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江戸期の常陸府中平村の絵図を見ると、
現・石岡市国府二丁目付近に屋敷跡が残る。(以後、近世屋敷)
旧町名では金丸町に当たる。
税所屋敷(明治迅速図ヨリ)
明治期に、税所氏は絶家となり、現在、税所氏直系の子孫は存在しない。
その際に、所蔵していた税所文書三帳は、第一帳が同町内で筋向いの酒造家山本家に、第二帳・第三帳が大洗町の山戸家に移動している。
中世期は、現・石岡市茨城にある万福寺の寺域が税所氏の屋敷跡ともいわれ、五輪塔も残されている。
(以後、中世屋敷)
中世〜近世には、すでに万福寺が菩提寺として活動していることから、
府中城の廃城ないし慶長期の常陸府中の町立て以降には、
近世屋敷を住居を移していたことが予想できる。
理由は二つ:
1. 税所氏の活動が、府中地域,に限定した社家の活動となった。
2. 鹿島社(鹿島市宮中)付近に存在したであろう、鹿島税所屋敷およびその役割が消滅したこと。
税所屋敷跡は、弓削氏の屋敷跡といわれることから、 地縁血縁などの関係を頼りに府中町の中心により近い弓削氏の中世期屋敷跡地に進出したのではないか。 近世初期に弓削氏が活動したことを記述する記事が、地誌などに散見するが、近世中期以降、弓削氏の名前自体が伝説化していく。 江戸期、税所氏のほか健児所氏(こにしょ・小仁所)とともに、中世期の祭祀の名残を引き継ぎつつ、
明治期を迎えた。
古仁所氏は、常陸府中の荒宿(現・石岡市泉町)に屋敷を構えたらしく、明治期初期の地誌にも書かれている。
参考図書
・ 石岡市史
・ 茨城大学日本史研究室「茨城中世史研究」1〜3
・ 茨城県史料中世編 I、II
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常陸国府中関連
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