脱サラのんびりフリーターの雑感

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近況報告2019

どうも、大変お久しぶりです。


ニュースによると、Yahoo!ブログのサービスが2019年末で停止するそうですね。
残念なことですが、仕方ないですね…。時代の流れですなあ。
このブログは、とある理由からexciteブログでも全く同じ内容のを載せていますんで、
引き続きそちらで書いていこうかなと思います。
ということでYahoo!ブログがニュースに出たので、久々に近況報告しようかな…と。

(そういや、このブログで半生記みたいなの書いてましたね。
続きを書く余裕がないので、当分中断だなあ…)


えーと前回の記事は、祖父が亡くなったという話でしたね。
2017年の年末だから、今から1年ちょっと前ですね。
あれからいろいろありました…。
仕事辞めたり、ある刑事事件の手助けをしたり。もちろん子育ても頑張ってます。
簡潔に箇条書きで書くと…。


・2018年の2月ごろまで、ある工場で派遣工として働きながら、夜は司法試験の勉強を続けていました。
・とにかく生活費が必要だったから、働かざるを得なかったのです。
・工場では良い仲間がたくさん出来ました。いい職場でした。
・しかしフルタイムで働きながら勉強というのは、体力的にめちゃきついです。
・勉強が全然はかどらず、学ぶことよりも忘れることの方が多い状態。司法試験は絶望的…と悩んでいました。

・そこへ知人から「司法書士事務所の事務員として働かないか?」というお誘いが来たので、決心して、転職しました。
・肉体的に疲れないだろうし、法律の勉強にも役立つだろうと思ったからです。
・俺は司法書士の基礎知識もあるし会社員の経験もあるので、それらを活かしてけっこう頑張りました。
・ところが先輩の事務員(若い女)が超絶「意地悪」でした。
・俺に仕事を教えないわ、自分のミスを俺のせいにするわ、最低。
・その女だけが唯一の先輩かつ上司なのに、そいつが超意地悪だったらどうしようもないです。
・こんなやつの下で働いたらうつ病になるぞ!と思った俺は、すぐ辞めようと決意しました。体が第一です。
・世の中ほんと、ひどい女もいるものです。見た目にだまされちゃダメってよく言いますもんね。怖い怖い。
・でも生活費も必要なので、そう簡単に辞めるわけにもいかないし…困った…どうする…!?追い詰められました。

・ちょうどそのころ祖父の遺産相続の手続きをしていて、「この金があれば仕事を辞めて勉強に専念できるのに…」と思いました。
・そこで親に事情を話し、平身低頭頼み込んでお願いし、ようやくわずかなお金を恵んでもらえることになりました。
・というわけで仕事を辞め、今は司法試験の勉強に専念する日々を送っています。ありがたや…。
・でも司法試験を受けることができるのは、あと2回だけと法律で決まっています。頑張ります。
・大学から修了生としてカードキーを貸与されているので、毎日大学に行って、黙々と自学をしています。

・子育ても頑張っています。現在、上の女の子が小学校2年生、下の男の子が幼稚園の年長です。
・お金がないので塾とかには通わせられませんが、俺が生活や遊びの中で様々なことを教えています。
・子育てが大変なのはせいぜい15年くらいでしょう。人生80年のうちのごく一部です。
・だから、子供と一緒にいられるのは今だけ!一瞬一瞬がすごく貴重な時間…と思って、全力で育てています。

・祖父の相続手続きはすべて終わりました。不動産登記の手続きも全部俺がやりました。法律の知識が活かせてよかったです。
・思えば、祖父の死に方は幸せな死に方だったと思います。長生きし、家族みんなに看取られて、静かに亡くなりました。
・ああいう幸せな死に方もあるんだなと思い、暖かい気持ちになれました。

・友人の娘さんが犯罪の被害にあったので、法律相談に乗りました。完全無料なので弁護士法違反ではないはず…。
・加害者との示談交渉に同席したり、証拠を確保したり、弁護士事務所や警察署に付き添ったり。告訴状も書いたり、かなり頑張りました。
・ところが警察がやる気がなく、こちら側の弁護士も泣き寝入り(安い示談)をおすすめする始末。ものすごく頭に来ます。
・守秘義務があり詳しく書けませんが、ともかく現在の司法制度にがっかりです。本当に、本当にがっかり。
・俺が弁護士になったら、被害者のためにもっとああするのにな…こうするのにな…とか、強く思わされました。
・それでも、法律家の味方がいるかいないかは大きいと思いました。司法は、普通の人には本当に分からないことだらけだからです。
・今回は理想的な結果にはなりませんでしたが、それでも自分が役に立てた部分は大きいと思います…。

・司法試験の勉強は大変です。何がどう大変かうまく表せないのですが…。
・机に座ってテキスト読んで問題解いていくだけだから、口で言うのは簡単です。
・でも実行して難関試験に受かる人はごくわずかなのが現実。
・誘惑に負けたり、悩みや不安で集中できなかったり、疲れがたまったり、やる気がなくなってきたり…。
・目に見えない困難が次から次にやってきます。
・まさに「自分との戦い」です。孤独です。
・つらいですが、「上を目指す人すべてが、この戦いに直面する。自分だけではないんだ」と考え、頑張ることにします。

