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『神々の流竄』と纏向遺跡
歴史
[ wjj*g70* ]
2018/9/20(木) 午後 2:37
Kitunoさんの「聖徳太子論」、拝読しました。しかし、隋書に記述されている太子は、蘇我入鹿であり、聖徳太子ではないことを拙著で明らかにしています。
「隋書」「開皇二十年俀王姓阿毎字多利思北孤號阿輩雞彌遣使詣闕上令所司訪其風俗使者言倭王以天為兄以日為弟天未明時出聴政詣跏趺坐日出便停理務云委我弟高祖日此太無義理於是訓令改之王妻號雞彌後宮有女六七百人名太子為利歌彌多弗利無城郭」
「名太子為利歌彌多弗利」は、「太子を為利歌と名づく、彌(はなはだ)弗利(むり、ふり)多し」と読み下すことが出来る。「為利歌」は「いりか」と読め、「入鹿」である。詳細は、下記論文を参照のこと。
1)橋本昭雄、隋書の謎を解く(上)―聖徳太子は存在したか?― [西日本文化、382、pp22-26、(2002)]
2)橋本昭雄、隋書の謎を解く(下)―聖徳太子は存在したか?― [西日本文化、383、pp38-40、(2002)]
『神々の流竄』と纏向遺跡
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『神々の流竄』と纏向遺跡
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『神々の流竄』と纏向遺跡
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[ ゆうこ ]
2015/6/12(金) 午後 3:31
『神々の流竄』と纏向遺跡
歴史
[ hos*i*k2ehc* ]
2015/2/12(木) 午後 4:08
いきなりの初コメ失礼しますヽ(*’-^*)。
kitunoさんのブログは読んだあと、すぐにブックマークに入れました(*#′∀`艸)
私生活でちょっと辛いことが続いて、かなり自暴自棄になりかけてたんです。
でも、kitunoさんのブログを読んだら、ふっと心の重荷がとれていくのが分かったんです。
同性としての共感や、育った環境が違うから、こういう考え方もあるんだなって。
同じ女性としてこれからも仲良くして下さい!
それと、ちょっと悩みがあるので、それも相談に乗ってもらえると嬉しいかもです。。。
誠に勝手ながら連絡先を載せさせて下さい(o≧∀≦)o
koikaren@i.softbank.jp
kitunoさんに読んで頂けた後は、連絡先とかもしご迷惑でしたらコメントは削除して下さい(*・▽・*)
これからも応援してます(◎>∀<◎)
ブログへの書き込み、ありがとうございます。
返信が遅くなってしまい、申し訳ありません。拙いHPを読んでください、書き込んでくださり、とてもうれしく思います。
『武功夜話』については、藤本正行氏らの研究やその後の研究で「偽書」として扱われるようになり、『武功夜話』の中に書かれていたわくわくするような信長や秀吉に関する逸話を取り上げられることがまったくなくなってしまったことは、本当に残念です。『武功夜話』に書かれている信長に関わる場所を訪れてみると、実際にその場所に今でも実在していたり、その痕跡が明確に残されています。
『武功夜話』に書かれている地名は実際に存在し、また関わっていた家名や氏族も実在しています。
『武功夜話』を訳した加来耕三氏は歴史番組の解説者としてよく登場されていますが、加来氏自身は武功夜話について今どのように感じているか聞いてみたいと今でも思っています。
私は『武功夜話』の全編を読んだわけではないので偉そうなことは言えないのですが、ich*jo*_jiさんが書き込んでくださったように事実も多いと私も思っています。
八咫烏の由来
歴史
[ 高砂のPCB汚泥の盛立地浄化 ]
2012/12/7(金) 午前 7:00
那智勝浦町に伝わる民俗芸能「那智の田楽」が、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産として登録されることが決まった6日、地元の関係者からは「紀伊水害からの復興に弾みがつく」「熊野の文化が世界に認められた」などと歓迎の声が相次いだ。
那智の田楽は、毎年7月、熊野那智大社で行われる「那智の火祭」で奉納される。伝承に取り組んでいる那智田楽保存会によると、会員は20歳代から70歳代までの約40人で、毎年6月から本番まで、隔日で2時間ほどの練習を重ねている。近年は若い世代も増え、宵宮と本宮でメンバーを入れ替えるなど、後継者の育成にも力を入れる。
同保存会の横浜義憲副会長(64)は「先人が守り続けてきた思いが実った。水害で観光客が遠のいたが、登録をきっかけに、田楽をPRし、観光の盛り上げにつなげたい」と喜んだ。会長を務める同大社の朝日芳英宮司も「熊野信仰と共に那智の田楽が世界遺産になり改めて喜びを感じる」とコメント。同町の寺本真一町長は「熊野の文化が世界に認められた証しであり、大変うれしく思う」と話した。
八咫烏の由来
歴史
[ 高砂のPCB汚泥の盛立地浄化 ]
2012/6/22(金) 午後 9:50
毒気(あしきいき)は鉱毒ではないかという説は興味深いという。
金属資源の確保は古代の豪族にとって重要事項だったので、それをめぐる争いも当然あったでしょうと語っています。
神武軍は資源をめぐって地元部族と戦い、毒ガス攻撃を受けたとすると、神武がわざわざ熊野をめざしたわけも説明できるという。
、神武軍がわざわざ熊野に回った理由は、金、銀、銅、水銀などの金属資源にあったのではないか、といった指摘をしています。
1400万年前に紀南地方で繰り広げられた火山活動の結果、那智(和歌山)から熊野(三重)にかけての沿岸部一帯は、銅、硫化鉄、金、銀などの鉱床に恵まれる地帯となりました。
そして、紀南地方には、妙法鉱山、鉛山鉱山(かなやまこうざん)、南海鉱山、道湯川鉱山、三陽鉱山など鉱山がたくさんありました。



