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11月上旬、韓国に魅せられ今回は済州島を訪れた。 温暖な気候に恵まれ、韓国のハワイと呼ばれリゾート地として人気がある済州島。 さて、どんな旅になるのやら。。。 済州島空港 成田発9:45の直行便でお昼まわったころには済州島だった。 今にも雨が落ちてきそうな空模様だった。 迎えてくれた現地係りのイさんの案内するワゴン車でホテルへ直行した。 いよいよ済州島にやってきたのだ\(^0^)/ 「アニョンハセヨ〜」 ドラマ「オールイン」で有名になった豪華ロッテホテル。 今回、ここで3泊する。 日ごろのご褒美ご褒美(ニマニマ) 夜のロッテホテル。 なかなかロマンチックな庭園になっていた。 夜は毎日『火山噴火ショー』が見られる。 大規模なスペクタルショーだ。 翌日から観光タクシーで回った。 道中の白菜畑。 さすが火山でできた島だ。 三多(女・石・風)の島と言われるその石が見渡す限りゴロゴロしている。 畑の境界は石が無造作に積み上げられていた。 風除けや、野菜が動物に食べられないため・・・だとか。 秋も終わり初冬というのに菜の花畑が黄色いじゅうたんのように咲いていた。 あの、ハート型のオブジェは新婚さんや若いカップルが写真を撮るためなんだとか。 そんなの関係ねぇ〜。 運転手のキムさん曰く 10年ほど前は済州は新婚旅行のメッカで、100%近いほど新婚さんを案内していたそうだ。 入場料も1000ウォンなんだよってしきりにキムさんが。 『城邑民俗村』 景観が法律によって保護されており、300軒余りの家に実際に人が生活している。 済州独特の茅ぶきの家や、済州の伝統・文化がそのまま保護されている本物の民俗村だ。 実際、民家に人影があった。 軒先に洗濯物も干してあった。 人がぞろぞろ訪れる家で、ゴロゴロしてるちゅうわけにもいかず、私だったら耐えられんなぁ。 妙に感心したりして。。。 済州は「三多の島」であると共に、「三無の島」でもある。 三無「ドロボー・乞食・門構え」 ドロボーがいなかった済州では、家の入り口に門の代わりにこのような3本の丸太(チョンナン)をかける。 3つの穴が空いていて丸太がひとつかけてあれば、外出中だがすぐ戻る。 2つなら、夕方には戻る。3本だったら今日は戻ってこないって意味らしい。 3本とも掛けてなければ、もちろん自由に入ってくださいってこと。 お互いに信じ助け合いながら暮らした済州の通信手段だったようだ。 案内をしてくれたこのお姉さん。 『城邑民俗村』の自称キム・ヨンエ(チャングムのイ・ヨンエのつもりらしいが・・・苦) この棒で何をするかわかりますか〜? 巧みな日本語だ。 男性は大事なところをブタにかじられないように、追っ払ってから用をたすんです。 とのこと。 想像してみた・・・笑える。 ようするに 済州島のトイレにはブタがいたんだって。 なぜかって? 人糞がエサだったから(苦笑)(旨いんかい!) コレはお土産の置物。 こんなカンジで、用をたしている下で人糞を待っていたようだ。 ・・・想像できん。 ほんの一部をひと回りしたところで、五味子茶を飲ませてくれた。 甘くて美味しかったが・・・ホットだったらもっといい・・などと贅沢つぶやきながら。 結局のところ、この「五味子茶」と一緒に味見した「馬の骨粉」の販売が目的だったような・・・。 ちょっと腑に落ちない。 寒くて思考力が低下していてソレしか考えられん心狭い<しばネエ>でありました。 人のいい、お姉さまたち3人は購入した。 今度合うときは、イ・ヨンエのような素肌美人になっているかしらん。 『抗蒙遺跡址』 モンゴルに立ち向かう高麗時代の特殊部隊が最後まで抗戦し、殉職したという歴史的な最後の砦。 長い石畳が印象的でした。 『4.3記念碑』 とにかく寒かった。 カラスが群がっていた。 だだっ広い敷地に建設中の「4.3記念館」があった。 1948年4月3日の「済州島4.3事件」・・・あまりにも残酷な事件(実際、知らなかった。。) 30000人を越えると言われる、当時の犠牲者を追悼するために建設された。 犠牲者の後家さんが残ったのが、三多のひとつ「女」が多くなった要因なんだって。 観光化されリゾート地にもなった済州には想像つかないような悲しくも残酷な過去だ。 過去と言っても結構新しい過去。。 現在も建設中で一部が公開されています。 『済州城址』 耽羅国時代、済州を守る防御の基地として建てられたものが道路沿いに残っていた。 『済州民俗自然博物館』
