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弘治 三年 1557
《信虎―64歳・信玄―37歳・勝頼―12歳》
●一月廿日、長尾景虎、更級郡八幡宮に、武田晴信の討滅を祈願する。願文に晴信の信濃制服の暴虐を記す。               (長野県史)
(前文略)
ここに武田晴信と号する侫臣ありて、かの信州に乱入し、住国の諸氏悉
く滅亡を遂げ、神社仏塔を破壊し、国の悲嘆累年に及ぶ。何ぞ晴信に対
し、景虎闘諍を決すべき遺恨なからん。よって隣州の国主として、或い
は恨を後代鬼人に誓い、或いは眼前に棄てがたき好あり、故に近年助成
に及ぶ。国の安全のため軍功を励むところ他事なし。神は非礼を受けず。
縦へ晴信渇仰の志ありと雖も、既に国務を奪はんがため、ゆえなく諸家
をして罪なく脳乱せしむ。万民争(いかで)かその感応に預からん。
云々

●一月廿一日、武田晴信、伊那郡諸郷に夫役を課す。    (信濃史料叢書)

●二月十二日、
   山田領之貴賎、就致降参者、身命不可有相違者也。仍如件。
     弘治三年二月十二日
    原左京亮殿

●二月十五日、武田の将馬場信房、長尾方落合氏らの本拠水内郡葛山城を攻略する。葛山衆の多くは武田方の属し存続する。        (長野県史)

○二月十五日、武田晴信の兵、長尾景虎の属城信州水内郡葛山城を攻めて、之を陥る。尋いで、景虎、色部勝長等の参陣を求めて、晴信の軍に備ふ。
                           (信濃史料叢書)
○  於于去二月十五日、信州水内郡葛山地、頸壱被討補條戦功無比類候、
   弥忠信可為神妙者也。謹言
    弘治三年三月十日            晴信(朱印)
      内田監物殿
         (「信濃史料叢書 内田文書 山形県吉川吉蔵氏所蔵」)

○  於于去二月十五日、信州水内郡葛山地、頸壱被討補條戦功無比類候、
   弥忠信可為神妙者也。恐々謹言
    弘治三年三月十日            晴信(朱印)
      諏訪清三殿
       (「信濃史料叢書」 三澤文書 諏訪市本町 三澤清美氏旧蔵)

● 二月十五日、武田晴信、信州葛山城合戦に於ける窪川宮内丞の戦功を賞する。
   去る二十五日、信州水内郡葛山の地に於いて、頸壱つ討ち捕る条、戦功の至り感じ入り候。いよいよ忠信を抽んずべきものなり。仍って件のごとし。
    弘治三年三月十日            晴信(龍朱印)
窪川宮内丞殿
   





 同様の文書の宛先
小井弖藤四郎殿。千野靭負殿。溝口殿。篠原藤十郎。土橋対馬殿。内田善三殿。程原左衛門尉五郎。岩下藤三郎殿。三井助七郎殿。小林新兵衛殿。志村禅左衛門殿。室賀兵部大輔殿。春日甚之丞。諏訪清三殿。
溝口宛。

●二月十六日
   信州鉾楯の儀、去々年駿府のご意見を以って、無事に属し候き。然れど
もその後の例式晴信の刷曲なき儀どもに候と雖も、神慮といひ、駿州御
刷といひ、この方より手出し致すべきに非ず候條、堪忍に及び置き候。
今度晴信出張し、落合方家中引き破り候故、葛山の地落居、これにより
島津方も大蔵の地へ先ず以って相移られ候。この上のことは是非に及ば
ず候間、爰元の人数悉くかの口へ合せしめ、景虎も中途に至り出陣候。
雪中御大儀たるべく候と雖も、夜を以って日に継ぎ、御着陣待ち入り候。
信州味方中滅亡の上は、当国の備安からず候。今般に至っては、一廉の
人数以下相嗜まれ、御稼この時候。恐々謹言
     二月六日     長尾弾正少弼 景虎
色部弥三郎殿 御宿所
(「信濃史料」色部家文書)
筆註
鉾楯= むじゅん   刷曲=かいつくろい

