|
銅造十一面観音像懸仏(宮城県指定有形文化財)
宮城県HP 『宮城県の文化財』に以下のような注釈が記載されている:
宮沢の鹿島神社に、淡路守宗政が寄進したものといわれ....(略)....長沼氏が延享4年(1747)衣川より宮沢に転封後、鵜ヶ城本丸に鹿島神社を建立した際、その御神体として遷座してまつったもの....(略) 銅造十一面観音像懸仏(宮城県指定有形文化財)
本文の全刻文:
「
祈願所
藤原氏女
平朝臣盛幹男女子息等敬白
弘安弐年己卯太歳二月 日
」 常陸国中世史備忘録の解釈
平朝臣盛幹の妻が「藤原氏女」そして、ともに「男女子息等」が
何ならかの祈願をした際に奉納したもの、と解釈した。
また、 『宮城県の文化財』が説明する所有者である。長沼家は、
仙台藩に仕えた藤原姓長沼氏。この長沼氏は、宮沢要害を宛がわれた着坐1,500石の重臣で、
延享4年(1747)、衣川から宮沢要害に転封され、そのまま近代にいたっている。
宮沢要害に転封の際、鵜ヶ城(宮沢要害)本丸に鹿島神社を建立した際に、
仙台藩士長沼氏に伝来したものでなく、宮沢付近の寺社仏閣に伝来していた『銅造十一面観音像懸仏』を再奉納した可能性が高いと考えている。。
仙台藩士長沼氏は家伝や系図では田島長沼氏の嫡流とするようだが、
一方で、南北朝期から宮城郡南部に分立していったらしい藤原姓長沼氏および藤原姓国分氏:長沼宗政の子孫とする情報もあろ、現状は不明。
この長沼氏は、藤原姓国分氏と同族の可能性が強く、
1400年代には、すでに宮城郡付近に分立していたようだ。 実際のところ、宮城郡南部にいた藤原姓長沼宗政および藤原姓国分盛重につらなる系統が、
伊達氏支配下に組み込まれ、仙台藩士となったと考えるのが現状スムーズだ。
弘安二年(1279)以前の平朝臣盛幹
不確かな情報からの推測であるが、
この『平朝臣盛幹』は、宮沢城築城伝承の『平資幹』の系統と推測する。
建暦元年(1211)四月、長岡郡小林新熊野社の住僧隆慶と神田について争った「稱地頭」の「平資幹」の存在が確認できる。
想像を強くすれば、世代的に:
資幹 - ○ - ○ - 盛幹 - ○
とも想像可能か。
鹿島神社(大崎市古川宮沢字舘ノ内)
大崎市古川小野羽黒・古川宮沢・古川小林・古川沢田との位置関係2018
陸奥国での平資幹および常陸平氏への活動については、
糸賀 茂男氏の関連論文( 常陸中世武士団の史的考察 (中世史研究叢書)所収)によるところが多い。
実際調べると、糸賀氏の指摘の他にも多くの遺証が見受けられた。
|
陸奥大掾氏(仮)関連
[ リスト ]










