常陸国中世史備忘録(常陸大掾氏と常陸府中)

常陸大掾氏や常陸平氏を中心に取り上げています。文献屋なので論文を書く資料として、特に面白くも無い古文書や史料を掲載していきます。

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名称:(仮)二重作武田城跡
所在地:鉾田市二重作字古屋山

「茨城県デジタルマップ」では、単に「武田城跡」とされているが、
北浦を挟んだ対岸の行方武田氏の本拠地(木崎城・神明城)などとの関係をわかりやすくするため、
所在地である地名「二重作」をつけている。


行方武田氏において、対烟田氏ひいては、鹿島氏領域への進出基地となりえたと考えている。

1949年米軍航空写真
イメージ 1


















米軍航空写真では、おぼろげに単館状の堀ないし土塁らしきものが見える。
規模などを勘案すると、北浦に向かう舌状台地にある、二重作地区の集落などに、
別の場所に本拠地があったことを考慮している。



2016年googlemapより:
イメージ 2



















城主として、武田氏の名が伝わっているというが、
北浦を挟んだ対岸の行方武田氏の分派と考えると、
北部は行方郡青柳(現:行方市青柳地区)に青柳氏を派生させ、
東部は北浦を超えて鹿島郡二重作(現:鉾田市二重作地区)に進出し、
二重作武田氏を分出させていたと捉えてよいだろう。


鉾田市二重作地区
イメージ 3























室町時代初期に入植し、北面の烟田氏や鹿島郡南部の鹿島氏の領土を脅かす存在にまで成長した、
行方武田氏はそれ単体でなしえるほどの実力とは思えず、背景には何らかの権力構造が控えていたと考えている。

事実、ほぼ同時期に常陸国以外から入植したであろう山田氏とは、領域が接するにもかかわらず、
対立したとの伝承が聞かれない。文書や伝承を検討すると、共同歩調をとっていたのでは想像すらしている。

行方武田氏、行方山田氏、行方下河辺氏の三氏について、この点は別途論じたいと考えている。

行方武田氏2016(鉾田市両宿地区および_鉾田市二重作地区の位置関係)
イメージ 4

















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