|
佐竹一族の中世(高志書院) [編・高橋 修] に、額賀 大輔氏が書かれたコラム:「小田城跡・鹿島城跡・府中城跡」が収録されている。 =>「佐竹一族の中世」の内容を立ち読みするにはこちら♪
額賀氏は現役の笠間市教育委員会生涯学習課の文化財担当職員でもあり、大学では日本中世史研究室の卒業をされている。 他市の現役文化財担当職員が、常陸府中城(茨城県石岡市)をどのように見てとらえているか知りたいのだ。 常陸府中城跡の近世の運用は陣屋形態での三の丸およびその外部を利用されていたにすぎず、 府中城の大半(本丸、二の丸)は「城中」として、常陸府中藩管理下に置かれたものの、 その他の城郭部:長宝寺郭や各出丸(箱の内出丸、磯部出丸、宮部出丸)および総構えの区画は、 慶長期以降の府中の都市再建のために、近世府中平村中心・府中宿として市街地化していった。 中世後期まで存続した、関東地方の城郭の多くに当てはまることだが、 城郭の主郭のほかに、周辺台地を取り込んだ「総構え」形式になっていることが多い。 その結果、宿場や屋敷地を取り囲んだかたちとなっただけであるが、 そのため、研究家や城郭愛好家が「城跡と把握されている個所ないし認識される箇所」が非常に心もとなく感じる。 否、そのようにしか認識されていないのが現状であり、そのようにしか見えない現地の状況から判断されているのだろう。
今回の額賀氏の論考は他の研究家や城郭愛好家の意見と比較して、どのような視点から論じておられるか、非常に興味がある。 ※他県に所在する「府中城」と区別するため、「常陸府中城」と仮称しています。
|
常陸国府中関連
[ リスト ]