●二月十七日、武田晴信、内応した高井郡山田左京亮に、本領同郡山田を安堵し、大熊郷を宛行う。                     (長野県史)
   今度最前に降参、祝着に候、仍本領五百貫之地、不可有相違、又為新恩
大熊郷七百貫文之所出置候、弥忠節肝要二候者也。仍如件。
  丁巳三年二月十七日 晴信
 山田左京亮殿
(「山梨県史」中世ニ 県外文書 東京都の部)

●二月廿一日、後奈良天皇伊那郡文永寺再興を山城醍醐寺理性院に令する。ついで文永寺厳詢、信濃に下り、武田晴信に文永寺再興を訴える。(長野県史)



●二月廿五日、武田晴信、越後軍の高井郡中野への移動を報じた原左京亮・木島出雲守に答え、城を固めさせる。ついで原・木島、越後軍の出陣を晴信に報じる。                         (長野県史)

●三月九日、晴信、神長(守矢頼眞)宛文書
急度一筆を染め候意趣は、当社御頭役近年怠慢のみに候か。然らば一国
平均の上、百年已前の如く、祭礼勤めさすべきの由存じ候のところに、
十五箇年已来兵戈止むを得ざるにより、土民百姓困窮す。殊には嶋津・
高梨等今に令に応ぜず候間、諸事思慮の旨あって、これを黙止し畢せぬ。
必ず嶋津・高梨当手に属せば、某素願の如くその役を勤むべきの趣催促
に及び、難渋の族に至っては、先忠を論ぜず、成敗を加ふべく候。云々
     三月九日       晴信
      神長殿

●三月十四日、是より先、木島出雲守等、長尾景虎の兵の信濃に入るを、武田晴信に報ず、是日晴信、信濃に出陣せんとし、その旨を出雲守に報ず。
   宛  木島出雲守・原左京亮殿
   (長野市長門町 県立長野図書館所蔵   信濃史料叢書 丸山史料)

●三月十八日、
   信州口の儀に就いて、態御切紙祝着千萬に候。再三啓し候如く、今度の
儀は、是非行に及ぶべき覚悟に候間、今般の儀候間、如何とも早速の御
働待ち入り存じ候。景虎ことも漸く出陣せしめ候。ご用意本望たるべき
間、それ以来かの口の儀、相替りたる子細これなく候。御心安かるべく、
万々面上を以って申し承はるべく候。恐々謹言
   二月十八日         長尾弾正少弼 景虎
   色部弥三郎殿 御返報
(「信濃史料叢書」色部家文書)

●三月廿三日、武田軍、高梨政頼を飯山城に攻める。政頼、落城の危機を訴え、長尾景虎政景に救援を請う。この日景虎、越後長尾政景に出兵の決意を告げ出陣を促す。                       (長野県史)

   信州の儀に就いて、度々啓せしむる如く、この度に至っても更によんど
ころなき子細候間、見検致すべきにあらず候。さりながら、出陣の日限
等のこと、かたがた申し談じ進むべく候ところ、景虎出馬遅々に候へば、
高刑飯山の地を打ち明くべきの由、頻りと申し越され候。左様にこれあ
らば、いよいよ節義を失い候条、明日(二十四日)籠もり立ち候。毎度
申し宣ぶる如く、いよいよ御大儀たるべく候。早速の御着陣簡要に候。
恐々謹言
      三月二十三日           弾正少弼 景虎
越前守殿(長尾政景)
        (「信濃史料叢書」 県立長野県図書館所蔵文書)

●葛山城を攻落した後、武田軍は川中島一帯の長尾方の一掃を続行していた。景虎は雪の為に出陣することができず、晴信も三月十四日には、まだ甲府いた。そこへ川中島より注進状が届き、越国衆が出陣するのとの報に接し、自らも出馬すると伝えている。                (甲府市史)

●三月廿五日、甘利信州立。     (王代記 山梨県大井大俣神社旧蔵及)

●三月二十五日、甘利(昌忠)、信州へ立、十月十六日馬入、窪川孫次郎討死。
廿三日、是より先、武田晴信の軍高梨政頼を水内郡飯山城に攻むるにより、政頼、長尾景虎に救援を請い、この日、景虎出兵せんとし、同政景の出陣を促す。

●三月二十五日、是より先、長尾景虎、善光寺に兵を進め、高井郡やまだ要害・福島等を鎮定す。是日、景虎、水内郡旭山要害を再興し、晴信の軍に備ふ。
      色部弥三郎殿   長尾景虎(花押)
(「信濃資料」色部家文書)


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