・勉強については、いろいろと思うことがあります。
・まず家庭で心配事があると、集中できませんしやる気も折れてしまいます。
・俺自身も、昔は勉強できたのにその後できなくなったり、今はまた出来るようになったり…。変化しています。
・環境とか、生い立ちとか、運とかの力もとても大きいと感じます。
・だから、勉強が出来たとしても謙虚でいるべきだなあと強く思います…。

・子供の勉強についても、いろいろ考えます。
・そもそも、俺自身は子供のころ、ほとんど「お勉強」しませんでした。
・畑などで虫を探したり、捕まえたら飼育してみることばっかりしてました。
・で、図鑑を見ると、虫の隠れている場所とか書いてあります。
・探してみると本当にそこにその虫がいます!やった!
・「知識って、すごい!」「知識は力だ!」と子供ながらに感動…。
・飼育だって、図鑑がものすごく役に立ちます。
・だから、本を読んで知識を得るのがすっごく楽しかったのです。
・知識を得たら、試しに使ってみる(虫を探したり工作で試してみたり、プチ科学実験をしたり)。うまくいったら感動!
・うちの子供にもこういう感じで教えています。すごく喜んでますねー。

・最近の趣味は、万年筆。論文試験に良いと聞き、使い始めました。書き味が抜群によくてとても楽しいです。超お気に入り。
・毎週、家族で本屋に行きます。子供の遊べる滑り台コーナーがあったりするので助かります。
・今は冬なので、子供にミニスキーを教えてます。暖かくなれば釣りも行きたいですね。
・ラジコン、ミニ四駆なども、子供と一緒に組み立てたりして楽しんでます。
・子供たちはピアノやギターも好きなので、一緒に楽しんでいます。


…ってところかな!こんな感じの生活です。

まあーこうやって見ると、金もないしつらいところもあるけど、家族で楽しく暮らしている感じかな。
幸い、健康だしね。俺は本当は難病患者なんだけど、症状が全く出てないから助かってる。
でも、いつまでもこの平和が続くとは限らない。
だから今の、元気なうちに、試験に受からないと…。

ではまた!
どうも。


先日祖父が亡くなりました。
90歳まで長生きし、大往生と言っていいと思います。

祖父は物静かで優しく穏やかな人で、多くの人に愛されていました。
死ぬ直前に多くの子孫や親戚がお見舞いに駆けつけ、
意識があるうちに挨拶をすることができました。
とても幸せな死に方といえると思います…。
これ以上幸せな死に方はないんじゃないかな…?と思えるほどです。
じいちゃんは幸せな一生を生きたと思います。


俺にとっては、祖父が亡くなったことはもちろん寂しいのですが…。
人はいつか死ぬし、祖父もいつかそうなる…と前々から覚悟していました。
それに上記のように、幸せな死に方だった…とも思うし…。
だから寂しさや悲しさよりも、なんだか暖かい気持ちが胸に残っています。
自分も願わくば、こういう人生を生きてこういう死に方がしたいと思いました。



さて、今後のいろんな手続きを考えると、忙しくなりそうです。
俺は祖父の内孫でしかも長男なので、
親父やお袋とともにいろいろな手続きのサポートをやらないと…。
仕事にも復帰しないと。
というわけでブログの更新頻度はちょっと落ちそうです。
次の記事の下書きはほとんどできてるんですが…。
(出版社時代について、振り返って思うこと)

あと新しい作業の担当になったせいか、
両手の指が腱鞘炎ぽくなり、痛くて困っているのです。
そういう点でもキーボードを打つのを控えた方がいいかも…。
(別にブログ休止するわけではないですよ。)


ともかく、忙しい葬式が終わってこれからじっくりと、
祖父との思い出や自分に残してくれたものについて考えることになりそうです。
また、祖父は俺にとても期待していてくれてたらしいので、
勉強頑張らないといけないなって気持ちです。

ではまた!
どうも。

今回は、大学卒業後に就職した出版社の話を書きましょうか。
本が好きだからこの仕事を選びました。約3年半、働きましたね。

●まずは営業部に配属
入社後の研修が終わってから、俺は営業部に配属となりました。
出版社の営業って何をするのかと言いますと、
書店を回って本の注文を取ってくるのです。

例えば1日に5〜6軒の書店を回り、書店員さんに会い、
この本が今売れてますよなどとオススメして注文を取る。
こういうのを地道に続けることで販売の現場の情報が得られるし、書店さんとの関係も築ける。
店頭でのシェア拡大にもつながる…というわけです。
(本当は営業マンが注文とらなくったって、
本ってものは出版後自動的に全国の書店さんに送られる(配本される)仕組みになっているんですけどね)


しかし実際の仕事はきつかったですね!
朝早く出勤して…。営業部で打ち合わせ後、会社を飛び出す。
俺の担当は、東京都下地区。つまり23区以外のところ。八王子とか国立市とか。
夕方までに何件も書店を歩き回って注文をかきあつめて、18時か19時に帰社。
とってきた注文の手配処理をして、あとは明日の準備や資料作成などをして、
夜12時半に会社を出る。帰宅するのは深夜1時。飯食って2時に寝る。
朝は6時20分に起きる。
要するに4時間ちょっとしか眠れない!
もうフラフラ…。こういう生活がずっと続くのだ。

