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<森羅三郎の甲斐足跡は後世の伝説である>
北杜の歴史講座 甲斐源氏
北杜市や韮崎市は旧北巨摩に属し、数多い甲斐源氏の史蹟や伝承が多く存在する。
しかし確実な資料に裏づけされたものというと数少ないものしか確認できない。この
講座では旧説に惑わされずに確かな資料によって甲斐源氏の実体を綴ってみる。
氏 名 和 暦 出 典
藤原公季(甲斐公)
長元 2年 10月17日 1029 故太政大臣藤原公季を甲斐に封じ、甲斐
に封甲斐公となし仁義公とする。正一位。
(日本記略 後編14)
源頼信
安和 1年 968 源頼信生まれる。
長元 3年 9月 2日 1030 甲斐守源頼信及び坂東諸国司に命じて平
忠常を討たせ、追討平直方を召還する。
(日本記略 後編14)
長元 4年 2月23日 1031 甲斐守源頼信、調庸使が流人藤原光清の
使者を射殺した状を奉上する。
(日本記略 後編14)
長元 4年 4月28日 1031 平忠常、甲斐守源頼信に投降し、伴われ
て上京の途次美濃国で病没、頼信その首
級を携えて入京する。 (左経記)
長元 4年 6月27日 1031 朝廷、頼信の行賞と忠常の子常昌・常近
の処分のことを議する。 (左経記)
長元 4年 7月 1日 1031 頼信、忠常追討の賞として丹波守を望む。
(小右記)
長元 4年 7月13日 1031 頼信、右大臣藤原実資に物を贈る。 (小右記)
長元 5年 2月 8日 1031 平忠常の賞により甲斐守源頼信を美濃守
に任する。 (類聚符宣抄 第8)
永承 1年 1046 河内守源頼信、石清水八幡宮に告文を捧
げ、祖先並びに自己の勲功を述べて、子
孫の繁栄を祈る。
(類聚符宣抄 第8)
永承 3年 1048 源頼義没。
源 義光
寛徳 2年 1045 歿。年八十二才。 諸説あり。
天喜 4年 1056 歿。年七十一才。 諸説あり。 (甲斐国志)
永保 3年 1083 義光、左兵衛尉。年三十九才。
(奥羽戦乱と東国源氏)
長兄の義家が後三年の役が陸奥国で苦戦、
義光、援軍として上奉して暇乞をするが
認められず、許可なく馳せる。
義光、時秋に足柄山にて笙を伝授する。
義光、陸奥国菊田荘(いわき市内)を押
領を図る(修理太夫藤原顕季の所領)
明簿奉呈(家臣になる意思表示)をする。
義光受領、常陸介となる。現地に赴任し、
大豪族大掾家の娘を嫡男義業の妻に迎え、
佐竹郷に居を構える。
義光の勢力、佐竹郷を中心として、国内
北東部一帯に定着する。
(奥羽戦乱と東国源氏)
康和 4年 2月 3日 1102 刑部丞源義光、馬二疋を右大臣忠実に贈
る。この時義光五十八才。 (殿暦……忠実の子忠通の日記)
(殿暦・武川村誌)
新羅三郎。常陸・甲斐守。左衛門。
刑部丞。平日住三井寺。
義光の子義業…吉田太郎清幹の娘を娶り、佐 竹冠者昌義を設ける。
義光、義業を久慈川流域の佐竹郷に配置。
甲斐源氏の発祥 義光の子義清…常陸国吉田郡武田郷に住して
武田冠者と呼ばれる。
義光、義清を那珂川北岸の武田郷に配置。
嘉承 1年 6月 1106 源義家の子の義国と義光が常陸国で合戦。
(永昌記)
大治 2年10月20日 1127 源義光死去。(尊卑分脈・大聖寺過去帳)
義光の所領は常陸国多可郡の国境に近い菊田庄であったといわれる。
(十訓抄)
…『新編相模風土記稿』巻之八十七 鎌倉郡巻之十九には次の記事が見える。
大寳寺 佐竹山にあり、多福山一乗院と号す。此地に新羅三郎義光の霊廟ある
が故、其法名多福院と云ふを執て山号とす云へり。されども義光の法名を多福
院と云ふもの信用し難し、恐らくは訛なるべし。佐竹常陸介秀義以後敷世居住
の地にて今猶当所を佐竹屋敷と字するは此故なりと云ふ。『諸家系図纂』に秀
義の後裔右馬頭義盛応永六年(1399)鎌倉に多福寺を建とあり。
… 多福明神社…新羅三郎の霊廟と云ふ、明応八年(1500)権大僧都日證一社に勧請
しその法号を神号とすと伝ふ、恐らくは佐竹義盛の霊廟を義光と訛り伝ふるな
るべし。云々
… 鎌倉長勝寺、寺宝、寳陀観音像一体(新羅三郎義光の守本尊と云ふ)
… 鎌倉市大町大宝寺…大宝寺浦野墓地にある変形の宝篋印塔で、後裔の佐竹氏が
建てたという。義光は頼義の子で 新羅三郎あるいは館三郎と称し、兄義家を
授けて清原武衡・家衡を討った。 (歴史と旅、鎌倉興亡史)
… 大宝寺…多福山一乗院といい、承暦年間の創建で、当時は真言宗で、俗に佐竹
屋敷といわれる所で後三年の役後、新羅三郎義光がここに館を構え、その後佐
竹秀義が住んだと伝えられる。 (歴史と旅、鎌倉興亡史)
…常陸国を去った義光は京都に戻る。除目待つ間近江園城寺に住む。近江国義光所
領の地は柏木、山村の両郷など近江国に多く見られる。
義光は補任として甲斐守となる。その所領は加賀美郷・逸見郷・甘利郷・塩部郷
・石和御厨・原小笠原郷・一宮郷・一条郷・条郷・下条郷・板垣郷・吉田郷・二
宮郷・岩崎郷など。義光は嫡男義業を常陸、次男義業の次男義定を配置する。
没年 大治 2年10月 2日 1227 歿。 年八十二才。
大治 2年10月20日 1227 歿。 年七十一才。(甲斐国志。)
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