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こんばんは☆彡 ニューヨーク、今日の日中は25℃ほどでした。10月中ばにしては暖かく、 過ごしやすかったです。だけど、明日には突然10℃下がる・・といったことも 当たり前のように起こる街なので、油断は出来ませんね。 今日(日曜日)、友達とロウアーマンハッタンにてくてくと出掛けてきましたよ。 ウォール街のすぐ近くで見かけた、傾いた赤い立方体〜♪ 作られたのは1968年。目立ちますね? ハリマン家が経営する、「ブラウン・ブラザーズ・ハリマン投資銀行」前の プラザに設置されています。 ニューヨークのイサム・ノグチの作品でもっとも有名な作品、「Red Cube」は、 Wall Streetより2ブロック北、Cedar StreetとLiberty Street の間に位置しています。 銀行の正面へ回って、撮ってみると・・、 この日は休日なので、ビジネスマンの姿はありませんが、 後ろのビル、電気がついているフロアーがありますね。 それにしても、ビルの谷間に現れる物体、「ちょっと、一体何が落ちてきたん だ???」って思ってしまいそうな、強〜い存在感があるアートですね〜。 彼は「空間を彫刻した男」と呼ばれるほどで、石や木、ブロンズなどを素材 にした彫刻をはじめ、庭や公園などの設計、家具や照明などのインテリア・・、 あらゆる方面で才能を発揮した異彩の芸術家です。 さて、次は、観光客でしょうか、ポーズを撮って・・、ハイチーズ! 撮影も大変ですよね、地面に寝そべって、カメラを構えています。 こちらは、こんなポーズで、ハイチーズ。 真ん中の人は、キューブを持ち上げる格好をしていますね。(重そうです・・。) しばらく眺めていると、次々といろんな観光客が集まってきて、それぞれがお気に入りの ポーズで写真を撮っているんです。 さて、皆さんはどんなポーズで決めたいですか〜? 私は逆立ちしてみたいです。 人がいなくなったところで、私も目の前にいき、中央の穴を覗いてみました。 窓には、ヨーロッパの雰囲気が漂う建物が写っていますよ。 穴の中にカメラを向けて写真を撮るのは、私ぐらいだけかもしれませんね(笑) そして、こちらは、私のお気に入りのアングルです♪ ちょうど南側に、ゴシック様式の建物「トリニティ教会」が見えます。 Wall Streetが突き当たる位置に立っており、86.62メートルの塔で、 1846年に完成、ニューヨークで最古の歴史を持ちます。 ロウアーマンハッタン、このウォール街あたりは、世界の名立たる銀行から 株式売買業者、保険会社などがひきしめ合っているエリアで、 そして、新旧の時代の風が交錯する、興味深いエリアでもありますね。 イサム・ノグチの「Red Cube」は、ご存知の方も多いと思います。 でも、彼の生い立ちについては知らない方が多いかもしれません。 長くなりますので、ご興味のある方は、下を読んでみてください。 1904年、日本では日露戦争が勃発していたころ、彼は日米の混血としてCA州 で産まれました。父は18歳渡米、詩人の野口米次郎。母はその翻訳を手伝っていた アメリカ人、レオニー・ギルモア。だけどこの二人は結婚していなくて、イサムの 誕生以前に、父親はすでに帰国していたんです。 母親は2歳のイサムを連れて日本にいき、英語講師をしながら生活し子育てをして いました。彼を神奈川県の小学校へ入学させましたが、周りと違う風貌のせいで差別、 いじめの対象となっていました。だけど、そんな彼を救ったのが、日本の自然と道端に 転がる石でした。母は、登校拒否をする彼を近所の大工のもとに通わせて、物作りの 楽しさを覚えさせました。 そして、アメリカで教育を受けされるため、13歳になった時、単身渡米。 それも、インディアナ州の片田舎、開拓者精神を実践教育する全寮制の学校へ。 150人の生徒が丸太小屋に住みながら、学校で勉強。