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弓上手の武者による山猿退治とそれによる救済伝承が下地となり、行われている。 その下地には、東城人物ないし対象が実際にいたことを窺わせることから、 いくつかの中世文書を用いて考察したい。 土浦市発行の調査報告書にあるように、神事の内容と各役の役割は時代とともに変化しているが、 基本は弓上手の武者による山猿退治とそれによる救済伝承: 山猿が大暴れ ↓ 村人が従羅天に相談 ↓ 従羅天が将監に山猿退治を依頼 ↓ 山猿にヒトツモノを御供 ↓ 将監が弓矢で山猿を退治 ↓ めでたしめでたし 主な登場人物とその役割: 従羅天: 小神野氏が代々担う。 将監: 市川氏が代々担う。 ヒトツモノ:人身御供の稚児(旧山の荘村の7地区から選ばれる。) ここで、取り上げるのは、『将監』役の市川氏(市川将監)である。 小神野氏: 甲山城城主といわれる当地の名家。 近世地誌「小田家風記」など、小田氏とのつながりを意識してきた。 中世の古文書の写しを所有する。 市川氏: 現在、かすみがうら市高倉住。 近世期、既に同所に在住していたことから、 江戸期以降、高倉将監などと名称が混同するようになる。 弓の名手とされた。 『従羅天』役の小神野氏 『従羅天』役の小神野氏は、大猿退治を「将監」に依頼する、いわば脇役である。 つまり、『従羅天』役の小神野氏は、本筋にはなくてもよい要素であることから、 弓の名手による大猿退治譚に後で付加されたことを窺わせる。 小神野氏は地元旧村地域では主導的役割を果たす旧家であるため、 その地元の祭礼において、「大猿退治を依頼する、地元の名家」として、補完的な立場で登場する事が必要であったのだろう。 『将監』役の市川氏(市川将監) 一方、『将監』役の市川氏(市川将監)は、「弓の名手」である『将監』について、 伝承民話では、市川将監は沢辺将監または高倉将監と言い表しているバージョンがある。 特に民話では「沢辺住の沢辺将監」または「沢辺住の市川将監」として登場する。 沢辺将監・・・・日枝神社のある小野・東城寺・沢辺入会地に近い、旧沢辺村(土浦市沢辺)に 居住していたとの伝承に基づく。 高倉将監・・・・近世期、市川氏が居住した高倉村(かすみがうら市高倉)から来た将監との意。 市川将監・・・・市川市の苗字に基づく。 明治以降の地誌などには、「高倉将監」の名称が使われだし、その呼び名は混同しているのが現状である。 旧沢辺村に在住した土豪であれば、単に「沢辺氏」出身とも考えられるが、 以下の二つの理由で否定できる。 1. 常陸日月牌過去帳に、慶長期「常陸小田村 沢辺○○守」の逆修供養がされており、 沢辺氏は戦国後期には「小田村」在住であった可能性がある。 2. 『古文書雑集』には、高倉村市川氏所蔵文書があり、 その中に、山の庄(沢辺村を含む)の所領をあてがわれた内容がある。 では、市川という苗字はどこをさすのであろうか。 かすみがうら市市川が本拠地の武士といわれる。 |
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