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 廃坑を出て、トロッコ軌道跡の痕跡をたどって小坂の部落まで降りてきた。周囲の建物はすっかり

現在の様式の住宅に変わり、当時を偲ばせるものは民家の脇にわずかに残るレンガ積みの残骸のみ。

そんな風景をカメラで撮っていたところ、近所のお嬢様が親切に「鉄山のこと、調べてらっしゃるの?」

と声を掛けてきたくれた。「ええ、今週の新聞の折込情報誌を見まして・・・」「読売新聞ですね?

私たち地元でも案外知らない人もいたりして。案内いたしますわ」とジャージ姿のまま、なんと錬鉄所

跡地を教えてくれたのじゃ!これは確かに、地元でも知らない人は絶対にきずかないだろう空き地みたい

な土地の傍に解説の表示が立ててあった。「ここですわ、かつての製鉄の跡は・・・。そこの砂防堤防

(?)の上に、煙突の基礎部分が残ってるのが、発掘されたようですの。ゆっくり見て行ってください

ね」とお嬢さんは去っていった。んで、早速その現場を見にいくと、確かに!レンガを丸く組んだような

のが四分の一くらい土から出ていた。「おおお!この、たたずまいは正しく遺跡風!」「萌える!」と

一人でブツブツいいながら、ちょと地面を掘ってみたりした。一度、解説図を見に降りて、確かめてみ

たらば、この煙突状の遺跡は「煤焼炉(ばいしょうろ)」の一本であるようだ。

解説板の図面を撮った画像をみていただくと、「トロッコ」「煤焼炉」「高炉」など、けっこうな規模で

製鉄施設が広がっていたのが分る。ほんとうにココには製鉄で賑わった歴史があるのだと言うことが実感

していただけるかとおもいます。テマエミソーではありますが、ヘタクソ合成画像で当時の雰囲気を

シルエットでお楽しみください。ああ、

有意義な休日であった。

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 ひとり、テクテクとトロッコ道跡の山道を下ること10分ほどで、ちょっと道が曖昧になってきた。

過去にはビッグサンダーマウンテンくらいの迫力で滑走していたであろうトロッコ(そんなわきゃあない

)今や、その跡も途絶えてしまったか。仕方ないので、とりあえず民家の方向に下山。何かを養殖して

いる様子のハウスの脇に出た。

続きます。

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 天井の低いヤバイ穴探検から引き返し、空気のうまい外界へ。歩いてきた道と平行して行くトロッコ

道の跡をたどりながら集落方面へ引き返すことにする。ちょっと一見ただの林業用作業道に見えるが

往路に見た図面だと、この道がトロッコ軌道跡らしい・・・。

続く。

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 穴と看板を発見したものの、穴の方は鉄柵で入れなくなっていたので、その他を探すべく、山道を

登り始めた。200m程かな?行ったところで道が二股になり、右には木製の「道しるべ」があり、

「石宮」とか「火薬庫」とか表記されていた。その先を一気に駆け上がると、工事用のバリケードの

穴と、また鉄柵の穴の二つがあった。覗いてみると、バリケード側は奥が5mくらいで、横に石の棚が

刻んであった。鉄柵の方は人が入れる隙間もなく、奥をズーム&ストロボで撮影すると、水たまりが

あるのが分った。内部に入ったところで、先には進めないのじゃ。ここは諦めて、次はトロッコ道を

探さねば!と、その周辺には、それらしき道っぽい跡は無いみたいなので、一度来た道を引き返しながら

、小川をはさんだ逆の斜面に目をこらす。すると、今いる道よりも高い位置に、なにやらネットが岩に

引っ掛けてあるのが見えるではないか!しかも、なにか穴の一部のアーチもその裏に見える!ちょっと

早足で小川を渡ろうと行くと。木製の小さい橋と、小道がそのネットの方向に続いてた。

で、とうとう入れる坑道跡を発見!この穴がスゴイ。入り口はまず、ちょっと下がって二股。左は水気

が相当ふくんだドロでちょっと奥に行く気がしないので、右の穴を攻めることに。天井が低く、上半身

は屈んだカッコウで一歩一歩進む。だんだん狭くなり、50mくらいで穴がカーブをしてゆく辺りで

足元の土がズブズブになってきたし、後を見ると入ってきた口が小さくなっているのを見たら、急に

ゾクっと怖くなり、撤収を決断。一人で生き埋めになる恐怖が頭をよぎったりして、復路はドッと冷や汗

が沸き出してきた。ゼーゼーいいながら外界に逃れたときの空気の旨いこと!

ケービングが趣味の人って、スゴイと思った。こんな穴を何時間も何キロも入って行って、正気で

いれるなんて・・・。

一休みして、今度はトロッコ道跡を部落までたどってみよう。

続くなり。

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 小坂鉄山の痕跡を探しに森へ分け入ること15分のところに解説板を発見。そこには、この鉄山の

概要が書かれていた。

小坂鉄山は江戸時代は1848年ころ、土地の所有者・永井衛門と石井衛門によって採鉱、精錬が始められた。その後、明治7年に丹波正庸がイギリスとスウェーデン人技師を招き、蒸気機関を用いての熱風送風による鉄鋼一貫製鉄(高炉・錬鉄炉・鋳造各施設など)を民間資本で開始。
これは日本における最初の近代的西洋式製鉄所となった。これは、その後の明治13年、官営の釜石製鉄所の高炉稼動開始まで、最大規模を誇る製鉄所であった。明治11年には、官営化されるも、6年後には再び民営となり、順調な生産を続けていたが、大正7年に操業を停止。
全ての施設、設備が解体された。合掌。

と、大正時代にはすでに第一期採掘が終了してたとのこと。新聞の方には、「この後昭和に入って再び採

掘が再開されて、鉄鉱石の採掘のみ運営されていた」となっている。

さて、歴史もいいが、いよいよ廃坑のほうへ向かってみよう。辺りにはトロッコも轢かれていたらしい

のだが、すっかりその痕跡はなく、穴の入り口が残るのみ。残念ながら、その廃坑の入り口は鉄柵が

設けられており、内部には入れないようになっていた。

とりあえず、この穴以外にも「十数か所」穴のがあると新聞に書かれているのと、解説の方にもエリア

が表記してあったのでそちらへ移動することにしてみよう・・・・。

続く。

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