古写真
飛騨と甲斐を結ぶもの(詳細5)
快川国師…戦国期武田氏の京都外交−本山系寺院を中心に(ホ−ムぺ−ジ)
(略)三、臨済宗……鎌倉末に建長寺開山の蘭渓道隆が二度にわたって甲斐国に配流されたことや、南北朝期に夢窓疎石が塩山に恵林寺を創建したこと、さらに抜隊得勝が塩山の向岳寺を創建した。云々
(略)策彦を快川和尚が弘治二年(1556)美濃の嵩福寺へ帰った直後の住職とする従来の説には問題が残る。開山派の僧で最初に入甲したのは、信玄幼時の師僧、除髪の導師ともいわれている。その法兄の鳳栖玄梁が天文十三年(1544)に恵林寺住職となり同二十年(1551)に駿河の清見寺へ移った後、通説では月航玄津、天桂玄長とあいついで妙心寺僧が住持し、ついで前述した快川紹喜・策彦周良・希庵玄密をへて、永禄七年(1564)十月に快川和尚が再任したとされている。
(略)快川国師の場合、永
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古資料
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「風林火山」について
私は昭和二十五年二月に「闘牛」という作品で芥川賞を受け、翌二十六年五月に、それまで勤めていた毎日新聞社を退き、以後小説家として立っております。芥川賞を受けた二十五年から二十八、九年までの四、五年が、私の生涯で一番
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