|
陸奥大掾氏の残滓:
名称: 宮沢城跡
所在地: 大崎市古川宮沢字舘ノ内
室町時代、大崎氏の支城として史料に登場し、
1590年、葛西・大崎一揆の際には、大崎氏の旧臣:岩崎讃岐義久が宮沢城に籠り、伊達氏に反抗した事が有名のようだ。
江戸時代は、仙台藩二十一要害の一つ:宮沢要害として、有力家臣らが割り当てられ、領地を管理していた。
地元の伝承では、藤原秀郷による築城伝承のほかに、地頭平資幹の居城伝承が残る。
陸奥国宮沢城跡(大崎市古川宮沢字舘ノ内)
葛西・大崎一揆での破却、近世城下町としての整備により、
中世期の宮沢城の姿は不明瞭であるようだ。
宮沢城跡と平資幹ないし陸奥大掾氏との関係は確固とした史料がある訳では無いが、
傍証として:
1. 宮沢城跡の、平資幹による在城伝承
2. 宮沢要害城主長沼氏が鹿島神社に奉納した、
銅造十一面観音像懸仏(宮城県指定有形文化財)の『平盛幹』銘
3. 宮沢城跡城下の熊野神社が、吾妻鑑に記される、『地頭平資幹』と争った『新熊野神社』である可能性。
4. 大字「宮沢」の隣接地・大字「沢田」は『大掾沢田平次』の名字地の可能性。
以下は、平資幹ないし陸奥大掾氏に関係すると思われる傍証および史料の点在地図である。
![]() |
陸奥大掾氏(仮)関連
[ リスト ]











