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 【クリックすると拡大表示します。】 【小京都(しょうきょうと)とは】                                                古い町並みや風情が京都に似ていることから、各地に名づけられた街の愛称である。室町時代以降、各地の大名が京都を真似た町づくりをし、それが小京都の起源となった。小京都と呼ばれる地域が集まる団体として「全国京都会議」が存在する。全国京都会議は京都市を含む二十六市町により、1985年に結成された。1988年の第4回総会で加盟基準が次のように定められた。京都に似た自然と景観 京都との歴史的なつながり 伝統的な産業と芸能があること。以上3つの要件の一つ以上に合致しておれば常任幹事会で加盟を承認される。全国京都会議には小京都ほか、「本家」である京都市も参加し、事務局を同市観光協会内においている。なお、全国京都会議に加盟していなくても、観光宣伝などを目的とした自称、他称の「小京都」は多い。


【高梁市(たかはしし)】                                                   岡山県の中西部に位置し、広島県と境を接する。地理市内を高梁川が北から南に貫流し、支流の有漢川、成羽川が合流する。中心市街地は高梁川と成羽川が合流する地点の北側に広がる盆地に位置し、城下町の古い町並みを残している。また、成羽地区の中心地も成羽川沿いの盆地で城下町であった。市域の大半は吉備高原上の丘陵地である。標高は盆地部が50 - 100m、丘陵部で300 - 500m程度。  【クリックすると拡大表示します。】

歴史
江戸時代に備中松山藩・成羽藩が成立し、城下町が形成される。
江戸時代、備中松山藩といわれていたが戊辰戦争で旧幕府軍につき伊予松山藩は新政府軍についた。そのため、明治維新後、伊予松山藩が松山藩となり備中松山藩は高梁藩に改められ、現在の高梁市となった。
1871年(明治4年)廃藩置県により高梁県・成羽県となる。その後深津県、小田県を経て岡山県に編入される。
1954年(昭和29年)5月1日、上房郡高梁町・津川村・川面村・巨瀬村・川上郡玉川村・宇治村・松原村・高倉村・落合村の1町8村が合併し市制施行。
1955年(昭和30年)2月1日、上房郡中井村を合併。
1970年(昭和45年)5月、上房郡賀陽町佐与谷の一部を編入。
2004年(平成16年)10月1日、近隣の上房郡有漢町・川上郡川上町・成羽町・備中町と合併。


 【クリックすると拡大表示します。】 【頼久寺(らいきゅうじ)】                                                  岡山県高梁市にある臨済宗永源寺派の寺院。山号は天柱山。本尊は聖観世音菩薩。備中西国第5番札所、瀬戸内観音霊場13番札所となっている。


【起源と歴史起源】                                                     起源と歴史起源については不詳である。 暦応2年(1339年) 足利尊氏により再興され、備中国の安国寺と号した。 当時、中国より帰国した寂室元光禅師(正燈国師)を迎請して、開山第一祖とした。 永正年間(1504年〜1521年) 備中松山城城主、上野頼久が大檀越となり寺景を一新する。大永元年(1521年) 逝去した上野頼久から2文字を加えて、安国頼久寺と寺号を改称する。 昭和49年 小堀遠州作の庭園が国の名勝に指定される。  【クリックすると拡大表示します。】


 【クリックすると拡大表示します。】 【庭園】                                                            慶長5年(1600年)、小堀正次が備中国に1万4千石を領したが、慶長9年(1604年)に逝去したので子の政一が遺領を継いだ。この頃の備中松山城は備中兵乱後で荒廃していたため、頼久寺を仮館とし、元和5年(1619年)までこの地にいた。境内の庭園はこの頃の政一(遠州)により作庭されたもので、蓬莱式山水庭園である。愛宕山を借景し白敷砂の中央に鶴島、後方に亀島の2つの低い築山状の島を置いて石を組み、書院左手の山畔に沿ってサツキの大刈込みで青海波を表現した庭園である。


 【クリックすると拡大表示します。】  【クリックすると拡大表示します。】


【墓所】                                                            中興の祖である上野頼久の墓と、永禄9年(1566年)に暗殺された三村家親、天正3年(1575年)に非業の死を遂げた三村元親と その子勝法師丸の墓がある。  【クリックすると拡大表示します。】


 【クリックすると拡大表示します。】 ★地域再発見岡山県高梁市ローカルサイト★


      ★備中高梁観光案内所サイトはこちら★  【クリックすると拡大表示します。】

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    文化的で、きれいなところですね。

    [ ボー ]

    2009/7/12(日) 午後 9:14

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