芭蕉のすべて&山口素堂

芭蕉は多くの文学者によって創られた俳諧人

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素堂と芭蕉それに甲斐

 素堂、芭蕉関連の句文(抜粋)
   炎天の梅花、雪中の芭蕉のたぐひにや沙汰せん。   
されどもかの翁に、生きのこりて証人たらんも
のは我ならずしてまたたそや。

我友はせを老人、ふるさとのふるきをたつねん
   ついてに、行脚の心をつきて、それの秋、江上の
   庵を出、またの年さ月待ころに帰りぬ。
    しもつかさの散人 素堂
 
   今はむかしの友はせをの翁、十暑市中に風月を語、 
七霜かつしかのかくれ家にともなふ。ことし十七回 
にあたりぬれば、門人したしき友、かつしかの志を
つかんと、日頃は名をたにしらね所々を、句につゝ
りて手向草となしぬ。
 
芭蕉庵六物 素堂著
一、文台  西行法師二見の浦にて、……………   
二、大瓢  ある人芭蕉庵にひさこをおくれり…    
三、小瓢  許子は捨て、顔子は用う。…………    
四、檜笠  甲斐の山人にこひもとめて…………  
五、畫菊  予か家に、菊と水仙の畫久しく…… 六、茶羽折 此翁行脚の頃、身にしたかへる……  

鳴海なにかし、知足亭に亡友はせをの翁やとりける
    頃、翁おもへらく、  

 芭蕉行脚の出て久しく帰らさりし頃
      いつか花に小車見ん茶の羽織 
    はせを庵に帰るをよろこひてよする詞
 
 むかし行脚のころ、いつか花に茶の羽折、と吟じて  
  まち侍し、其羽折身にしたひて、五十三驛再往来、

芭蕉曾良餞別
松島の松陰にふたり春死なん
 
   芭蕉居士の舊跡を訪ふ
     志賀の花湖の水其なから 

芭蕉庵再建歓化簿
芭蕉庵やぶれて芭蕉庵を求む。力を二三生にたのま  
  んや。めぐみを数十生に侍んや。  
 烏巾を送る
     もろこしのよし野の奥の頭巾哉
  
芭蕉と甲斐
 松尾芭蕉と云えば、江戸時代俳文学の中心に居た人物である。しかし全く同時代に活躍し芭蕉を始め多くの俳人を助け立机させ、さらに新風を提示してその地位を確立した山口素堂(甲斐出身とされる)については、山梨県内に於ても全国的にもその評価が低い感がする。
確かに後期の作品のでは芭蕉の方が上かも知れないが、漢学・和歌・能・書・琴等その趣の深さや、儒学の林家の門人(元禄六年入門)として、さらに類を見ない教養の深さは群を抜いていて、芭蕉を凌ぐことが諸書から十分窺う事が出来る。
山口素堂の研究は荻野清先生(故)や清水茂夫先生(故)の労作が有るのみで、他は『甲斐国志』の記述をそのまま鵜呑みに記述し、有効な資料の無い「濁川改浚工事」を中心に自説を上乗せして展開したものが多く見受けられる。
 県内各地には芭蕉の句碑が林立するが、芭蕉がその地で詠んだ句と確認できるものは殆どなく、それは芭蕉門を名乗り芭蕉を崇め奉る事で、自らの俳諧の地位を誇示する為の建立が圧倒的に多いと思われる。
 芭蕉以後、俳諧を業とする人たちは芭蕉門を名乗り、芭蕉を崇め、芭蕉に近づくことが名声と実益をあげる手段ともなる。研究者にしてしかりである。
門外漢の私には「古池や蛙飛び込む水の音」がなぜ秀句なのか理解できないでいる。
 さて本題の芭蕉と甲斐についてであるが、通説では芭蕉は二度甲斐に来ているが、その時期や場所については諸説ありいまだに定まらない。
芭蕉書簡や高山傳右衛門繁文(麋塒)の遺族の記録では、芭蕉の甲斐入りは数度に及ぶとも伝えられ、死去した後の元禄名七年以後も甲斐を訪れる考えがあった事が書簡に見え、紹介している書も多い。
 歴史上の人物を追求する人は、有効な資料を収集し的確に判断することが必要になる。最も危険な行為は少なくあやふやな資料の上に私説や仮説を展開して、恰も読む人に史実のように伝えることである。
 芭蕉の来甲は間違いないが、その時期と世話をしたのが高山傳右衛門繁文(麋塒)であったかは資料から読み取れない。
当時は、春一〜三月で夏は四〜六月である。また其角の『みなし栗』の芭蕉の跋の日付が「天和三癸亥仲夏日」とあるので、この跋が江戸で為されたものとすると五月以前には江戸に戻っていたことになる。
不思議な事に優れものの芭蕉門人の俳諧師其角が著した『芭蕉終焉記』には、芭蕉が火事にあったのは天和三年の冬と記してある。私には間違いと断定できないが、上野館林松倉九皐が家に蔵されていた素堂の『芭蕉庵再建勧化簿』の日付が天和三年九月であるので、やはり其角の記憶違いであったのであろうか。
芭蕉研究の第一人者の今栄蔵先生の『芭蕉年譜大成』によれば、
天和三年一月歳旦、「元日や思へばさびし秋の暮」。
春、五吟歌仙成る。連衆は芭蕉・一晶・嵐雪・其角・嵐蘭
であるがこの「春」の日時が定かではなく、夏に甲斐国谷村に高山麋塒を訪ねて逗留し、五月には江戸に戻る。とある。
   
