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<市川氏を探る 長野県>
<市川氏は甲斐の出身?>
「長野県姓氏大辞典」市川
市川・市河いちかわ
県内に広く分布する大姓。
桓武平氏城氏流・橘氏流・佐々木氏流などは甲斐国(山梨県)八代郡市川の発祥という(姓氏家系)。県内の分布は市部では長野市・松本市・佐久市に多く、郡部では南佐久郡臼田町・佐久町、北佐久郡立科町、更級郡大岡村に多い。
○中世初期から奥信濃を本拠にした豪族の市河氏・がある。出自は藤原氏。本貫の地は甲斐市川で、.甲斐市河屋敷は鎌倉時代から市河氏の相伝の所領となっていた。なお、甲斐市川に起こる市河・市川氏は平姓城氏の流れとも、源姓新羅三郎義光の流れともいう(姓氏家系)。同氏は埴科郡船山郷青沼(戸倉町)なども領し.ていた。青沼を巡っては、『吾妻鏡』寛元二年八月三日条に、.「市川掃部助入道見西所訴申之信濃国船山内青沼村」とあり、市河見西とその旧妻(藤原氏)どの間で相諭があった際、幕府は旧妻へ安堵している。建仁二年の弓始めには市河五郎行重が藤原姓中野四郎と共に射手を務めた。中野忠能の所領は唯一の女子袈裟御前を惣領として譲られ、.袈裟は市河重房の後妻となり、重房の嗣子盛房に所領を譲ったので、中野氏の所領や古文書の大部分は市河氏に移り、このころから高井郡志久見郷(栄村)を本拠としたようである。南北朝時代には、守護方、北朝方として各地を転戦し、やがて弘治三年以前に武田氏に属した。この前後から市川と称している。武田氏滅亡後は上杉氏に属した。慶長三年の上杉氏会津(福島県)転封に従い、一六、七〇〇石、同心給二、四八○石。関ケ原の戦の滅封後も、上杉家臣団の序列第三級の「御相伴並」の地位を与えられ、一、.〇六六石を領し明治に至る。
明治期には屯田兵として北海道釧路に移住、子孫は近年同地から神奈川県に移住。なお、市河氏伝来の市河文書は国重文に指定されている。
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