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飛騨の大名 三木氏…(ホ−ムペ−ジ)
…三木氏について
 三木氏は、足利将軍から飛騨の守護として任命された京極氏の代官として、南飛騨(現益田郡辺り)を領した。云々
…桜洞城を築いた三木直頼の墓所
 三木直頼とは、自綱の祖父にあたる人で桜洞城を築いた人です。三木直頼の墓は、三木氏の菩提寺でもある「禅昌寺」に境内でもあります。
臨済禅妙心寺派の東海進出と大円寺(ホ−ムペ−ジ)
 …明叔慶浚長男。甲斐武田家に属す。姉小路家と合戦を続け、各居城を攻め明叔は、益田郡の人で三木直頼の兄である。直頼は飛騨の豪族で京極氏の)被官であったが、主家の滅亡後輝盛は上杉家に属そうとするが、時盛は武田家に属す道を選ぶ。これにより父子の関係は悪化、そのため謙信は時盛を降伏させている。
 永禄七年(1564)、武田家臣山県昌景に攻められ父子共に降伏。(武田の)飛騨攻め、越中攻めの先鋒となる。嫡子輝盛が上杉家への臣従を明らかにしたため廃嫡、家督を三男信盛に、信盛が固辞すると甥の慶盛に継がせようとした。これらの動きを警戒した輝盛により天正六年(1478)云々
大円寺(明覚山) 4、臨済禅妙心寺派の東海進出と大円寺(HP)
  …妙心寺竜泉派系譜…
 関山彗玄…(略)−雪江宗深−早川宗隆−景堂玄訥−明叔慶浚−希菴玄密
 明叔は益田郡の人で三木直頼の兄である。直頼は飛騨の豪族で京極氏の被官あったが、主家の滅亡後南飛の新勢力を得、禅昌、円通の仏舎を営み、恩威竝び行われた。
 明叔は幼年時代より家を出て、王龍寺も於て景堂和尚により戒を受けた。景堂を省し精一杯叩求した。かくてついに達得し、その法を嗣いだ。
 大永年間(1521〜27)遊歴して甲州に至り荒廃した恵林寺を中興した。また飛騨に帰り三木直頼の招きによって龍沢山禅昌寺を再興始祖となり翌二年京都に出て妙心寺に出世した。(略)天文十年(1541)愚渓寺に移り、尾州瑞泉寺、妙心寺さらに大心院おいて天文二十一年(1552)遷化した。
明叔慶浚 『延傳』「三十」…『武田信玄傳』(広瀬廣一氏著)
幻依累堂歳過志学雲遊東西博絲経策、−−堂命居大心院(妙心寺塔頭細川政元創立、幽斎中興)奉詔出世妙心、過三日 退鼓、遊甲之慧琳久荒落一□翕然、未幾百度共復舊觀、海衆推崇為中興之祖、移濃之愚渓度如慧琳、檀越景前 遠山氏  大円入寺上堂−−天文乙巳春住尾之瑞泉−−天文二 十一年(1552)八月二十一日化
円蔵院殿肖像記(恵林寺略由緒所載希庵玄密記)
  『武田信玄傳』(広瀬廣一氏著)
 (略)豆州太守(穴山信友)以甲州河内為食邑、天文辛丑(1541)之
 秋吾列機挽留之暫天輪精舎(天輪寺身延下山村、寂室元光開山穴山信介開
 基也)有日一日献倭歌需執師資之禮老漢授法諱日、義鐵且亦書劍江二大字
 雅其號、云々
三木家系図(桐山力所録)(飛騨遣乗合府史傳所載)
綱良
 源正頼−重頼 明叔和尚(禅昌寺住元重頼二男男濃愚渓寺開山)
直頼
禅昌寺
 三郡隣地明細帳に益田郡中呂村永和三巳年(1377)開基
 京都妙心寺末禅昌寺一除地 一町五反一畝二十二歩高三石二斗四升八合
 明叔録三巻あり、
   《 調査報告 》快川紹喜


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