さらに営業成績が悪いと、部長にめっちゃ絞られる。
というかそもそも営業のノルマが高すぎると思う。
社長が「前年比5%アップ」と決めたから、だそうだが…。
出版大不況で業界全体が前年比1割減とかの時代に、5%アップは誰も達成できない。
だからみんな部長に毎日怒鳴られ、怒られる…。

書店を回っても、本が売れないもんだから書店員さんも注文を渋る。
営業マンに冷たくする人や、偉そうな態度を取る人も多い。
そんな中で注文をもらうために一生懸命ペコペコして頑張るのだが…疲れる…。

営業部全体が、もう限界…という雰囲気だった。
先輩たちが次から次へと、精神を病んだり、あまりのストレスと過労で体を壊したりしていた。

俺の指導役となった先輩も、夜になると「あぁ!!」とか大声をあげて机を叩いたりしてヤバかった。
よりによってそんな先輩が指導役なのだから、嫌でたまらなかった…。
質問や報告をしに行くと、鬼のような形相でギロッと俺をにらむのだ…。
そしてノルマがなぜ未達か、今後どう取り返すかキツく問い詰められる。
(その先輩自身もノルマ未達なのだが…)

俺もほんとに限界だった。精神的にも肉体的にも。
眠れないのに、外回りで歩き続けるから疲れるし。
営業だから対人関係も細心の注意を払わなければいけない上に、事務処理で頭脳も使う。
しんどい…。限界…。つらい…。

俺の同期がふたり、同じ営業部に配属されていたが、
二人とも夜11時まで書店を回って注文を集めたりして苦労していた。
二人とも夜眠れない(不眠症という意味で)と言っていたように思う。


1年経過後、人事異動で東北地区の担当になった。
月曜日だけ会社に出勤して、火曜から金曜は東北各地を転々とし、書店を回る。
これで夜は多少は眠れるようになった…。飯もうまいし人も優しい。だから東北は好きだ。
仙台、福島、山形、岩手、秋田、青森…、いい思い出ばかりだ。
でも、それでもノルマが多いことには変わりはないし、
そうすると書店を多く回らなければいけないから、疲労度は大して変わらなかった。
というか先が見えない不安感、疲労、ストレスが日に日に大きくなっていった。
慢性的な睡眠不足で頭も全然回らないし。ノルマのプレッシャーだけがすごかった。

ある日の朝、仙台駅の前のベンチで座ったまま、立てなくなった。
本当は書店を回らないといけないのに、どうすればノルマを達成できるか分からなくて、
途方にくれてしまったのだ。それくらい追い詰められていた。



今思えば、時代が悪かったのかな…と思う。
上記のように出版大不況の時代だ。
業界全体でベテラン営業マンたちが頑張っても、売り上げは下がる一方なのだ。
俺みたいな新人がどうやったって無理なのだ…。

会社も悪かったと思う。
前年比5%アップなんて根拠のない無理なノルマを適当に決めて…。
達成できなきゃ怒鳴る、怒る、問い詰める。
指導役の先輩も、今思えばひどいのに当たったなと思う。
人の巡り合わせが悪かったと思う。

全部他人のせいにするのもどうかなと思うけど。
俺だけじゃなくて、先輩たちや同期たちもみんな次々に倒れていたのだから…。
部長自身も過労で難病になってしまったというのに…。
本当にブラックな部署だった。



●編集部へ異動
もうダメだ、と思い続けていたある日、雑誌の編集部へ異動してくれという話があった。
新しいシリーズを作っているのだが、人手が足りない。
若くて元気のある奴が必要らしいから、行ってくれとのこと。

良かった…!!
この地獄から抜け出せる、と思った。
本当に助かった…。


さて、雑誌の編集部といっても、週刊誌やファッション誌のような華やかなところではない。
本屋によく行く人は知っているだろうが、雑誌といってもいろいろある。
俺はとある歴史の雑誌の編集部に配属された。
そして別冊のあるシリーズの担当となった。
(この編集部で1年半くらい働き会社を辞めることになる。)

そのシリーズは副編集長が1人で作っていたのだが、
やはり人手が足りないということで俺が呼ばれた。
だから副編集長とコンビで頑張る、ということになる。
副編集長は大変優秀な人で、人柄も良かった。とても良い上司だったと今でも思う。

この仕事は朝10時出勤で良かったから、6時間くらいは眠れた…。
それは良かったし、仕事内容も大変面白かった。
全国をめぐり、写真を撮ったり取材をしたり、
作家や歴史研究家の方の原稿を修正したり…。

ページのデザイン(レイアウト)は社外のデザイン事務所さんに頼んでいるのだが、
そのデザイナーさんとも協力して、少数精鋭で良い本を作るため頑張った。
実際、素晴らしい本ができたし、売れ行きも良かった。
俺が担当した図表やマップなども評判が良く、副編集長の苦手なところを俺がうまく補って、
いい仕事ができていたと思う。
(それらのシリーズにはちゃんと俺の名前も載っているし、大切に家にとってある。)

そこまでは良かった。
問題は、シリーズ終了後だ。

別冊のシリーズだってネタがなくなる日が来るため、
シリーズは終了することになる。
その後は本誌…つまり普通の歴史雑誌の編集に合流することになるのだが、
これの「企画」が思い付かない…。

