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<この探索旅行の大きな目的の「餓鬼のノド」へ>
『峡中紀行』
餓鬼の (ガキのノド)
ここから「餓鬼の 」へはどの位の距離があるかと尋ねれば、柳沢村の西南の山中十里ばかりの所にあるという。村人を促して餓鬼の喉に行こうとすれば、村人は困難だと首を振る。「餓鬼の 」に行くには道険しく、人の行ける所ではないという。
石空川(ウトロ)
無理を承知で頼めば村人承諾する。石空川を渡り稲田の中を分け行く。次第に山の間に入りければ、石の角が駕籠の行く手を遮る。荊棘が着衣をひき、左右に曲がりくねりながら進む。その厳しい道程は想像を絶する様に思える。駕籠では進むことが出来ないので、皆徒歩にて前進する。
山葵沢(ワサビザワ)
五六里進むとワサビ沢という所に至る。右側の崖の中に見たことも無い野草が生えている。この辺りから両方の山が迫り道を狭めている。道は極端に険しく時々尖った石が足の裏を突き刺し、歩く事が困難になる。同行の省吾を振りかえって見ると、一重の岩を隔てながらも必死に追いつかんとしているように見える。
山に登る健脚を試さんと飛び跳ねるようにして進めば、道案内の村人は息も絶え絶えである。
第一の関
進むと一つの崖が突出ていて前を遮っているので横に進む。村人はこれを「第一の関」という。険しい嶺の上を遠見場という。
柳沢兵部丞信俊
昔、柳沢兵部丞信俊という人は武田の一族であったが、武田信虎に糾弾され、この「餓鬼の 」に避難して暴徒が去るのを待った所でもある。
道を左に曲がり、険しい嶺を過ぎて行けば、崖の下の道は渓流に浸食され、道幅は極端に細くなっている。渓流は岩の間を潜り抜けて、その音が周囲に轟いている。崖下の道は広がったと思えばたちまち狭ばまり一定していない。
檪(橡/ )平
右側の山腹に少し平らな場所があり、これは逸見氏の築く山城という。左の方に左右の山を抱き合わせて、最も深い所が、山高氏の殿屋敷跡という。この所を「檪(橡/ )平」と名付ける。
更に道を進むこと一二町、谷にの道も無くなる。左側の崖は数丈にわたり崩れ、石は無数に砕け飛び散り、その様は畏ろしい形状である。渓流はみな右に逸れて流れ、岩根は忽ち露出する。道はこうした急流に浸食された為に、この様になってしまった。
大風雨
今より七年以前、元禄十三年八月十五日の大風雨の時、山が大いに荒れ、崖上の多くの大岩飛び落ちる。この場所から「餓鬼の 」に至るまでみなこの様な状態と思われる。
毒水
毒水が流れ出し、緑色をしていて、味は塩辛く酸っぱく、舌を刺激する。下は石空川より柳沢・山高の両村にそそぎ、田地はみな塩漬け状態である。多くの土地は荒廃している。村はこれに最も苦しみ悩んでいる。
緑水
村人と立ち話をしていると、省吾も来て話を続ける。今後の道程についても検討する。一つの樵夫の通る道を見つけて山腹に沿って崖の上に至ると、草うっそうと繁り、高さは六七尺位である。下をうかがえば、小さな渓水が見える。甚だ浅く石の頭は水から出ているものは少なく、渓水は榛の木を穿ち崖を下り石の間を流れ落ち、谷川を過ぎ狭い口の処へ出れば、水は深く色は緑になる。染め屋のこぶな草を煮た時に出る汁に似ている。
厳礬( )石
崩れ落ちた石はみな焦茶色をその形状は縦横に裂けている。石の下には粘って黒ずんだような物があって流れ出している。あちこちに色が染みついて汚れた様相を呈している。乾いたものはかたまりになっている。村人は厳礬( )石という。何に用いるのか分からない。俯せになって水中を窺えば、石と石の間のあちこちに金色の砂が見える。水を揺らせばキラキラとして見事である。前方に三段の瀑布が望める。水流は珠のように飛び、玉の如く響きわたり、耳が洗われようである。むかし桃源の洞の中に秦人を裂け、今なお在るかと思う事なり。
『風流使者記』
茂卿又た称する所の塁児の孫なる者を召して、此よ餓鬼の 去る
こと幾多なるかを問へば則ち云ふ、「村の西南の山中十里許りに
在り」と。茂卿欣びて日く。「太だ近し」と。塁児の孫頭を揺り
て云ふ。「近きことは則ち近し。路太だ険 にして汝曹白面郎君
の能く至る所に非ず」と。二子相顧みて笑ひて日く。
「老儒生、今日始めて白面郎君の称を得たり。是れ賀す可きなり」
と。塁児の孫、二子何の語を倣すといふことを解せず。尚ほ日ふ。
「従来、諸官人未だ嘗て共の処に到らず。郷中の人亦た能く往く
者尠し。汝曹白面郎君宜しく此れより還るべし」と。
二子相謂ひて日く。「吾輩の此の番の一行は、要は霊台寺の形勝
と餓鬼 とに在るのみ。共の他の瑣細紺は則ち君意の専ら注ぐ所
に非ざるなり。然れども其の霊台は山川を一望し、早く既に歴々
乎として藩主霊台の中に殆んど将に閑却せんとす。風流使者の職
は則ち此の一段却って是れ最も緊要の事なり。何ぞ其の三家村裡
の愚夫輩に恐嚇せられて、以て中ごろ沮むこと致すを容さんや」
と云ふて。乃ち往く。邑入驕を擁して前ましめず。口々に相聒し
て曰く、「万一官人に失誤あらば、我輩何そ別に一副の身命有り
て以て柑償ふを得可けんや」と。茂卿忿然として驕外に躍り出で、
水石姓なる者を き、推して前行せしむ。邑人数十亦た行き、相
従はんことを訴ふ。一渓流を渉る。無数の細石灘を作す。
云ふ「是れ石空川なり」と。
柳邑の西南人の到ること稀なり 茂卿
水流は曲曲として乱山囲む
忽ち思ふ霊夏石空の堡
安んぞ源頭に向って白衣を間はん。
何ぞ俗骨神仙を逐ふを妨げんや 省吾
旧は浮 によりて漢天に達せり
郷人の道傍に議するを用ひず。
身を抽んでて先ず渉る石空川。
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