ここから本文です
結城紬史上初の2部門伝統工芸士24年を目指す「結城紬専門ブログ」
2018.5.20より拠点をTwitterへ移動しています。ブログでは高繊細ではないためです。

書庫全体表示

イメージ 1
西陣の暮らしをおさめたものと文章のプロが書いている。写真集というが著者の背景は西陣の仕事の家に生まれたが西陣には無関心であったという。母が死んだ時、西陣の地に生まれたものとして結果的に写真で関わっていくべきだと思ったという。著者の職業は写真家である。ここには確かに西陣という織物を生み出す職人とそれを支える人々や日常の記録があり、撮影されたのは2000年よりずっと前であるので、おそらく多くの十代の方はこれを見てもあまり心には響いてこないのではないだろうか。そんなことはなく、織物に興味のない人でもしっかりと楽しむことができる。一流企業と互角の業界であったことや、その機織りの職を離れていく時、ハンマーで粉々にされていく残酷な写真もある。それらも含めて西陣なのである。日本でも織物の多くは西陣が人口的に多くそれは平成も間も無く時代が変わるという宣言が天皇様のお言葉で決まってからまた新しい時代になっていく。しかしそこには不景気や経済と影響の少ないものと大きいものも含めてわずかに時代をこえてしまうものが出てくるのである。賑わいのあった頃とは確かに昭和の終わりころの私でさえそれほどさほど知らずに時代が変わってしまった。よくも悪くも時間だけは平等に流れている。実は私もこの著者と同じ経験をしている。私は十代の時に祖父が他界しこの道に入ってきた。自分の決断だった。私は長男ではない。よくこの道であとをとると長男だと思われがちである。同級生の多くの人も私が長男だと思っている人が多いが実は違う。私の父は時代にあわせて子供の好きな道を選択させていた。私の父は強制的に家業を継がされてしまったのであるがこれがとんでもないことにこの職業に実に適していた。正直なところ、私は天才ではない。私の父は血筋とは違う自己開発による才能があった。それは結城紬の世界ではまずかじりつくことのない1999年にホームページ立ち上げとともに急速に図案講習などを受けてできたものと今までの経験とすでに十代でスピードでは業界で勝てるものがいない速度の絣くくりの速度を持っていた。私も正直なところスピードは十代がもっとも速かったと思う。そのどちらも知り、外の世界を全く知らないでこの道一筋できたというのだから従事歴50年で叙勲の権利というのはもう時間の問題だが、父はいらないと言っている。ここまでこればいわばメダル一個で語れる人生ではなないのは確かである。さてだいぶ話はそれたが久しぶりに染織資料を手に入れたので読んだ。現在は染織資料は底値である。これはそれだけ需要そのものがないということとこの職業だと有利な条件としか思えない。

この記事に

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
  • 名前
  • パスワード
  • ブログ

開くトラックバック(0)

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事