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結城紬史上初の2部門伝統工芸士24年を目指す故郷楽園
2018.5.20より拠点をTwitterへ移動しています。ブログでは高繊細ではないためです。

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布は3Dではなく、つねに2Dで表す世界である。と私はかけ出しの頃から見習い15年目の私はいまだにそう思っている。特に私はそのことを痛感するようになったのは、デザインソフトで図案と長考する時だ。絣を作るという、染織でいう、染めにも織りにも属さない不思議な立場でものを見ている、まして極めて稀な職業で、どちらにも属さない感覚を持ち、その中間にも位置しているのが絣(かすり)にたずさわっている職業である、というようなことを福井貞子さんが述べていたような気がするがその通りである。図案をパソコンのデザインソフト、Adobe Photoshop(アドビ フォトショップ)を使い、いまや使えて当たり前の世代がいるのでとても語りにくいものがあるが、このソフトは昔、Apple(アップル)のMacintosh(マッキントッシュ)がスケルトンの家庭用に小型化されていよいよパソコン時代突入といったごく当たり前の頃より昔、クソでかいファンがうなるような、それでいてろくに速さはないような環境そして、パソコンが光フレッツなどの高速通信より前すなわち、電話代イコールがインターネット観覧時間というような時代から私はスタートしている。その時、私の家ではパソコンを導入し、親父はそのインターネットの世界に一発勝負していた。いまやネットをやっていることはごく一般的であるものの、この頃からインターネットで紬を直接販売するというのは、結城紬の世界では考えられないくらいの販路が開けたかのように見えたのである。それはのちに結城紬関係者のあいだで語り草になった話であるが、自販は産地問屋は最も恐れてたことであった。すなわち、産地問屋はなんとか封じるために自販するものには、注文を出さないという共通認識でいっせいに、北村織物の北村初雄すなわち私の父およびその織元の人を受注停止した。当時から結城紬は受注によって絣の世界と織りの世界は成り立っていたのでそれを断ち切られるのはほとんどネットの世界にかけてそれが失敗は、廃業と同じ意味になるほど酷なものであった。私はその過酷さを知っている。特に痛感したその産地問屋の受注ストップの猛威はリーマンショックである。それを知った私がいなければ、いまの私はいないのである。さてだいぶ、どうでもいいような私し事を語ってしまった気がするが、なぜこの著書を紹介するのか、そもそも北村さん、染織資料の紹介ではなかったんですかと問いただされそうであるがよくここで一度立ち止まり考えていただきたい。前文で述べてきたように絣の世界に身をおいてきた私はそもそも染織資料と言いつつ、だいぶ私の解釈のみによる独断と偏見によって染織資料コレクションがされてきた。しかし何度もいうが染織というのは、それを支える人々がいてはじめて商売になり得るのである。それを言えば私の仕事は、そもそもどちらにも関わっていないと言えるし、どちらにも関わっていると言える。絣について紹介したようにどちらにも当てはまらないのでこんなことが言えるのである。それでは染めや織りいがいというのは重要なことではないか、のようにとらわれてしまうだろうが実はそんなことはない。特にこの著書を買った人は私がこの本を紹介していることにたまげているといった感じではないだろうか。そうである。この本は染めと織りに重点をおいていては手や目が届くものではない。縫うことで生活を豊かにしよう、みたいなテーマである。だが染織は述べてきたようにそれらを支えてくれる人がいて、はじめて効力が増すのである。では具体的にはどのような本であるのかというのを本のはじまりに書いてある文章を引用して終わりたい。こういうおばちゃん悪くない人生ではないか、いいじゃないかと私は勝手に楽しませてもらっている。では、部分的に本の文章を引用する。<  人の記憶は何歳ぐらいから残るのだろうか。体の中には案外、思っているよりはるかに古い記憶がしまい込まれているようなきがする。幼いころに着た浴衣の色合い、柄などひょいと思い出すことがあるし、涼しげなボイルの感触までも、、、、。そんな時いつも布が、着物がきっかけとなっている。   あまり変化のない日々だと、めまぐるしい時の流れに戸惑う時と。そんな気持ちを整えてくれるのがチクチクと単純に針を運ぶ手仕事。布が暮らしを彩ってくれるし、元気をもらえる。畑の中で一人、草むしりをしているおばあちゃんの穏やかな表情にも似たようなものを感じる。そのおばあちゃんと同じように、自分の居場所、自分の時間を持てた今の暮らしをありがたく思っている。私の縫ったものを見て『よくもまあいろんな色、柄、素材をつないで、それなりにおさまっているのね』とか『パワフルね』とかの声を聞く。沖縄では楽しいことがあると三線(さんしん)に合わせてカチャーシーを踊る。約束事のない自由な踊り。もともとの語義はかき混ぜるの意味らしい。いろんな色が混ぜ合わされて元気。多くの人が仲間になって踊る元気なカチャーシーが私は大好き。私も自然に踊り出す。布と会話しているように思っていただけたらうれしい。その会話に加わっていただき一緒になっていただけたらもっとうれしい。  布から教えられるさまざまな暮らし、人との出会い、喜びなど、今日も針と糸を連れて涼しい場所に座り込む。>

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