屋に挨拶に行きます。あるとき挨拶を終えて頭を上げる間もなく「由紀子、手を洗って来なさい」としかられました。色が真っ黒だった私の手が汚く見えたのでしょう。「洗って来ました」と言ったのだと思いますがその時の悲しい気持ちはいつまでも忘れられません。
毎年正月には多くの不思議な女性がお年賀に来ていました。衿を抜き、嗅いだ事の無い香りを漂わせた女性たちです。ずっと後になって、この祖母が何十人もの従業員や芸者さんを束ねていた女将であった事を知り、あのお年賀に来ていた不思議な女性たちがその芸者さんだった事、祖母の威厳のあるたたずまい、統率力の訳が納得出来たものです。
祖母松恵が他界したのは祖父が亡くなってから10年以上後のことです。朝起きるとカラスが異常な鳴き方をしているので、父に「おばあちゃまが亡くなったのじゃない」と伝えたすぐ後に悲報が届くという不思議な体験をしました。
そういえば、ある時父が台湾で樺山小学校に通っていた頃、毎日お昼前になると仲居さんがお重に入ったお弁当を持って来るのが嫌でたまらなかったと言う話をしてくれたことがあります。おにぎりでも良いからお母さんの手作りの物を食べてみたかったと言うのです。級友たちの手前も、特別扱いが嫌だったのでしょう。お弁当だけでなく母親の手作りの味を知らずに育ったのかもしれません。お正月には何人もの板前さんが庭に並んで鯛を焼いていた事や、皇族の方や、お相撲さんたちがきてまだ幼かった父を抱いてくれた話を聞かせてもらったり、写真を見せてもらった事もあります。
大正6年生まれだった父は、台北一中を卒業するとすぐに東京の大学に入ったため、戦中、戦後の台北の様子は直接には経験していないと思いますが、自分の生まれ育った家が没収され、すべてを無くしてしまうと言う経験をどう捉えていたのか想像もつきません。辛い記憶を私たち子供に話す事は一切無かったし、ましてや戦後すぐに亡くなった祖父から話を聞く事は残念ながら全くありませんでした。
我が家の鴨居には、ある時期まで「博愛」と言う書がかかっていました。ずっと後になり、台湾の出張から帰国した叔父が、国父資料記念館に行ったところ孫文が大和宗吉に揮毫した書が行方不明だと書いてあったと伝えに来ました。いつのまにか物置に入っていた書です。それから我が家は大騒ぎになりました。家族会議の結果、梅屋敷の 一部を記念館として保存してくれているのなら、そこに寄付しようと話しがまとまり、父の一行が訪台しました。1976年のことです。残念ながらわたしは仕事の関係で一緒には行けませんでしたが、その後何度か台北に行く機会があり、国父資料記念館にも2度程訪れる機会がありました。かって父がお相撲さんに抱かれた写真に写っていた縁側を見て感慨深かったものです。
 
イメージ 1 イメージ 2
大和宗吉氏の遺族の人が1976年に国民党に孫文の
書かれた「博愛」の額を贈ったことに対しての感謝状
並びにそのことが報道された当時の新聞記事です。
 
●資料提供してくれた坂本由紀子さんに感謝します。

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