俺はもともと歴史好きでもなんでもないただの一般人。
受験科目でも日本史やってなかったし。だから歴史ファンの感覚がよく分からない。
どの武将がマニアに人気があるとか、どういう事件が興味をひかれるかとか、分からない。
だから雑誌の企画も、思い付かない。

編集長は「いいんだよ、素人目線で。自由な発想ができるから」というが…。
企画会議の場で実際に自由な企画を出しても、まわりの反応が悪い…。
読者のほとんどが歴史マニアなのだから、彼らにウケる企画でないとダメなのだ…。

一般人の俺から見ると、他の編集部員の出す企画はマニアックすぎてつまらないのだが。
そういう企画が採用されて、雑誌になっていく。
俺の出す企画があまりにも採用されないので、編集部にいるのがつらくなってきた…。


前も書いたけど、俺はもともと悩みが多くて、本を読んで救われてきたところがある。
だから出版社を目指したのだ。
そういうわけだから、俺の作りたい本や考える企画というのも、
そういう現代人の悩みに答えるようなものが中心だ。
しかしそんな企画と歴史マニアが喜ぶ企画は、やはり一致しにくいんだな…。

そういう日々が続き、編集部にもいづらくなってきた。(と俺は感じていた。)
他の編集部への異動願も考えたが、めったに認められないらしい。
俺はどうすればいいんだろうと、悩んだ…。
毎月の企画会議の日がすごく憂鬱で、怖くなってきた。
それと他の編集部員(歴史マニア多し)と合わない感じがするのも、つらくなってきた。
俺1人だけ場違いな感じがするというか、ね…。

まあ仕事なんだから、興味がなくても頑張るべきだとは思う。
でもこの分野は素人が付け焼き刃で追いつけるものではないと思った…。
歴史ファンたちは何十年もそれを趣味にしているのである…。
それに編集って仕事は、やはり忙しい。きつい。
それが好きでないとやってられない業種だと思う。
だから好きでもないものの編集をするのは、かなりのストレスだ…。


そんな感じで俺は再び、先の見えないストレスを感じる日々を送っていた。


●病気になる
ある日突然、お尻のあたりが超痛くなり、歩けないほどまでになった。
会社を休み、なんとか頑張って近くの病院に行った。
すると簡単な手術のあとお医者さんに呼ばれ、深刻な顔でこう言われた。

痛みの原因は、膿がたまることです。これ自体は珍しい病気ではないです。
しかし若い人がなるというのは、珍しい。これはクローン病という病気の可能性が高いです。
精密検査が必要です、と。

何だそれは…なんでそんなガンの告知みたいな雰囲気で言うんだ…
ただごとじゃないぞ、これは大変な病気かも…と俺は思った。

調べてみると、確かに大変な病気だった。
要するに難病で、原因不明で治らないのだ。
腸に潰瘍ができ、下痢と腹痛が続き、悪化すると穴が開く。
そうすると緊急手術で腸を摘出することになる。
摘出しても病気自体は治らないから、また悪化すれば残った腸もまた摘出。
何度も手術を繰り返す。入院も数ヶ月に及ぶものを繰り返す。
普通の食事はもう食べられない。
液体の栄養剤をずっと飲み続けるしかない…。

これは大変なことになったと思った。
手術や入院を繰り返すなんて、会社から見たらお荷物だ。
何かあったらクビになるに違いない…。会社なんか信用できないからな。
年をとってからリストラされたおじさんがどんな悲惨な末路をたどるか、知っている。
そんな道をたどるわけにはいかない…。
もう会社に頼ってはいられない。

自分で自立して働けるようにするしかない。資格とか…。
それならば、1日でも早い若いうちがいい。
早く独立できる強力な資格ってなんだ?

…と、俺はそう必死に考えて、いろいろ調べました。
そうすると司法書士というものが浮上したのです。
試験に受かれば、半年の実務経験であとは独立できるらしい。

…そうか、法律家か。
思えば小さい頃から、正義についてずーっと色々と考えてきた。
経済学も面白かったけど、あれは弱肉強食の世界だ。
でも法律は違う。正義が勝つ世界だ。
何も力のないいじめられっ子でも、法律だけは味方してくれる。
なんて素晴らしい仕事だろう。

というか、内容どころじゃない。
俺は早く自立しないと、ヤバい!
病気の症状が悪化する前に、1日でも早く会社に頼らない生き方にチェンジしないと…!



というわけでね、
要するに難病になったため、きっと将来会社をクビになると思ったのです。
それは後になればなるほど、再就職や転職は難しくなる。
だから手遅れにならない早いうちに、自分から独立・自立したほうがいい。
そのためには、強力な資格が必要だ。具体的には司法書士…。
そう考えたのですね。


それにちょうどその後、結婚しました。
(難病が分かったばかりなのに予定通り結婚してくれた妻には感謝です)
新婚旅行から帰ってくると、まもなく企画会議の予定が入っています。
その予定を思い出した瞬間、ものすごいストレスを感じました。
それでもう、自分で思いました。これはもうダメだ、と。
こんなにストレスに感じる仕事は続けられない。辞めよう、と。


だから難病が直接のきっかけだけど、背景にはそれまでのストレスがある。
そんな原因でついに会社を辞めることに決めました。


あとは上司や人事と話し合い、退職の手続きへ。
思ったよりスムーズに進みました。
会社としても、難病患者にはいてほしくないというのが本音でしょうか…。
会社を辞めて、これでもう本当にスッキリしました。
難病になったのに、気分は晴れ晴れです。生き返ったようです。