ここで芭蕉の甲斐入りについての諸説があるので掲載して、検討を加えたい。

一、芭蕉の甲斐入り  天和三年春(?)
 松尾芭蕉の谷村流寓については未だに諸説があり確定されていないが、明治三年、大虫の稿本『芭蕉年譜稿本』それに勝峯晋風氏の『芭蕉の甲州吟行と高山麋塒(びじ)の研究』、近いところでは小林貞夫氏の『芭蕉の谷村流寓と高山麋塒』や赤堀文吉氏『天和三年の芭蕉と甲州』(都留高等学校・昭和四十三年度版)らが見受けられる。研究者の中には資料や自説を織り交ぜて定説化を急いで居る人もおられる。
 芭蕉の甲斐入りの概要は凡そ次のようである。
  ➀ 天和二年(1682)の江戸大火の後、天和三年正月頃から五月頃まで、甲斐谷村秋元藩の国家老の高山傳右衛門の世話で甲斐谷村に来て暫く静養したと云うもの。
  ➁ 貞享元年(1684)から二年にかけて俳諧行脚、『野晒し紀行』の帰り芭蕉は再び甲斐に入った。
 歴史上の人物の事蹟を追求した先人の研究には、諸説があり、どの説が正しいのか混乱するばかりである。読んで見ると解明よりさらに謎が拡大する書に遭遇する場合も多い。こうしたことは、歴史研究にはよく見られることで決して珍しい事ではない。これは資料不足の中で研究者の知識と推説が多く含まれるからで、歴史研究や、芭蕉の研究にもこれは言えることである。
 さて芭蕉の来甲のことに戻るが、最初に芭蕉の天和二年〜三年の動向について考察してみたい。天和二年(1682)の冬十二月、芭蕉庵は焼失したというが、芭蕉死後の最も近い年代で芭蕉の優秀な高弟、宝井其角の『芭蕉翁終焉記』の記述では天和三年冬の事としてある。(註…宝井其角(蕉門十哲の一人・山口素堂とも漢学を始め俳諧でも深い関わりがある)
 当時江戸での火事は頻繁に起こり、調べて見れば枚挙に暇が無いし、芭蕉の動向も天和三年それに天和四年の春頃までは不詳なのであり、安部正美氏著の『芭蕉傳記考説』「行実編」では、

  天和三年(1683) 五 月 甲州から江戸へ帰った。
    九 月 山口素堂の「芭蕉庵再建勧化簿」成る。
     十二月 不詳。
  天和四年(1684 ) 六 月 風瀑の『丑寅紀行』(貞享三年六月刊)入集。
  八 月 〜十二月、門人千里を伴い近畿地方巡遊の途につく。
  八 月 中旬頃、『野晒紀行』(『芭蕉年譜大成』今栄蔵氏著)
  十二月 故郷、伊賀で越年。

 芭蕉が甲斐谷村に流遇したと確説に近くなったのは、勝峯晋風氏の『芭蕉の甲斐吟行と高山麋塒』の次の記述にあると思われる。

   天和二年師走の振袖火事は、突如芭蕉庵包んで一瞬の裡に拝燼とした。其角の「芭蕉翁終焉記」(枯尾花所載)は最も正確な芭蕉傳の第一文献であるが、「天和三年の冬深川の草庵急火にかこまれ」て、芭蕉は「潮にひたり」岸に舫ふ「苫をかづきて、烟のうちに生のびけん」と叙する九死に一生を迯れた。「爰に如火宅の變を悟り」て落延び、「無所住の心を發して行く所を定めず」流竄した。「其次の年、夏半に甲斐が根に暮らし」と述べるから、天和三年の夏は甲斐の国で暮らした譯である。其の「甲斐が根」は通説の初雁村(成美及び湖中説)よりは、「富士の雪みつれなければ」の文に徴して、もっと岳麓地方であらねばならぬ。郡内の城を擁する谷村は秋元藩の麋塒が、国詰の邸を構へたので、芭蕉はその谷村に客寓した新説を提出する。江戸から二日路の猿橋を通って、初雁村(今の初狩)立寄ったかは知れない。こゝに寄宿したのではない。

 と記されている。これ以来芭蕉の甲斐谷村流寓説は高まる。
秋元家の谷村城の地図によれば、高山傳右衛門の家は特別な位置にはなく、(註…地図参照)城を囲むように、正面には高山五兵衛の屋敷があり、右には安中大兵衛・高山源五郎の屋敷、その間の町屋に囲まれた通りを出て、土田見徳の屋敷があり、その隣が高山傳右衛門の屋敷である。地図は寛永十年から宝永元年までの絵図とされているので、家屋敷は秋元家が武州川越に移封する末年のものと思われる。
 屋敷の位置から推察すれば、この時期の伝右衛門は国家老の屋敷の場所としては城中より離れていて、いささか疑問が残る。


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