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 ……市川團十郎発祥の地三珠町…

インタ−ネット、甲州勤番風流日誌
 甲府盆地の南に位置する三珠町は歌舞伎の市川團十郎発祥の地であるとされている。
 この地は武田信玄の異母兄弟一条信龍が富士川沿いに攻めてくる敵を迎え撃つために上野の地に城を築いた。その家臣に武田信玄の能の師匠をしていた堀越十郎家宣がいた。武田勝頼公が織田・徳川の連合軍に敗れ、勝頼公が自刃、一条信龍も自害する。そして堀越十郎家宣は一宮の石原家に家系図を預け、一族ともども代々信仰していた不動尊をたよりに下総国(千葉県)成田方面に逃れ住み着く。
 その孫の重(十)蔵は弟に田畑を譲り江戸に出る。

 ……初代市川団十郎……
  『江戸時代おもしろ人物百科』

 万治三年(1660)、江戸和泉町に生まれた。父は下総国埴生郡幡谷村の農民だったが、江戸に出て地子総代を勤めた堀越重蔵(十蔵ともいう)。延宝元年(1673)十四歳の初舞台に坂田金時の役で「荒事」を創始したと伝えられる。

 ……五代目市川団十郎…… 山梨人物博物館

 市川団十郎は江戸歌舞伎の盟主とされ、平成四年(1992)まで十二代を数える。屋号を成田屋といい、初代団十郎は延宝元年(1673)九月、十四歳で初舞台を踏んだ。荒事と隈取りの創始者である。
 この初代団十郎の父が堀越重蔵、祖父の重左衛門、曾祖父の十郎家宣は共に甲斐武田家の一門、一条信龍の家臣であった。堀越十郎については、永禄十二年(1569)の相州三益峠の法条氏と戦いで手柄を挙げたことが感状(戦功を賞した文書)として残されている。
 堀越一族は天正十年(1569)三月、主家の滅亡後、相模に逃れ、さらに下総国旙谷村(千葉)に逃れた。
 ここから初代団十郎の父重蔵が江戸に出て町奴などともつき合うようになる。
 ☆…団十郎の祖、堀越氏についての調査
 ……山梨県知名辞典……
 三珠町及び市川地方に堀越の地名は見えない。  
 ☆…武田信玄・勝頼に於ける家臣
 ……『武田家臣団』……
 武田信玄家臣団及び一条信龍の家臣に堀越の姓を持つ者は見えない。

 ……元祖團十郎傳并肖像……

  文化五年(    )『近世奇跡考』(山東京停)
 江戸の俳優初代市川團十郎は、堀越重蔵といふ者の子なり。慶安四年辛卯、江戸に生る。重蔵は下総国成田の産、【割註】或云、佐倉播谷村の産、役者大全に云ふ市川村」なり。
 江戸にうつり住。曾て任侠を好み、幡随院長兵衛、唐犬十左衛門と友たり。團十郎生れて七夜にあたる日、唐犬十左衛門、彼が幼名を海老蔵となづけたるよし、【割註】今の白猿ものがたりぬ」初名を段十郎とよび、後に圃十郎に更む。曾て俳諧を好み、奮徳翁才麿の門人となり俳號を才牛といふ。延寳のはじめ、和泉太夫金平人形のはたらきを見て、荒事といふことをおもひつきたるよし、【割註】『侠客傳』に見ゆ。」延寳三年五月、木挽町山村座、凱歌合曽我といふ狂言に、曽我五郎の役を始めてつとむ。【割註】時に二十五才。」延寳八年不破伴左衛門の役を始めてつとむ。【割註】時に三十才。」衣裳の模様、雲に稲妻のものずきは、
  稲妻のはしまで見たり不破の関
といふ句にもとづきたるよし、『江戸著文集』に見ゆ。貞享元年、鳴神上人の役を始めてつとむ。【割註】鳴神を堕落さする女の名を、雲の絶間なづけしは、團十郎おもひつきたるよし、これらを以て其才の秀でたるをはかり知るべし。
元禄七年、京にのぼり、同十年に江戸に下れり。
【割註】貞享五年『役者評判記』「野郎立役二町弓」といふ書に、左のごとくあり。
 ○此ころのひょうばん記は、おほく半紙本なり。位付あり。元禄末横切本となり、位付あり。
 

 ……市川團十郎…… 『歴史人物大事典』角川書店刊 

 江戸時代前期以来の歌舞伎役者。本姓は堀越。屋号は成田屋。万治三年五〜宝永元年二月十九日(1660〜1704)。重蔵の子。幼名は海老蔵。祖先は甲斐の武士で、父は江戸に出て侠客と交際があった。延宝元年(1673)中村座『四天王稚立』で初舞台を踏み、市川段十郎の名で荒事芸を創始する。三升屋兵庫の筆名で『参会名護屋』(元禄十年)『源平雷伝記』(同十一年)『成田屋分身不動』(同十六年)など十六編絵入り狂言本を残す。市村座で『移徒(ワタマシ)十二段』出演中、一座の生島半六(?)に刺殺された。俳名は才牛。

 ……市川團十郎……『人物大事典』

 江戸の俳優にして三ケ津荒事の開山なり。俳名才牛と曰ふ。堀越十蔵の忰にして万治三庚子年の誕生にて、幼名を海老蔵といふ。其の頃江戸の侠客に唐犬重右衛門といふ人あり。海老蔵といふ名は此重右衛門が付けしといふ。重右衛門より贈りし絹地に海老を畫ける掛物世々市川段十郎の家に所持して秘蔵せり。稚きより伎藝を好み劇場に入る。云々

 ……団十郎の系譜…… 『歴史への招待』藤田洋氏著

 初代の事蹟はよくわからない。先祖は甲州の武士堀越十郎、武田家滅亡ののち下総埴生郡幡谷村に移り、その子孫の重蔵が江戸に出て男子を設けたのが、初代団十郎だったという事になっている。異説もある。市川姓は生まれた葛飾郡市川村からとったともいう。

 ……初代市川團十郎…… 『江戸時代人物百科』

 万治三年(1660)江戸和泉町に生まれた。父は下総國埴生郡幡谷村の農民だったが、江戸に出て地子総代を勤めた堀越重蔵(十蔵ともいう)延宝元年(1673)十四才の初舞台に坂田金時の役で「荒事」を創始したと伝えられる。


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