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ぱらまたの雑記帳
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書庫追憶・オートバイ

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古いバイクウェア

押入れを片付けていたら懐かしいバイクウェアが山のように出てきた。
バイクに興味の無い方には単なる「古着」でしかないが、私にとっては当時の思い出が染み込んだ懐かしの品である。
画像はほんの一部で、主に70年代から80年代初頭のものです。
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①家内の着てたクシタニのフィットスーツ。 「つるし」ではなく誂えで、背中にはネームも・・・ これ着て初期型RZに乗ってました。
②これも家内の。クシタニのレディースブランドの「KEL」シリーズのジャケット。

クシタニのエンデューロジャージ。
④⑤⑥73〜75年ごろのホンダ・スズキ・カワサキのモトクロスジャージです。

当時のものですから全てmade in JAPANで、30年以上も前のものですが、造りがしっかりしているのか、まだまだじゅうぶん使用に耐えてくれそうです。



古い写真・レース編

今日は仕事が半日休みやったから、昼からまた古い写真のスキャンをしました。
本日は主に70年代後半から80年代前半を処理したのですが、16歳から始めたバイクもこの当時は峠からロードレースに移行するころです。
初レースを走ったのが記憶では78年の鈴鹿サンデーロードレース。
私が出場したのは「シルエットスズカ」と呼ばれるクラスで、マシンはスズキのGS750。
ノービスもA級も昆走で2サイクルと4サイクルの排気量ハンデも存在せず、要するになんでもあり、実におおらかな時代でした。
この「シルエットスズカ」が後にフォーミュラクラスに進化していくのですが・・・
で、この当時の数年間の写真を整理してみると意外と少ないんです。
考えてみれば自分はレースに出場してるわけで、写真を撮るような余裕も無ければフィルム代や現増代も無かったんでしょうね(-_-;

80年頃のプロダクション250クラスです、が私でマシンはスズキRG250。
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81年の4耐のスタート直前、マシンにまたがっているのが私です。
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伝説の女性ライダー 堀 ひろ子さん。
実はこのレースで私が乗ったマシンは前年に彼女が乗ったものでした。
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ひろ子さんのファンの方が多いので、画像3枚追加します(^^ゞ
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レース後半のヘアピンカーブ、155番が私です。
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結果は私の所属したチームがF沓院腺外未鯑叛蝓∋笋錬外未任靴拭
表彰式ではボスの須田氏を表彰台に引っ張り揚げて大騒ぎしたことを覚えています。
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82年はチームを移り、画像Δ鉢Г脇映の4耐用マシンのシェイクダウンテスト時、鈴鹿の西コースです。
組み上がったばかりでフレームすら塗装されていません。
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画像┃レースウィーク本番、メカニックがマシンの最終調整をしてくれています、感謝っ。
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私の隣で眠りこけているのはAMAのスーパーバイクでも活躍したD・アルダナ
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右は私とコンビを組んで2年目のA選手の奥さん、左は当時の私の彼女で私の息子の母親です。
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画像は同じチームから出場したSS400クラスのマシン。同クラスはこの年から新設されました。
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予選の最中と思われます、矢印が私。
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予選スタートの瞬間!
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画像の彼女が「晩ご飯っヽ(*`Д´)ノ」とわめいてるので今日はここまで(ToT)/~~~

COWRA

今回は前の「オーストラリアン・サファリ」の続編的な記事ですが、内容が少し重く、やはり古い話なのでカテゴリーを「追憶」にします。

89年のオーストラリアン・サファリ初挑戦から3年後、私は再びシドニー空港に降り立った。
今回はライダー5名、メカニックとマネージャー2名の合計7名での参戦となる。
前回はシドニーのショップにラリーマシンの製作を手配して、オージーのええかげんさのお陰でエライ目に遭ったので、今回は日本でマシン製作&シェイクダウンテストも終えて、予め船便で送っておいた。
実は前回の参戦時にマシンのシェイクダウンテストを兼ねて、是非とも訪ねてみたい場所があった。
それが今回ご紹介するCOWRA(カウラ)です。 
COWRAはシドニーから320キロほど、ブルーマウンテン山脈の西、オーストラリア内陸部特有の荒涼とした原野の中にある田舎町の名前である。

太平洋戦争中の1944年、この地には捕虜収容所が在り、ニューギニア戦線などで捕らえられた日本人捕虜が多く収容されていました。
この収容所で大脱走事件が発生、生きるためではなく「死ぬため」の脱走を敢行した日本兵231名、オーストラリア兵4名が命を落としました。
現在は広大な敷地に「戦争墓地」が設けられ、現地の人たちの厚意で彼らは手厚く葬られております。
これまでこの事実は日本では殆ど知られることがなかったのですが、今年の7月に日テレ系でドラマ化されたのでご存知の方もおられると思います。
番組や事件の詳しい内容は http://www.ntv.co.jp/cowra/
をご覧になっていただくことにしてここでは割愛させていただきます。