俺はもともと食事に文句は言わない主義なので、食事の制限は我慢できます。
手術だって仕方がないと思えば受け入れられます。
仕方がないことは、無駄に抵抗してもしょうがないですから。
それよりも自分に出来ること、変えられることに集中したいと思います。
だから難病になっても、これから最善を尽くすにはどうすればいいか?を前向きに考えていました。
(こういう言葉があるらしい。「神よ、変えられることを変える力を、変えられないことを受け入れる勇気をお与えください」だったか…うろ覚え。7つの習慣て本に書いてありました)


実はその後、クローン病の症状はほとんど出ていないのです。
一応病院で検査をして腸の組織を調べたりすると、やはりクローン病で間違いないらしいのですが。
幸い、ひどい腹痛に悩まされることもなく、手術もすることなく、
食事も普通のものを食べて、12年くらい生きてこれています。
今思えば、会社のストレスと過労で病気になったんじゃないかと思います。
会社を辞めてストレスが激減したから、病気も一気に軽くなったんじゃないでしょうか。
そういう経験から、やはりストレスというものは本当に深刻な害を体に与えるものだとつくづく思います。
だから人は、あまり無理をせず生きるべきです。



さて、無職になるので東京の高い家賃は払えません。
妻は埼玉にでも残りたいと言いましたが、病気になって先行きがどうなるかわからない俺は、
埼玉の家賃でも払えないかもと思いました。
というわけで一旦富山の実家に引っ越すことにしました…。

ああずいぶん文章が長くなってしまいましたね!
教訓とか自分にとっての意味だとかが書けてなくて、事実ばかりなのに。
加筆したいのですが、それはまた後日。
では!

補足(3)

さて、またまた補足の3です。

●「逃げない」こと
俺は、あまり「逃げない」生き方をしてきました。

具体的に言うと…、
町内でたまたま、男の同級生がいなかったのです。
つまりその学年で、男は俺ひとり。あとは全員、女。
だから町内の行事でも運動会でも相撲大会でも野球大会でも、
俺がいつも学年の代表として出ざるをえませんでした。

本当はすごく嫌でしたよ。特にスポーツは大の苦手でしたから、何をやっても負けるのです。
大勢の前で負けて恥をかくのだから、本当に嫌でした。

でも俺が拒否したら町の代表がいないのだから、不戦敗です。
不戦敗だなんて、戦ってボロボロに負けるよりも男らしくない。
これでは町のみんなが恥をかきます。
そう思うと、出るしかなかったですね…。
逃げられないわけです…。

でもそんな生き方をしているうちに、「逃げない」ことが自分の習慣みたいになってきました。
これまで逃げずにやってきたのだから、今回もやろう、と。

だから子供のころから今までずっと、何があっても逃げない。やる。
そういう生き方で生きてきました。
(人との争いとかは極力避けますけどね。
困難で責任の重い仕事とか、重大な役割とか、そういうのから逃げないってことかな)

今思えば、それがいい方に転んだこともあるし。
悪い方に転んだこともあるし。失敗もあるし。正解だったのかな〜どうかな〜?

やっぱりね、人間、逃げるべき時は逃げたほうがいいよ?ほんとに。…と思う。
無理すると心を病むからね!もし戦争だったら、部隊が玉砕するからね。
でも町内の行事やスポーツ大会くらいなら負けても死ぬわけじゃないし、
そのくらいのことなら逃げないほうがいいんじゃないかなと思うね。恥かくだけだし。
子供の時は恥をかくのがものすごい苦痛だったけど、
大人になったらそのくらい別に…と思うからね。
人には、名誉や評価よりももっと大切なことがありますよ。

孔子もこう言っている。
君子は、人に評価されないことを悩むのではなく、
自分が人から評価されるだけの中身があるかどうかを考えるものだ、と。
(これ原文覚えてないけど、最近読んだ論語の本に書いてありました)


●1人で帰る
上記のように、うちの町内には男の同級生がいませんでした。
だから小学校からの帰り道は、最初は友達と歩いて帰るのですが、
途中あたりからは俺1人でトボトボと歩くことになります。

毎日毎日、1人でトボトボ歩いて、いろんなことを考えました。
友達と口喧嘩で負けたけど、どう言えば勝てたかな?…とか。
友達が悪いことしたのに、何も罰を受けてない。正義って何なんじゃ…とか。
算数の問題が分からない、どうすれば解ける?とか…。

毎日ずーっと1人で考えながら歩いて帰りました。
そういう時間が、今の自分の考える力の基礎になっていると思います。


●「先生」について
いくつか前の記事で、高校の先生と衝突した話を書きました。
あの先生がその時、
「俺には経験があるから、お前のことなんか全部分かるんだ!(だから自分が正しい)」
という発言をしていたことを覚えています。
当時の先生は、今の俺(39歳)よりもたぶん年下。
俺から見れば若造です…。
そんな若造がよくもまあ、あんな傲慢な発言をしたものだと思います。

人間というのは強い立場に立つと、傲慢になってしまう。そのうちおかしくなる。
古来からそういうことは経験的に知られていて、
「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」とか言われていますね。
今の法制度でも、例えば政治家に任期の定めがあるとかそういう形で活かされています。
社会心理学でも、人は権力を握るほどに傲慢になってしまう、
という研究結果があるそうです。

