4月3日のプロ野球・広島−巨人戦の試合前練習中に倒れ、広島市内の病院に入院していた巨人の木村拓也内野守備走塁コーチが7日、くも膜下出血のため死去した。37歳だった。
木村拓也さんをしのぶ。。。
1990年にドラフト外で日本ハムファイターズに捕手として入団。1992年に俊足と強肩を買われて外野手に転向。
1994年オフに、交換トレードで広島東洋カープに移籍。二塁手に挑戦し、以後内野の守備も兼ねるようになる。
1996年オフにスイッチヒッターに挑戦し、1997年よりスイッチヒッターデビューした。
1997年、秋季キャンプから遊撃手に挑戦。
1999年にはユーティリティープレイヤーとして、この年だけで投手・一塁手以外の全ポジションを守っている。
2004年には、ユーティリティーさを評価されアテネオリンピック野球日本代表に選出された。試合での攻守のみならず、ブルペンキャッチャーとしても貴重な貢献を見せた。
2006年シーズン、交換トレードで巨人へ移籍。
巨人では、スイッチヒッターとユーティリティープレーヤー、そして代打の切り札として活躍。2009年シーズンにはベンチ入り捕手が不足した際に捕手として出場し、見事に抑えたことは記憶に新しい。
2009年オフ。巨人が日本一を遂げた直後に電撃引退を発表。惜しまれつつも引退。
2010年、巨人の内野守備打撃コーチとして活躍。
我らが日本ハムファイターズのOBとして、去年日本一を争った敵軍の名プレーヤーとして、素晴らしい野球選手として、子煩悩な優しいパパとして・・・・・とても残念です。
今朝の一報には涙が出ました。
プロ野球の道をがむしゃらに突き進んで、そのまま人生を終えてしまったのではないか。まだまだこれから、野球人として後世に伝えるはずだったのではないか。父として夫として、これからゆっくり家族との時間を過ごすはずだったのではないか。
テレビから伝わるキムタクさんの人柄に好感があって、これからも野球の楽しさを伝えてくれるものだと信じてました。本当に本当に残念です。
ご家族の皆様に謹んで哀悼の意を表します。
野村克也氏の口癖で「俺はユニフォームを着て、日本一の胴上げ中に落とされてそのまま逝くのが理想」とおっしゃってますが、キムタクさんは本当にユニフォームを着たまま倒れて逝ってしましました。。。
最後まで野球を愛してたのでしょう。前日の夜は、頭が痛くて眠れなかったとか。若さゆえ、まさかの大病だったのでしょう。自らの苦痛を周囲に見せずに、試合前ノック中に倒れるだなんて。。。
パパは立派なプロ野球でしたよ。。。素晴らしい人でしたよ。。。
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