きなこの城

私は昔から詩だけが好きだった。自分では絶対に作れなかったけれども。・・・・フランソワーズ・サガン

5.斎戒沐浴して母を語る

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5.斎戒沐浴して母を語る
  祖父に詫びて
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母の葬儀後、新潟の伯父がまた上京してきて、
私は母の友人であったKさんと伯父に連れられて、病院へ行った。
主治医の「一人ではおいておけない」という言葉のためだった。
私は強制的に入院させられ、その3ヵ月後にやっと退院した。
愛犬のフラテはその間、動物病院に預けられていた。

初夏だった。
かつて母の愛した庭には雑草が生い茂り二目と見られない有様となっていた。
退院した翌日、届け物が届いた。
高級な海苔で、送り主はM氏だった。
私はM氏に電話した。母が亡くなったことを知らないだろうと思ったからだ。
私は言った。
「3月25日に母が亡くなりました」
「えっ」
しばらく沈黙があってM氏が言った。
「…どうして?」
「くも膜下出血です」
「どこあたり?」
「耳あたりです」
しばらく沈黙があった。
「Nちゃん、伯父さんだっているし、僕にだって電話できるし、
気を落とすんじゃないよ。しっかりするんだよ」

この時M氏は66歳だった。
そしてその3ヵ月後、M氏はすい臓がんで他界した。
まるで母のあとを追ったようだった。
本当に母を愛していたんだな…私は心からそう思った。
今頃天国で一緒にいるのかもしれない。

お母さんあなたは最後まで優雅でした。
寝たきりになったり認知症になったりすることもなく
突然逝ってしまったあなた。
あなたは54歳のまま老いることもなく、
美しい人として私の記憶に残っています。

桐ダンスの引き戸のところに、輪ゴムで無造作に束ねた100万円の束をおいて、
タクシーでK市まで買い物に行っていたあなた。
突然亡くなって、葬式代をおろしに行かなくては、と思っていたら、
自分の布団カバーの内側に葬式代を隠しておいてくれたあなた。
千葉の家と新潟の家、それに新潟に140坪の土地を残してくれたあなた。

その戒名と同じに慈しみに富んでいたあなた。
 
産んでくれてありがとう。
 
あなたが生きているうちに言ってあげられなかったけど、
もう1度。
 
産んでくれてありがとう。


            終わり


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お母さん、私は17歳の時にあなたにこの質問をしてしまいました。
ひどい質問でした。
本当なら私を生んでくれただけで、ただあなたに感謝すべきでした。
しかし私は聞いてしまいました。

「お母さん、どうしてお父さんと結婚して子供生んだの?」

母には答えられなかった。答えようがなかった。
サガンが言っているようにそれは情熱で、
情熱は他の何ものにも似ていないのだから。


お母さん、
あなたにお父さんと結婚させて子供を産ませたものは情熱でした。
私は私の質問をあなたに詫びたいと思います。
そして私がひどい親不孝だったことを、あなたに詫びたいと思います。


私は26歳で医療保護入院した。
ひどい幻聴幻覚があり、母が見てもあきらかに私は狂っていた。
一人娘に狂われた母は庭の紅葉の大木で首をつろうと思ったらしい。
しかし私は3カ月で治って退院した。

それからの3年間。
母と私は雀のお宿に蟄居し、まるで余生のような人生を生きていた。
それまでは降るように縁談があった私だった。
しかしM氏は言った。
「親戚の中に精神異常の者がいただけで縁談が壊れるほどだから、
 Nちゃんの結婚はもう望めないだろう」

母は孫の顔が見たいと言っていた。
しかし両親の結婚に絶望を見た若い私は、
一生結婚もしないし、子供も産まないと宣言していた。
父に対する私の激しい憎悪の感情を垣間見て
母はショックを受けていた。
母の絶望は深かっただろう。それに私の行く末も心配だったろう。

当時、家にはフラテという黒柴がいた。
その1匹の柴犬がどれだけ母と私を癒してくれただろう。
私は朝に夕にフラテを連れて散歩し、家事一切をやっていた。
母は私の入院以来体調を崩していた。

私が28歳の春、ダイニングで母はふと言った。
「一生懸命育てたの」

その30秒くらい後でまた言った。
「一生懸命育てたの」
それが母の遺言だった。

その日の夜頭が痛いといって寝て、翌朝には息を引き取っていた。
3月25日だった。祖父と同じ命日。
私はひどく泣いたが葬儀の後、母の位牌を見て本当に落ち着いた。
僧侶というものは不思議である。
命日と誕生日、それに名前をみて戒名を決めるそうだが、
本当に仏さまのような力を持っている。
母の戒名をすべて公開することは出来ないが、
そこには「慈豊」という言葉が入っていた。
真ににその言葉通りの母であった。
母の友人だったKという女性が「私もこんな戒名がほしいわ」
と羨んだが、私を救ってくれたのはその戒名だった。

                          目次へ    
母との結婚をあきらめたM氏は
今度は自分の長男坊と私との結婚を考え始めた。
まだ私が小学生の頃からである。
母からはぼんやりとした夢物語のようにその縁談について聞かされていた。

