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中世期の常陸府中南限として、
市川(かすみがうら市市川)・別所(石岡市別所)
を推測した。
根拠として、
1) 市川地区は、従来常陸国府の市場領域があったと推測されており、
江戸初期に、府中より市川村として分村した。
2) 市川地区の西隣に位置する、別所地区は、府中とは恋瀬川を挟んだ対岸にありながら、
現在まで石岡市域に残存した。
3) 別所地区は洪瀬川を挟んで府中城の対岸に位置し、市川地区同様に何らかの都市機能又港的機能を担ったいたことも予想している。
4) 府中城と別所地区の間を流れる恋瀬川の流域は、昭和40年代までは府中側に大きく彎曲していた。
別所および志筑地区(下志筑)は、舌状台地から低地が湿地帯側に広がりを見せていることから、
早くから耕作地および船舶での往来を容易だったと推測する。
5) 市川・別所両地区に接する、志筑地区には益戸氏が。
また野寺地区には、野寺孫三郎なる土豪がいたといわれていれている。
ことから、市川・別所両地区を府中の南限と推測する。
つづく。。。。。
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中世期の府中城と竹原城の関係が分かる史料あると良いのですが、出てきそうも無いですね。
竹原城跡地を大がかりな発掘すれば何か出て来る様な感じがします。
2015/7/6(月) 午前 1:02
そうですね。例えば、大掾貞国と竹原義国が兄弟だとか同じ一族だとかは、一次史料では述べられていないんですよね。
2015/7/8(水) 午後 1:19 [ kiyomoto ]