だからなのかなあ、俺は子供の頃から立派な「先生」に会ったことがない…。
残念なことだ…。

弁護士も先生先生と言われるから、傲慢になる人がいるらしい。
何の仕事でも、人から「先生」と呼ばれるようになったら注意しなければならない。
自分はそんな風にならないように心がけたいと思っています。

「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」


●音楽に救われた
中学生か高校生の頃、気分が落ち込んだ時期がありました。
そんな時、テレビで「カウントダウンTV」というのをやっていたので、
なんとなくそれを毎週見ていました。
(毎週のCD売り上げランキング上位の曲を紹介する番組なので、
いろんな曲が紹介されるわけです。売れ筋の楽しい曲が。)

それを何週間か見てると、なんだか?気分が少し明るくなってきました。
それで「音楽の力ってすごい!」と思いました。
俺は音楽の力で救われた、って感じました。

今思えば、単に時間が経って気分が上向いただけかもしれません。
でもその後も、音楽のおかげで楽しくなって元気が出るってことが、
数え切れないほどありました。
素晴らしいなあって思います。
このあとギターをはじめたり、CDを自分で借りて聞くようになります。
それはまた今度…。


●(良い意味で)「疑う」こと
大学では、世の中で常識として言われていることが本当なのか?
ちゃんと自分で調べてみるということを学びました。
調べてみると、実は大して根拠がなかったり、間違ってたり。

それに本を読むと、「最新の研究によるとこれまでの通説と異なり…」みたいに、
従来の常識がひっくり返されることが書いてある…そういうことも多いです。

だから俺も、「(いい意味で)疑う」「自分で確認してみる」というのが習慣になりました。

でも実家の両親は違うんですよね…。
テレビや近所の人が言ってることをそのまま信じるんですね。
疑わない。
両親は高卒だしあまり本も読まないからなのかな…。

でも俺に対して、金をせびりに来たんじゃないかとかそういうことは疑うんですよね(笑)。

やっぱり生き方や経験によって、人の考え方って全然違うようになってしまうんだなって思います。


●医学部進学を投資という観点で見ると
俺の親戚に、お医者さんがいます。
彼は私立の医学部…それもかなり学費の高いところを卒業しています。
卒業まで莫大な金額が…数千万円かかっているはず。
でもそこは、入試が難しくない。

思うのは、お医者さんの給料なら、
学費の数千万円はもうとっくに取り戻してるだろうなあ、ということ。
普通は学費で数千万と聞けば有り得ない金額と思うけど、
払って医者になってしまえば普通に回収できる。
回収した後は儲かる一方。
これを投資って観点から見ると、大成功だなあと思う。
つまり医学部進学への投資はローリスクハイリターンではないかなと思う。

彼の親は開業医だからそれだけ払えるっていう事情もあるが…。
それだけ払ってもちゃんと元が取れるし、さらに儲かる!
ってことが分かってるからこそ、私立でも構わずに医学部に行かせたんだろう。
賢いなあと思う。


●働くのが怖かった
俺が就職するころは、景気はどん底でした。不景気の極みです。
そのせいか、会社で働くということについても厳しい、過酷な話ばかり聞こえてきました。
「ブラック企業」という言葉もその頃から流行り始めて、
会社員の地獄物語というか、悲惨な話というか。
そんな話ばかりでしたね。

不景気以前の昭和にさかのぼっても、モーレツ社員というか企業戦士の話ばかり。
家庭を顧みず会社に捧げる人生…の話。
その結果が家庭崩壊やリストラなんだから、救われない。

そんな話ばかり聞いてきたのだから、就職して働くのが正直怖かった。
就職活動中も怖かったし、働きたくなかった。
会社員にならずになんとか楽しく生きられないか、悩んだりしていた。

で、大学卒業前に、卒業旅行としてインドネシアのバリ島に行った。
そしたら昼間っから、道端に大の大人がたくさんたむろしていて、ダラダラおしゃべりしている。
この光景にはびっくりした!
この人たち働いてないの!?それでも生きてるじゃん!?
じゃあ俺もあくせく働かなくてもなんとかならないか?
俺もこういうのんびりした生き方がしたい!と。

そう思ってももう内定は出てしまっているのだから、行くしかない…。
というわけで地獄の会社員生活に突入することになるのだが…。

まあ俺もね。
働くのは怖いのですよ。
引きこもりたちの気持ちがわかります。…ってことでした。


●地元(ふるさと)についての微妙な思い
俺は地元が好きですよ。富山の農村地帯が。
そののどかな自然が好きだし、今の自分の土台になっているといつも感じます。

とはいえ、子供時代は学校で居場所がなく、つらかったです。
(いい友達はいましたよ、ただ学校の他の人たちと合わなかった)
少しでも他と違うことをしてると、いじめられるのです…。
家族も、世間体を第一に考えたりとか目立つことは極力避けたりとか。
いかにも田舎らしい価値観でした。
そういうのに俺はうんざりしてました。

18歳で京都に引っ越してからは、「関西は目立った者勝ちだ」みたいな話を聞いたのもあり、
とにかく目立つ変な服を着たり変わったことをしたりしました(笑)。
自分の生きたいように生きました。
それでもちゃんと友達ができたし誰も迫害しないのだから、さすが都会は違う!と思いましたね。
(友達もみんな変わり者でしたが)
東京も同様でしたね。
だからようやく自分らしく生きることができたと思います。

今は金沢に住んでますが、どうかなあ…。
故郷よりは都会だけど、京都や東京よりは田舎。
今のところは誰にも迫害されず自由に生きてられるけど。
妻はやはり東京が良かったというし。
今後子育てを通じて、地域社会との関わりも増えるだろうし。
閉鎖的な傾向を感じて嫌になる日が来るかもしれない…。
司法試験に受かったらどこで働くべきか。金沢か、東京か?