なぜ私がCOWRAを訪ねたかったかというと、「平和」があるからこそ私達のようにラリーにしろ他のスポーツにしろ、勿論ケアンズやゴールドコーストでのバカンスにしろ可能なわけです。
しかし50年前には日本とこの国とは戦争状態にあり、自らの意思とは裏腹に多くの日本の若者がこの地に連行され、そして命を落とした事実を知ったときから、「是非とも訪ねてみたい、せめて懐かしい日本の水を供えたい」との思いが募ったのです。

レーススタートの1週間前、我々はシドニーの宿舎から一路COWRAを目指して走りました。
道中マシンの細部のセッティングなどをしながらだったので到着が日没後になり、モーテルに宿泊。
翌朝、まだ明けやらぬうちに乳白色の濃霧の中を町から数キロ離れた場所にある「戦争墓地」を目指しました。

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COWRA戦争墓地の入り口。

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日本人慰霊碑に「六甲のおいしい水」と「南アルプスの天然水」をかける。

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今回のメンバーの一人、本職は京都の僧侶! 

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手入れの行き届いた芝生に日本兵の墓碑が並ぶ。
大半が偽名である・・・・

今回の記事は私にしては少し重い内容となってしまいました。
オーストラリアは観光のイメージが強い国ですが、我が国との間にはこのような悲しい歴史もあったことをお伝えしたくて今回はちょいとキャラに合わない内容ですが敢えて記事にさせていただきました。

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このブログは放っておいても勝手にウナギ臭くなってしまいそうや・・・
そやから早めに私のもう一つの趣味であるバイクに関することも書かなあかん。
ウナギ釣りと一緒でこれも下手の横好きなんやけど・・・ 好きなもんはしゃあないっ!

二十歳代前半からロードレースをやって、後半からオフロードに転向、国内のエンデューロレースやラリーをしばらくやって、1989年に初の海外ラリーに挑戦しました。
ラリーの名前はオーストラリアン・サファリラリー。
シドニーからダーウィンまでの6500キロを10日間で走りきる。結局このラリーには都合3回出場することになる。
ここでは私の記憶が薄れんうちに89年のラリーのことを書いておこうと思う。
なんでこんな古い話を書くかというと、要するにこのラリーが私の現在のウナギ釣りのバックボーンになっているからです。
それと、このラリーで出合ったある男は、後にうな輪において「一発屋」の異名をとることになる皆さんもよくご存知のあの人だからです・・・

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ラリーは毎年8月に開催される、くそ熱い盛りの日本から季節が逆の真冬の南半球へ。
この年はラリーで使用するマシンを現地のショップにその製作を依頼しておいた。
シドニー到着の翌日には完成車を受け取り、シェイクダウンテストに入る予定やったけど、そこは実にええかげんなオージー気質、7割しか出来てない。 結局は自分達で5日間を費やして仕上げるハメに・・・

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このショップで出会ったのが、半年前から現地入りしてトレーニングを積んでいたこの男、みなさん誰だか判りますか?

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スタート2日前になってようやくバイクが完成。

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スタートはシドニーの州立秘宝館・・・もといっ!美術館前。ここから10日間6500kmの闘いが始まる。

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我々2輪のスタートは4輪のナショナルクラスのあと、1分間隔で2台ずつ・・・ 画像はスタート前、初の海外挑戦でおもいっきり緊張してる私。

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レース二日目、延々と続くマディーをチームメイトのT君とランデブー走行。

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このオージーの若僧とは3日目の午前中に1時間近くデッドヒートを繰り広げた。
そして私を抜いた直後のジャンプで着地に失敗して牧場の有刺鉄線に激突!映画「大脱走」のS・マックィーン状態。腹を3箇所ザックリ切ってたけど、ガムテープで傷口を塞いで見事に完走しよった。ええ根性しとるわ・・・

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ラリーは毎日のキャンプ地がその日のゴール地点で、翌日のスタート地点となる。
キャンプ地に辿りつければ暖かい夕食が待っている。これらの資材や我々のスペアパーツやタイヤを積んだ大型トレーラーはラリーコースとは別の道路を使って先回りしてキャンプを設営してくれている。

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電話会社のパラボラアンテナを積んだトラックが同行しているので砂漠の真ん中からでも日本の家族の声が聞ける。

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画像2枚目の男・・・ ミスコースして砂漠を彷徨い、48時間後にキャンプに合流・・・
睡眠不足と疲労困憊でボロボロ・・・

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レース8日目、この日の走行距離は950キロ、深夜にキャンプに辿りついたT君、長時間の走行と振動で自分でジャケットのファスナーすら開けられない。

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夕日に染まる砂漠を疾走する・・・

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テントの後ろのトラックの荷台に積んでるのは・・・ そう、トイレです。
もちろん水洗ではありません・・・ 昔の日本によくあったボットン式、底までの距離が少ないので、かなり溜まっている状態ではお釣りどころか全額返済になります。

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パリダカの王者、フランスの英雄シリル・ヌブーと。

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ワークスパジェロも5回転してクシャクシャ・・・


眠たくなってきました・・・

続く・・・・ かも?

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