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常陸真壁氏に関する研究は、『真壁町史料中世編』の編纂と、
それらに携わった糸賀茂男氏や、
愛知大学教授の山田邦明氏の研究成果によるところが大きい。
山田邦明氏は、複数回の真壁氏本宗家の交代と庶子家による真壁氏再興、
そしてプレ真壁城の存在を初めて論じたのも、山田氏の研究成果でもある。
詳しくは、『真壁氏と真壁城―中世武家の拠点』を参照されたい。
さて、佐竹氏の家臣として存続しえた真壁氏を立て直したのは、
永享年間に嫡流真壁慶幹の庶子・氏幹から総領家を奪取した、庶流・真壁朝幹である。
真壁氏総領家・二度目の交代
残存する古文書から分かる事柄として、
南北朝時代に、すでに一度目の総領家交代が起こっている。
京都扶持衆としての真壁秀幹は、鎌倉公方・足利持氏の命による鎌倉府軍に責められ、応永31年に落城。
真壁秀幹は落城後逃亡、秀幹の継子・慶幹も失踪してしまい、総領家相続が近親のみならず、一族および真壁氏家中を巻き込んでいく。
真壁氏幹 と 真壁朝幹 との真壁氏総領家相続争い
氏幹(真壁秀幹の継子)
皆河法勧(家中)
河田法栄(家中)
長岡広幹(親類)
白井貞幹(親類)
本木家幹(親類)
白井師幹(親類)
※ 年未詳6月13日付 真壁氏親類等連署起請文(真壁文書118号)
朝幹(真壁秀幹の甥)
皆河左衛門尉綱宗(家中)
河田伊豆入道(家中)
竹来左衛門入道(家中) ※ 長禄05年(1461) 5月15日付 真壁朝幹置文写 次郎 (真壁文書34号) ※ 寛正7年(1466) 3月26日付 真壁朝幹置文写 かもの助 小三郎 (真壁文書35号)
※ 寛正7年(1466) 3月26日付 真壁朝幹置文写 光明寺ほか5名 (真壁文書36号)
※ 文正2年(1467) 3月10日付 永真(真壁朝幹)譲状写 〔かものすけ〕 (真壁文書37号)
※ 文正2年(1467) 3月10日付 永真(真壁朝幹)置文写 〔掃部助」 (真壁文書38号) ※ 永享11年4月 真壁朝幹代皆河綱宗目安写(真壁文書117号)
※ 永享11年6月 真壁朝幹代皆河綱宗目安写(真壁文書119号)
近年の常陸真壁氏に関する論稿
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常陸平氏
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