ともかくそういうわけで、富山の故郷については微妙な感情を持ってしまいます。
自然は好きだ。だが、人が苦手。
もちろんいい友達は昔も今も、変わったことをする俺を認めてくれている。
だがその他の多数の地元民は、俺を受け入れてくれないのだろうなあ。
そう思うとちょっと悲しい気持ちになります。

こないだスーパーに行って卵を買おうとしたら、その故郷が産地でした。
おお、これは買って応援してあげないと!…と思ったけど、
でも故郷は俺を受け入れてくれなかった…なのに俺は地元を応援することなんか考えて…
まるで片思いだ…とか思い、ちょっぴり悲しくなってしまいました。
ははは…。

ではまた!

補足(2)

どうも。

前回に引き続き、学生時代を振り返っての話の補足です。

●「死にたい」という思いと座間市の事件
俺は中学生のころ、死にたいと思っていた時期があった。
まあ高校・予備校に行って環境が変わったり人間関係が良くなったりして、
そんなことは考えなくなったけど。

こないだ神奈川県座間市で起きた連続殺人事件でも、
そういう「死にたい」願望のある女性たちが被害者になったそうな…。
犯人はツイッターを通して、自殺の相談に乗るとか言って被害者らをおびき寄せたらしいね。
なんという…ひどいことを…。

でも犯人が言うには、「本当に死にたいと思っている人は1人もいなかった。
話を聞いてほしい、相談に乗ってほしいということだった」そうだ。
そういうことを、ニュースでチラッと見た。

そうなんだよね…死にたいって言ってる人は、だいたいそういうものなんだよね。
生きることに真剣だからこそ、理想とのギャップに悩むんだよ。
そして、わらにもすがる思いで相談相手を探すんだろうなあ。
そんな気持ちを逆手にとって…と思うと本当に憤りを感じるし、やりきれない…悲しい…。


まあネットで知り合う、どこの誰かもわからん男なんか信用しちゃダメだよ。
…と言えば簡単だけどさ。
じゃあ現実世界での知り合いの誰に相談できるって言うのさ。こんなこと。
どうすりゃいいんだろうね。
俺も昔はこんなこと相談できる人なんていなかったからな…。
今はネットができて相談相手を探せる、いい時代になったなと思う。

若者たちには、ネットの危険な面をうまく避けながら、
いい面を利用して幸せに生きてほしいなと思う。
例えば実名を相手に教えないとか。会わないとかね。


俺もそういう悩める若者の力になれればいいなとは思うけど、
今は自分の仕事と勉強で手一杯だからな…。うーん。
受かった後ならいいんだけどなあ…。
まあこれらの文章を通じて、俺が悩めるみんなを応援する気持ちが伝わることを祈ってます。

心の中では がんばれって言っている 聞こえてほしい あなたにも がんばれ!
(by BLUE HEARTS「人にやさしく」)


●死にたいという子供たちへ
こないだネットで、「娘へ 〜将来死にたくなったらコイツを読め〜」というマンガを見つけた。
ある漫画家さんが描いて、ブログで公開してくれているのだ。

これを読んで、ほんとその通りだなと思った。
要するに、誰でも悩みはあるし、それはいつまでも無くならない。
だから無理してその悩みと真正面から向き合い続けると、いつか倒れてしまう。
うまく気分転換をしたり、場合によっては逃げたりすることも大事!ということかな。

それと、例えばイジメにあっている場合、
それはただただ、「人運(ひとうん)」が悪かっただけだ、という。
これもまさにその通りだと思う…!
例えば俺という人間は昔からそんなに変わってない…と自分では思うんだが、
ある環境ではイジメられたり、ある環境では大切にされたり、
もう周りの人の巡り合わせ次第で、ぜんぜん違う。こんなの「運」だね。
だから今の環境で苦しい、つらい人がいるとしても、
自分のせいだと思って自信無くしたりしなくてもいいですよ。

俺が思うに、
死ぬくらいなら、親に「………学校行きたくない。もう絶対行かない。」と言って、
不登校を決め込んでしまえばいいですよ。
理由も全部ぶちまけてしまえばいいですよ。あいつにいじめられてる。
こんなひどいことされた。だから行かない!とか。
どうせもう二度とその学校には行かないんだから、全部言っちゃえばいいです。
親はパニックになるでしょうけどね。子供が死ぬよりはマシですよ…。
そして「……転校できるなら学校行く。」と言えば急いで転校させてくれるんじゃないかな?
もしできるなら、しばらく引きこもっちゃってもいいかもしれない。
死ぬよりはマシ。

