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文和3年(1354年)8月29日付 国分淡路守宛て奥州管領府奉行人連書奉書(白川文書) 陸奥国宮城郡南目村の「大掾沢田平次跡」を、国分淡路守および高部屋氏が両使として、石川兼光の代官に渡すよう命じた遵行状において、
1. 「大掾沢田平次」なる人物が「陸奥国宮城郡南目村」を所領としていた事。
2. 「大掾沢田平次跡」との表記から、奥州探題の支配下においては
文和3年段階、「南目村」の所領は「大掾沢田平次」から取り上げられていた。
3. しかし、「大掾沢田平次」を「陸奥国宮城郡南目村」を実行支配したままであった。
ことがくみ取ることができる。
宮城郡南目村跡・南目館跡(宮城県仙台市宮城野区南目館付近)
宮城郡南目村の範囲は把握できなかったため、村内にあった南目館跡(宮城県仙台市宮城野区南目館付近)の場所が上の地図である。宮城郡南目村のおおよその場所は把握可能。
現在、陸上自衛隊仙台駐屯地が大半を占めるため、旧来の姿はとどめてはいないだろう。
大崎市古川沢田ー仙台市宮城野区南目館、間の距離
「大掾沢田平次」なる人物を
「平資幹の系統」かつ「大崎市古川沢田」を苗字地とした、陸奥大掾氏の一族と仮定した場合、
「大崎市古川沢田」(苗字地)と「仙台市宮城野区南目館」(所領)がこのように離れている事がわかる。
「大掾沢田」氏の所領の一部だったのかは不明である。
沢田館跡(遍照院・大崎市古川沢田)2018
「大掾沢田平次」なる人物を
「古川宮崎周辺の平氏一族」かつ「平資幹の系統」と仮定するならば、
「大崎市古川沢田」を苗字地とした可能性も高い。 大崎市古川沢田には「沢田館跡」があるが、「大掾沢田平次」との関連は不明。
南北朝期に奥州探題の主導権争いで畠山氏と吉良氏対立した際、畠山氏が在城したとの話である。
「大手」「搦」などの小字に対して、「古舘前」などより古い小字が「残ると判断したため、掲載した。
大崎市古川宮沢・古川小林・古川沢田の位置関係2018
・大崎市古川宮沢(宮沢城跡、掛仏)
・大崎市古川小野羽黒(板碑)
・大崎市古川小林(吾妻鑑)
・大崎市古川沢田(大掾沢田平次跡)
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陸奥大掾氏(仮)関連
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