済州民俗の歴史と自然が一目でわかる博物館。 入り口に奇妙なデ〜〜〜〜ッカイ魚の剥製が待ち受けていた。 巨大太刀魚らしい。(らしい・・・確かそうだった・・・ような) 全長5m以上もありそうな。 まさかだが、本物なんだとか。 『済州牧観衙』 朝鮮時代、済州地方の統治の中心であった。 観徳亭を含む周辺一帯に分布している。 『ハルラ山』 済州には3つの山と300の丘があるそうだ。 ハルラ山1950m韓国最高峰の山だ。 別名オバサンの山・・・頭髪をなでている形に見えるから・・・キムさん説 こんな綺麗に見られるのは何年ぶりだろうって地元のカンさんも感激していた。 ドラマ「私の名前はキム・サムスン」で、サムスンとサムシクが心を確認するシーンが印象的だった。 『天地淵の滝』 長い長い散道には黄色いツワブキの花が綺麗に咲いていた。 天と地が出会ってできたといわれる。 高さ22m幅12mの壮大な滝に七色の虹がかかっていた。 皆で満喫していると、ぞろぞろ若い女子学生の集団がやってきた。 中学生か高校生か。 済州島は修学旅行のメッカなんだって。 見ると皆同じ髪型・・・・前髪を眉毛の上でまっすぐに切りなんだか皆可愛い。 肌もピチピチしている。 これもキムチ効果? あぁ、黄昏はじめた自分と比べてしまう。 <しばネエ>にもピチピチのころもあったのだ。 などと横目に見ながら滝を後にした。 『済州民俗博物館』 約15万8千平方メートルの広大な大地に展示されている。 山村、中山間村、漁村、植物園、市場、漁具展示場、官庁、無形文化財の家屋、 済州の藁屋と、わかりやすくエリア別に見学できるようになっている。 実際に20年程前まで島民が生活していた家屋をそっくり移したということだ。 園内のあちこちでドラマ『チャングムの誓い』が撮影され、俗村全体がチャングムのセット場のようでした。 そんな園内に現在の裁判所・役所のような官衛があった。 門をくぐると刑場がある。 叩き台と叩き棒。尋問椅子に丸太2本。 この椅子にSさんが腰掛け、両太ももの間に丸太を挟み、 当時の罪人の真似をしてポーズをとってくれた。 とても痛そうだが、笑いが先にたってしまった。 お許しあれ。。 そして牢屋。 ここでも、ひょうきんSさんとHさんが牢屋に入って臨場感あふれる演技をしてくれた。 可笑しいんだけど・・罪人の魂さん、ごめんなさい。 『トケビ道路(おばけ道路)』 下り坂であるにもかかわらず車が逆行して登っていくように 感じられることから付けられた名らしい。 運転手のカンさんが何度もエンジンを止めご丁寧にキーまで外し、上っていく不思議な体験をしてくれた。 沿道の家も斜めに見えた。 道路端で買ってくれた小麦パンの素朴で美味しかったことったら。 『済州空港』 入国時は、空港関係者と言葉が通じず、戸惑ってしまったが 帰りはもう デ〜〜〜ンと構えて済州島にサヨナラした。 アニョ〜ン!! |

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写真とコメント、楽しく拝見しました。
2007/11/27(火) 午後 7:52 [ nasuko ]
ありがとうございます。
しばらく修理のため、デジカメはお預けです。
きょう、骨董品のデジカメを使ってみましたが、
さてさて、どんな写りであったか・・・期待薄です。
2007/11/29(木) 午後 5:15
1259年に高麗がモンゴル元朝に服属すると、済州島はモンゴルの直轄領となり、大規模な馬牧が設置された。
1271年、珍島でモンゴル・高麗連合軍に敗れた金通精率いる三別抄がそれ以降済州島に移って抗戦を続けた。
三別抄は島民を巻き込みながらゲリラ戦を行なったが、1273年4月、金方慶と洪茶丘率いる高麗軍によって三別抄は壊滅された。同年モンゴルは済州島に耽羅総管府を設置した。
1274年10月モンゴル人の都元帥・忽敦(クドゥン)を総司令官として、漢人の左副元帥・劉復亨と高麗人の右副元帥・洪茶丘を副将とする連合軍が朝鮮半島の合浦(がっぽ:現在の大韓民国馬山)を出航し、対馬・壱岐の島民を殲滅し、博多を襲った。
2014/7/13(日) 午後 1:00 [ 元寇を学び日本を護る ]
高麗・元宗14年(1273)、麗蒙連合軍に対抗して戦った三別抄は江華島と珍島で 相次いで敗れ、最後の激戦地となった済州島に渡り、プルグンオルムに二重土城を築いたが、これが現在の済州・缸坡頭里(ハンパドゥリ)だ。
全長6kmにわたる 土城(高さ5m、幅3.4m)であり、石で築いた内城800m及び宮址、役所、各種防 御施設を取り揃えた要塞であった。
しかし1273年4月、缸坡頭里は遂に陷落し、 三別抄は最後の1人まで抗争しながら玉砕の道を選んだ。
三別抄の流した血が オルムの土を赤く染め、その時からこのオルムは「プルグン(赤い)オルム」と呼ば れるようになったと伝えられている。現在は昔の名残を見つけることができる土 城が部分的に残っている。
その他にも蝶番、瓦、池跡などの様多くの遺跡が発見 されており、缸坡頭里内の展示館に展示され、歴史教育の場として活用されてい る。また、入口にある抗蒙殉義碑は三別抄の愛国精神を称えている。
2016/11/27(日) 午後 10:43 [ 世界は仲良く ]