そうは言っても、なかなか親に言いだす決心つかないでしょうけどね…。
俺も言えませんでしたからね。
今思えば、連休明けで学校が始まる日とか。
そういう何か節目みたいなところで言えばどうかな…。

親が言うこときいてくれるとは限らないけどね。
世の中、おかしな親も多いからね。
そういう時は誰か他に、しっかりした優しい大人に相談できればいいんだけども。
役所にそういう部署ないかなあ。
あと、イジメ問題を扱ってそうな弁護士だとか。
学校の先生の中にもたまにいい人がいたりするし。

俺も大人になってから、いろんな人を見てきましたよ。
会社でうつ病になってしばらく働けなくなった人とか。
子供のころ不登校だったけど、司法試験に合格した人とか。
中卒だけど派遣工としてしっかり働いてる人とか。
同じく中卒で勉強も苦手だけど、頑張って勉強して資格とった人とか。
みんな人生山あり谷ありだ。
そういうのを見ると、
子供にだけ「引きこもるな!」とは言えないし。
不登校でも中退でも、大人になってからまた社会に復帰できる道はあるし。
休むべきときは休み、逃げるべきときは逃げるのもアリだと思うよ。


●進路は自分で決めてきた
さて、俺の昔の話に戻りますが…。
思えば…。
俺は自分の進路を、だいたい自分で決めてきたなあと思います。
振り返ってみて、特にそう思う。
親に意見を聞いたりはしなかったなぁ。

だから、たとえそれで(進路の選択で)失敗したとしても、誰をうらむこともない。
後悔もしていない。
なぜ失敗したか考えて、次につなげる…それも良い経験となるんじゃないかな。
だから…そうやって自分で決めてきたことは、とても良いことだったと思う。

またそういう生き方ができたことは、幸運だったと思う。
自分で決める前に親や先生がだいたい決めてしまったとか、
家庭の事情で選択肢が限られてしまっていたとか。そういう人も世の中には多いから…。
まあ俺も、決断はできてもね。
その後、なんでも思うように生きてこられたわけじゃないからなあ。
思うようにいかないのはやっぱ同じか。人生そんなもんだよね。


●親の育て方
思えば俺は、小さい頃から親父にこう言われてきた。
「うちの家業は継ぐな。仕事は自分で探せ」と。
我が家は自営業で町工場をやっているが、親父が言うには、
「こういう仕事は中国韓国に流れていってて、将来は暗い。
だからお前は自分で自分の新しい仕事を探せ」と。

また親父は「自分はもう時代遅れだ。新しい世代のお前が自分で決めるんだぞ」とも言った。
物心ついた頃から、そう言われて俺は育った。
そのため俺は常に、将来どうしよう?と考えながら生きてきた。
俺が新しい時代を切り開くんだ、という気持ちで。
だから新聞や本も、何か将来を見通すヒントはないか?と真剣に読んできた。

さらに、親父はときどき自営業仲間の社長たちについて、
あいつもあいつも破産した…みたいな話をしてくれた。
俺はそれを聞いて、社会は甘くないな、しっかりしないと俺も破産する…と緊張したものだ。
だからこそ勉強も真剣にやってきた。
点数を取るための知識ではなく、世の中で生き延びるための知識として。
(そういうわけで、学校のテストのための勉強はあまりしなかったけど、
とにかく本も新聞もよく読んだし、物事をよく考えた。)

親ってのはこういう感じでいいんじゃないかなと思う。
早いうちから子供を信じ、まかせるのだ。
また社会の厳しさも語り、子供に緊張感を持たせて自分で考えさせる。
(まあうちの親父はそこまで考えてなかっただろうけど。)

そういや反抗期とかも無かったなー。親なんかよりも、厳しい社会の方が大きな敵だった。
親なんかに反抗してるヒマがあるなら、どうやってこの世知辛い世の中で生き延びるかを
考えたり悩んだりする方が先だったなあ。

あとはまあ、うちの親父はタバコは吸うわ酒は飲むわ夜更かしするわで、
ずいぶん適当でだらしない人物である。
上記の各発言もただの本音であり、息子の将来を思って…なんかではない。
だから俺が早くしっかりして我が家を支えないと、みたいな気持ちもあった。
というわけで、多少ダメな親の方が子供はしっかり者に育つような気がする。


●失敗するのは、挑戦しているからこそ
うーん、文章がどんどん長くなってしまうな…。簡潔にしないと…。

さて、俺はこないだから新しい仕事の担当になりまして。
難しい作業だから、やはり失敗するのが怖いです。
でも、そんな時にいつも心の中で思う言葉があります。
「失敗するのは、挑戦しているからこそ」。
そう、挑戦しなければ失敗もないのです。
だから失敗しても、落ち込まないこと。
新しいことに挑戦している証なのだから、逆に誇りにすること。
昔からよくそう考えてきました。

エジソンも電球の発明にあたって、途方もない数の失敗を重ねたらしいですね。
でも全く落ち込まなかったとか。
「このやり方ではうまくいかないと分かり、成功にまた一歩近づいた」からだそうで。

松下幸之助はインタビューで「あなたはなぜ失敗しないんですか?」と聞かれ、
「成功するまで絶対やめないから、失敗しないだけです」と答えたそうだ。

まあバラバラの話ではあるけど、失敗つながりで思い出した話でした。


うーん、どんどん文章が長くなるな…。
一旦、補足3に続きます。

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