常陸国中世史備忘録(常陸大掾氏と常陸府中)

常陸大掾氏や常陸平氏を中心に取り上げています。文献屋なので論文を書く資料として、特に面白くも無い古文書や史料を掲載していきます。

岩付太田氏

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梶原美濃守政景:福井に見る痕跡

慶長7年(1602年)、佐竹氏の出羽国移封に伴い、
梶原美濃守政景は出羽国入りした。

渋江政光とともに久保田城の普請奉行となったといわれるが、一次史料はなく、
雪の峠・剣の舞 ( 岩明 均 著) などで人気をあげている。



その後、梶原美濃守政景は秋田の佐竹氏の下を離れ、
佐竹氏同様、常陸・下総から越前に転赴となっていた結城秀康の配下に収まる。

弟である太田資武も同じく佐竹氏の秋田移封に随従していたが、同様に越前の結城秀康の配下になるが、
同調した動きなのかは不明である。

そもそも、鎌倉府奉公衆・梶原氏を継いだ梶原美濃守政景と、
武蔵岩付城を追われた、父・太田資正が常陸片野城に入ってから当地で生まれたとされる太田資武とでは、
年齢の差もあり、梶原美濃守政景と太田資武が同じ歩調をとったことを示す史料は見つかっていない。

梶原政景・太田資武兄弟は、結果的に、常盤国を中心とした大名になりえた佐竹氏に臣従したのち、出羽国移封後に佐竹氏のもとを離れ、越前・結城秀康に使えることになった。

結城秀康が死去した慶長12年4月には霊位供養をあげているので、
慶長12年4月以前に、結城秀康の配下であったと推測できる。

結城秀康と下では、鯖江市田所町に所領を得たとされますが、
鯖江市神明町の八幡神社に残る伝承では、慶長13年(1608)に梶原美濃守政景により創立されたとする伝承が残り、田所町・神明町を中心に領地を得ていたと考えられる。

鯖江市田所町
鯖江市神明町 
イメージ 1

鯖江市神明町  八幡神社
八幡神社は、慶長13年(1608)に梶原美濃守が田所村地頭であったときに建立したと伝承される
(『福井県神社誌』福井県神社庁 1995年)。
イメージ 2


梶原政景・太田資武兄弟の五輪塔があるとされている禅林寺は、
福井市徳尾町にあり、鯖江市境に位置する。
川を挟んだ対岸には、田所町・神明町などが広がる。

福井市 禅林寺

禅林寺(福井市徳尾町)
イメージ 3


梶原美濃守政景は逆修供養を済ませており、

「武蔵國岩付梶原美濃守逆修 悦叟道喜居士 慶長十五年戊戌七月廿日建之」

逆修供養の五輪塔は高野山奥の院に現存する。


梶原美濃守政景の死去年について

「元和九年十月十八日」および「寛永三年三月二十七日」の霊位供養の記録が残っている。
前者は家臣と思われる人物、後者は養子であり甥の梶原源太による。
この点は、別稿にて開設する予定。














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