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今日、11月12日は富永太郎の命日です。大正14年。24歳でした。 同じ日に亡くなった草野心平の人生が、豊饒の人生だったのに比べ、 あまりにも短い人生でした。 臨終の床に、中原中也を呼ぶことを拒否した富永の話は有名です。 僕は20歳の頃、富永太郎の詩「秋の悲歎」を暗唱していました。 どうして「秋の悲嘆」を暗唱していたのか、 たぶん鉄道好きの子供が、東海道線の駅名を全部暗記しているのと同じです。 いま考えるとくだらない見栄ですね。 でもたしかに、「秋の悲歎」の言葉のひとつひとつが、 あの頃の僕の心には響いてきました。 今はもう響かない言葉。 「秋の悲歎」 富永太郎 私は透明な秋の薄暮の中に墜ちる。戦標は去つた。道路のあらゆる直線が甦る。あれらのこんもりとした貪婪な樹々さへも闇を招いてはゐない。 私はたゞ微かに煙を挙げる私のパィプによつてのみ生きる。あの、ほつそりとした白陶土製のかの女の頸に、私は千の静かな接吻をも借しみはしない。今はあの銅色の空を蓋ふ公孫樹の葉の、光沢のない非道な存在をも赦さう。オールドローズのおかつぱさんは埃も立てずに土塀に沿つて行くのだが、もうそんな後姿も要りはしない。風よ、街上に光るあの白痰を掻き乱してくれるな。 私は炊煙の立ち騰る都会を夢みはしない---土瀝青色の疲れた空に炊煙の立ち騰る都会などを。今年はみんな松茸を食つたかしら、私は知らない。多分柿ぐらゐは食へたのだらうか、それも知らない。黒猫と共に坐る残虐が常に私の習ひであつた… 夕暮、私は立ち去つたかの女の残像と友である。天の方に立ち騰るかの女の胸の襞を、夢のやうに萎れたかの女の肩の襞を私は昔のやうにいとほしむ。だが、かの女の髪の中に挿し入つた私の指は、昔私の心の支へであつた、あの全能の暗黒の粘状体に触れることがない。私たちは煙になつてしまつたのだらうか?私はあまりに硬い、あまりに透明な秋の空気を憎まうか? 繁みの中に坐らう。枝々の鋭角の黒みから生れ出る、かの「虚無」の性相をさへ点検しないで済む怖ろしい怠惰が、今私には許されてある。今は降り行くべき時だ---金属や蜘妹の巣や瞳孔の栄える、あらゆる悲惨の市にまで。私には舵は要らない。街燈に薄光るあの枯芝生の斜面に身を委せよう。それといつも変らぬ角度を保つ、錫箔のやうな池の水面を愛しよう……私は私自身を救助しよう。
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富永太郎
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