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本拠地:常陸国山田郷(現:茨城県行方市山田地区)
本姓:藤原姓
天正年間には、山田治広が活動。(谷田部譜所収: 多賀谷氏宛 山田藤原治広書状写)
「山田宮内太輔」として認識されていた。 赤枠・・・・・・行方市山田地区
青枠・・・・・・山田城
以下は、「山田地区遺跡発掘調査報告書」(1990年・山田地区遺跡発掘調査会)より抜粋:
山田氏は、旧山田郷がその支配地域で、山田城 (妙義山)を本城として古屋敷、古館、中ノ館、前館、古河館、成井館、繁昌館、大崎館、花論館、茂手木館などが、山田氏関係城館跡として知 られている。
武田氏では
神明城、木崎城、小貫館、西館が知 られ、
小幡氏では小幡城跡が知 られている。
支配地域 としては、山田氏は山田川の北岸と南岸で村中央東部で、北部で武田氏と西部で小幡氏と接 している。
武田氏は、武田川の北岸と南岸で村北東部であり、
小幡氏は山田川上流城で村中央部が、各々の支配地域のようである。
今回調査を行なった古屋敷、古館、平の城館跡は、山田氏関係の城館跡である。山田氏は、そ
の出自に関し確証を欠いているものの、 14〜 15世紀頃当地に土着 した在地武士団 (土豪)と
推定される。山田氏も、他の行方氏族、武田氏等と共に、天正 19年 (1591)に 佐竹氏によ
り滅亡 したものと推定される。出自等については、今後の課題といえよう。
■関連情報
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常陸行方郡の諸氏
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