遠い日本から大工道具片手に やってきたイサムを不思議がっていた生徒達も、工作の授業でいままでに見たことが ない彼が創る独特の彫刻を見ると、「東洋からやってきた天才少年」と呼んでいました。 その後、彼の才能をほれ込んだ校長先生の家に家族の一員として迎え入れられ高校へ進学 し、医学の勉強をしました。そして18歳のときにコロンビア大学へ入学。そこで 出会ったのが、当時、客員教授をしていた野口英世です。「医者と芸術家はどちらが 偉大ですか?」とイサムが質問すると、野口は「医者にできることは限られている。 父親のような芸術家になりなさい」。と言いました。その一言で大学を中退し、 芸術家として創作の世界で生きる決意をしました。 イサムは女優の山口淑子(中国名は、季香蘭)と結婚したことでも知られており、 新居を北鎌倉に構えましたが、5年後には離婚をしています。 その頃の時代、真珠湾攻撃の影響もあり、彼の作品がアメリカ人により却下 されたこともあり、日本とアメリカの狭間で人生を送っていた彼・・・、 でも、その両方を理解した彼にしか作れない作品を世に出すことで、 自らの故郷を見つけたのです。その彼の故郷は「地球」。 彼の刻んだ作品は、いまもなお、地球上に多く残されています。 家庭内で恵まれなかった不幸な生い立ちや、精神的帰属の狭間に立つことに なってしまった彼の人生は、芸術活動に深く投影されているのですね。 世界を縦横に駆け巡り、多くの作品を残したイサムは、1992年12月30日に、 88歳の生涯を閉じました。 彼の作品、私も生きている間に、一つ一つ見て回ってみたいです。 北海道のモエレ沼公園も訪れたいです。 「Red Cube」by Isamu Noguchi
140 Broadway (Liberty Street & Cedar Streetの間) |
Isamu Noguchi
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こんにちわ!いかがお過ごしですか?日本は台風が来るとか聞いていますが、 吹き飛ばされないようにご注意下さいよ。 ところで、日本全国にノグチ作品が59箇所もあるのをご存知ですか? 最近、彼の庭園美術館が、北海道の<モエレ沼公園>に出来ましたよね。 ノグチ作品は、ニューヨークにも沢山ありますよ。 この写真は、NYのノグチ作品で最も有名な作品、 ウォール街にある「レッド・キューブ」。 元マリン・ミッドランド銀行、現HSBC銀行号の前にそびえる赤い立方体。 1968年に作られました。 (宇宙から舞い降りてきた、未確認物体ではないですよぉ〜。) オフィス街のど真ん中なので、ランチタイムには屋台が出没して賑わっています。 NYでは街とアートが幸福な関係を築いていて、 気が付けば街のあちこちで目にするパブリックアート。 アーティストが集まるNYならではの光景ですね。 1930代、ニューデイール政策の一環として始まったパブリックアートは、 80年代には公共事業の1%をアート作品の設置に充てなければならないという条例が できるまでに発展したそうです。 美術館の閉鎖的な空間に対して、地域の人々に受け入れられる、 現在形のアートを目指すのがパブリックアート。 ここで、イサム・ノグチの生い立ちについて、触れておきます。 1904年に、英文学者で詩人の日本人の父と、作家のアメリカ人の母との間に 生まれました。13歳まで日本で過ごしインディアナ州で教育を受けた後、 コロンビア大学で医学の勉強を始めたが、彫刻家を目指すようなり中退。 グッゲンハイム奨学金を得て、パリでで彫刻家ブランクーシの助手を務めました。 その後、ニューヨークに戻り、幅広い活躍をされます。 日本の血を強く意識した彼の作品には、日本の伝統と西洋文化の融合が 反映されているのですね。 日本にも彼の作品は沢山あるので、探してみてください。 意外と、自宅の近くにあるかもしれませんよ?! |
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