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武川周辺を詠む
向禽が心事本天慳 茂卿
ただに仙縁相逢ひがたきのみにあらず
曾て恨む人びと千里眼無きことを
従来、掛けて此の中に在りて閑なり
和 省吾
是れ山霊真境の慳むなるべけんや
崎嶇として、両脚登らんと欲するに艱む
未だ腋下より毛羽を生ずること由あらず
此の志平生固に閑ならず
第一関 茂卿
侯吏高呼し第一関と
愕然たり尚ほ隔つ幾重の山
傾聴すれば泉 漸く近きが如し
努力して且に前澗の彎を過ぎよ
和 省吾
関を過ぐるに更に幾重の関有る
目を仰げば大山小山を抱く
更に怪しむ神仙我を忌むが如くなることを
白雲膚寸渓彎に起こる
行々潜かに認む秦を避けし蹤 茂卿
仙子まさに世路の通ずるを嫌ふべく
自ら是れ道の真なるは むる所無し
桃源移りて此の山中に在り
和 省吾
人間仙人蹤に就くに処無し
忽爾として渓頭に一路通じたり
訝ること勿かれ飄然として相遂ひ去ることを
桃源は此山中に在らん
崖下を過ぐるに、路乍ち渦く乍ち窄し。右に山腹の稍々干らかな
る処を眺む。逸見の里処と日ふ。方の広さ一三百人許りを容る可
し。土人又左方の両山相擁すること最も深奥なる処を指さして、
「是れを山高の塁地と云ひ、橡平と号す」と。更に一二町を往く
に、複た蹊径無し。左崖の崩るゝこと数丈許りなる可し。乱石無
数、縦横に相倚り、勢殊に見る可し。渓流皆右に避けて行き。崖
根悉く露はなり。路は益し盖其の齧みしが為めに尺くるなり。
前行する者云ふ。「此より前七年、庚辰八月十五日、大風雨あり、
山大いに震ふ。崖上の大石頭の飛落する者数を知らず。此より餓
鬼 口に至るまでもな皆毒水流出す。皆緑色、味鹹酸にして舌を
変す。下は石空川に注ぐ。柳沢、山高の両邑は元石空川を籍りて
灌慨す。田禾皆為に 潰し荒廃頗る多し。是れ民の最も苦しむ所
と為れり」と。立ちて談ずる間、茂卿の嚮に使はしめたる所の
走り来て及ぶを得。乃ち省吾の語を伝へて云ふ。「禽尚の事、須
らく児女の輩の婚嫁悉畢を竣つべし。年期尚は遠し、故に志未だ
脚と謀るを得ず」と。
其の衣服を視れば、処々上泥の為に さる。蓋し走ること急にし
て僵るること三四たびならん。茂卿大いに笑ひて云ふ。「徒らに
汝をして困しめしのみ」と。詩有り。
漫に言ふ婚嫁の畢るを期と為すと 茂卿
更に尚平脚力の哀へんことを恐る
待ちて看よ若し仙子の過ぐるに逢はば
しばらく一鹿を呼んで君に借りて騎らしめん。
省吾亦た至る。和有り。
世縁猶は隔っに 期に伴ぶことを 省吾
却って苦辛を借りて筋力哀へんことを
女嫁し男娼して人事畢らば
我が家自ら杖竜の騎る有らん。
則ち郷民と路の由る所を謀り、樵夫の足跡を認む。山腹によりて
以て一崖上に至る。草榛翳薈するも高さ偉かに六七反のみ。下し
瞰れば小澗甚だ浅く、石頭の水より出づる者若干なり。棒を穿ち
て崖を下る。石を択びて蹈み、澗を過ぎて餓鬼 口に至る。水果
て深緑にして、染家の 草を煮たる汁のごとく一般なり。崩石皆
焦色、其の理縦横に皆裂開す。石下に瀝青の如き者有りて流出す。
其の状 然たり。茂卿復た其の石髄為るを疑ふ。其の乾きし者
亦た凝結し、塊を作すこと瀝青の如し。土人号して岩礬と日ふ。
其の何の為に用ふるかを知らず。俯して水中を窺へば、石間に往
々にして金色の砂有り。水揺るれば則ち鑠々然として愛す可し。
詩有り。
乍ち喜ぶ神仙縁石るに似たるを 茂卿
全砂石碧石、清漣に映ず
前山忽ち聴く笙声の過ぐるを
又恐る風吹き石髄の堅からんことを。
仙人に就きて石乳を嘗めんど欲す 省吾
深山往々にして奇を探ぐるに耐べたり
却て疑ふ羽客相見ること無きことを
尚ほ雲根の懸かる処を みて之く。
前に澤布三級を望む。珠奔玉 、最も耳を洗ふ可し。
詩有り。
此の生、耳棋と期するに似たり 茂卿
忽ち たるを聴いて疲るるを覚えず
精神を奮ひて前路を蚊らんと欲し
飛泉懸かる処、立つこと多時なり。
忽ち雲際より飛泉を掛く 省吾
万玉粉々として樹頭に送る
耳を洗って且に天籟の発するを聞く
長風 を吹いて瀛洲よりす。
左は則ち餓鬼 口なり。其の高さ幾十依なるを知らず。潤さ僅か
か五六尺許りなるも、峻しきこと言ふ可からず。皆石塊白砂、水
無きも流れんと欲す。脚力施す可からず、手亦た攀拠す可き処無
し。二子仰ぎ看て、惘然たること之を久しうす。
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