私と母は私が11歳の時に都心に近い千葉の新興住宅地に家を建てて移り住んだ。
母は日本橋のある百貨店でパート勤めをしていた。
伯父が母に、私が年頃になって父のことを知ったら、
ぐれるかもしれないから気をつけて育てろと注意したそうだが、
私はぐれることもなく中学生になり、高校生になった。
私はぐれこそしなかったが、父親を憎むようになっていった。
母もそれに気づき、腫れ物に触るように私に接していた。

そんな中M氏は母子として私にショックを与えないように、
私が高校生になるまで1度も私の目の前に現れなかった。
高校1年生の秋、初めてM氏が私の目の前に現れた。
彼を見て、私はすぐジェラール・フィリップに似ていると思った。
当時古いフランス映画が大好きだったから。

その日、M氏は万惣のメロンとオレンジを土産にもって
我が家に訪ねてきたのだった。
彼も今思えば緊張していたのだと思う。
ひとしきり挨拶が済んだあとでM氏は言った。
母についてである。
「Nちゃんには分からないかもしれないけど女らしいんだよ」
早稲田のバンカラ風だったM氏のストレートな言葉であった。
高校生の私にこの言葉の意味は理解できなかった。
しかし今なら理解できる。

母は夫に自殺されても髪振り乱した母親にはならなかったのだ。
優雅な女のままだったのだ。
「いつか躓いて転ぶだろう、と思って待っているがいつまでたっても転ばない」
とも。
母は厳格な祖父の教育を受けて育ったので、とてもしっかりしていたのだ。
私もそのような厳格な教育を受けたかったものである。
しかし祖父は私に対しては底抜けに甘かった。
どの程度かというと、幼稚園児の私を芸者遊びにも連れまわして
親戚から顰蹙を買うという有様だった。

可愛くて可愛くてどうしようもなかったらしい。

母は祖父の教育のおかげで典型的な「大和撫子」となった。
母は祖父の理想であったろう。
ところが私は母には似ず、お転婆で、性格のはっきりした、現代っ子であった。


私が育つにつれ、母には似ていないということは明確になっていった。
しかし、それでもM氏は長男坊と私との結婚を望んでいた。

私と母の住んでいた家を「雀のお宿」と呼んで1年に1度くらいは訪ねてきた。
もちろん700坪という豪邸に住んでいたM氏である。
母の建てた小さな家など本当に雀のお宿だっただろう。

やがてオイルショックが起こりM氏の会社が傾きそうになった。
そして私より8歳年上だったM氏の長男坊は、持参金を7億円もった、
板橋の農家の娘さんと結婚してしまった。

かわいそうな私、1度も会ったことのない許嫁に振られてしまったわけだ。

私は母には似なかった。
しかし私はこの間、過去世占いというものをやってみた。
30〜40の質問に答えていくのだが、その結果、
私は過去世も女で軍人の妻だったそうである。

年をとればとるほど母に似ていく。
父に似たくない私としてはミトコンドリアに感謝である。

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母は父に夢中になったが、その前に母に夢中になった男性がいた。
彼は母には振られたわけである。
その方はちゃんと紳士録に名前の載った立派な男性で母より12歳年上だった。

その男性とは栄養士としての研修だか実習だかで、
都内の保健所に母が行っていた時初めて出会った。
会社経営をしておられて、たぶんその関係で保健所に見えていたのだと思う。
その方の一目ぼれだった。
そしてもう母への恋心がたち切れなくなって自分のほうから母に近づいた。
仮に彼をM氏と呼ぼうと思う。

彼は初めて出会ったときから母との結婚を望んだらしい。
母も心には止めておいたのだろうが、それ以上の感情は持たなかった。

母はM氏を振り切って父と結婚した。
ところが母の結婚はあの有様。

私だったら父よりM氏を選ぶ。
要するに母はメンクイだったのだ。
後に知ることになるが、父親のいない私があんまりかわいそうだと言って、
12年もの間毎月文明堂のカステラを送り続けてくれていたのは
そのM氏だった。

新潟の家には、毎年盆暮れに、下宿していたバスガイドさんたちの実家から
大量に付け届けが送られてくるので、カステラはその中にまみれていた。
kiyoiは小さい頃からカステラをもてあまし、
隣の寺で飼われていたエルという犬にまであげていた。
もちろん母には物凄く怒られた。

父の死後、M氏は影のように母を支えていた。
決して自分の求婚が受け入れられないということを知りながら、だ。

夫には自殺され娘には狂われた母の人生。
いくら金運が強くたってそれだけではあまりに寂しすぎる。

私がM氏のことを知ったのは中学生くらいのことだったと思う。
たしかに私は喜び、心からM氏と母との結婚を望んだ。
しかし母は父しか愛さなかった。

M氏はヤモメで2男1女の子供がいた。
しかしそれが原因でM氏と結婚しなかったのではないと思う。
母にとって結婚は一生に一度のものだったのだ。

母とM氏は二十歳と32歳で知り合った。
その交流は母が54歳で他界するまで続いた。
34年間。
M氏の血誠を思う。
母はやっぱりバカだ。

しかし一人の男性からそこまで愛されて、母は幸せだった。
たとえ夫が自殺していたとしても、娘が精神疾患だったとしても。
M氏は母にとって大きな心の支えになっていただろう。

二人は年に1度か2度くらい会っていたと思われる。
恋人同士でも夫婦でもない。
ただM氏の誠実さが母へのエールとなっていた。


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