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常陸国府中、現在の茨城県石岡市は、中世は常陸大掾氏の本拠地として栄えた事は周知されているが、
その実情については、常陸大掾氏の滅亡とそれに伴う町場への戦災の影響により、
1) 中世の史料、および 2) 江戸時代以降の記録、 などに頼るのが実情である。
市村高夫氏が「常陸国内では、佐竹氏のいる常陸大田、多賀谷氏のいる下妻につぐ規模の大きさ」と評した。
一方で、常陸大掾氏の勢力と比較すると、身の丈に合わない規模であるとも評した。
特に、永禄〜天正年間の常陸大掾氏の動向を伺うと、常陸国内の他氏に押されて、佐竹氏の「洞」の一員と判断される程度が現状であろうか。
常陸大掾氏または室町期の常陸国府中に関する一次史料は、
茨城県史をはじめとした各市町村による史誌編纂により、有る程度紹介されたとみてよく、
これ以上の新出の一次史料による新事実解明は難しいだろう。
というわけで、
一次史料を中心として、地誌的情報や二次史料・三次史料の活用の他、
地理的情報を加味して、推敲していきたいと考えている。
つづく。。。。
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大掾氏に関する史料はほとんどありませんので、中世の常陸国は謎が多いですね。府中城と竹原城の関係も色々と調べてみましたが、わからなかったです。
上記の城跡へも行きましたが、看板があるだけでした。
2015/7/6(月) 午前 0:25
こんにちは。そうですね、大田道灌や北条早雲のように有名(かつ人気のある)人物がいる訳でもないので一般受けしませんし。最近気になるのが、遺構地などがむやみに廃土や廃棄物置き場になっていたり、整地されて太陽光発電用地になっていたりして、現地に赴くのが遅かった事が多々ありますね。
2015/7/8(水) 午前 11:59 [ kiyomoto ]